第9話 二台目の馬車を買う前に売ります
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翌朝。
わたしは、ベルカ商会の帳簿を見ていた。
売上は増えている。
食堂組合への納品は続いている。
北の村との取引も続いている。
倉庫も増えた。
人手も、トマたち三人が入った。
数字だけ見れば、ベルカ商会は前よりずっと良くなっている。
でも、支払いも増えていた。
倉庫代、人件費、馬車代、仕入れ代、食事代。
食事代。
なぜ、ここまで存在感があるのだろう。
「商会主」
ロイが帳簿をのぞき込んだ。
「お顔が険しいです」
「食事代を見ていました」
「必要経費です」
「ロイまでそう言うんですか」
「必要経費です」
昨日から、ロイが少し強くなった気がする。
「クロードさんは?」
「表で馬車を見ています」
「馬車」
わたしは帳簿を閉じた。
嫌な予感がした。
表に出ると、ベルカ商会の古い馬車の横に、もう一台、別の馬車が停まっていた。
東門の運送屋で借りたことのある馬車だ。
クロードさんは、その荷台を見ていた。
「何をしているんですか」
「見ている」
「馬車を?」
「ああ」
「借りるんですか?」
「買う」
「二台目をですか!?」
「ああ」
「うちの古い馬車だけでも大変なのに!」
「だから二台目がいる」
嫌なほど筋が通っていた。
今のベルカ商会の馬車は一台だけ。
しかも古い。
食堂組合への納品だけなら、どうにかなる。
でも、北の村、塩屋、小樽、南区まで回すとなると足りない。
足りないのは、わかる。
でも。
「クロードさん。馬車を買うお金なんてありません」
「ある」
「ありません」
「売ればある」
「何をですか」
「馬車の枠」
わたしは少し黙った。
「……馬車の、枠?」
「荷を積める場所だ」
「それは、馬車を買ってから売るものでは?」
「買う前に売る」
「また、ないものを売るんですか!」
「前にもやった」
「前にも怒りました!」
クロードさんは、まったく気にしていない。
「食堂組合への納品は続く。北の村から豆も来る。塩と小樽も動く。今の一台では足りない」
「それはわかります」
「だが、馬車を買う金は足りない」
「そうです」
「だから、二台目の荷台の一部を先に売る」
「どこに?」
「困っているところに」
クロードさんは市場の方を見た。
「小麦の止まり方が長い。食堂だけではなく、南区の孤児院と施療院も食材に困り始める」
「孤児院と施療院……」
「大商会は利幅の大きい食堂と酒場に向かう。小口の配送は後回しになる」
「そこへ、うちが運ぶんですか」
「ああ。定期便にする」
定期便。
その言葉で、ロイが帳簿を抱え直した。
トマたちも顔を見合わせた。
ただの仕入れではない。
ただの納品でもない。
ベルカ商会が、街の中を定期的に回る。
「定期便となると、毎日ですか」
「最初は三日間」
「短いですね」
「試す。成功したら七日。七日続けば契約にする」
「相手は?」
「南区の孤児院。施療院。あと小さな食堂が二つ」
「もう決めているんですか?」
「候補だ」
「候補を、いつ見たんですか」
「昨日、納品の帰り」
「歩いていただけで、そこまで見るんですか」
「見る」
怖い。
でも、今は怖がっている場合ではない。
「馬車を買うとして、いくらですか」
「中古で銀貨二十枚」
「無理です」
「頭金は銀貨八枚」
「それでも大きいです」
「残りは三回払い」
「支払いが増えます」
「仕事も増える」
「またそれですか」
わたしは帳簿を開いた。
今ある銀貨。
返済予定。
仕入れ代。
倉庫代。
人件費。
そこに馬車の頭金。
ぎりぎり。
本当にぎりぎりだ。
「失敗したら?」
「馬車代が払えない」
「最悪です」
「成功したら?」
「……運べる量が増える」
「それだけじゃない」
クロードさんは馬車の荷台を叩いた。
「運ぶ予定を売れる」
「予定?」
「朝は北門から食材。昼は食堂組合。午後は南区。帰りに空樽や空箱を回収する」
「そんなに回すんですか」
「回せる」
「御者は?」
「雇う」
「また人が増える!」
「馬もいる」
「馬も増える!」
「馬車だからな」
「わかっています!」
トマたちが笑った。
今度はロイも少し笑っていた。
「商会主」
ロイが言った。
「ただ、二台目があれば、今の仕事はかなり楽になります」
「ロイまで」
「今は借り馬車の都合に合わせています。自前の馬車が増えれば、こちらの都合で動けます」
「それは、そうですが」
「定期便にするなら、借り馬車では不安です」
わかる。
わかってしまう。
「まず、売り先を確認します」
わたしは言った。
「馬車を買う前に、本当に荷台の枠が売れるか見ます。約束を取ってからです」
「それでいい」
クロードさんは、すぐにうなずいた。
「では、南区へ行きます」
「行くぞ」
「今から?」
「今から」
「朝からずっと今からですね!」
南区は、商業区よりも静かだった。
大きな商会の馬車は少ない。
その代わり、小さな店や共同炊事場が多い。
道も狭い。
小回りの利く二台目があれば、たしかに便利そうだった。
最初に訪ねたのは、孤児院だった。
「ベルカ商会さん?」
「はい。食材の配送について、ご相談に来ました」
「配送?」
「豆や塩を、三日間だけ定期で運べます。小麦が戻るまでの間、食事の材料に困っていませんか」
院長は少し黙った。
「困っています。ですが、うちは大きな支払いはできません」
「大丈夫です。量は少なくて構いません。決まった量を、決まった時間に届けます」
クロードさんが横から小さく言った。
「余った豆を回せる」
「余った豆ではなく、納品予定外の豆です」
「同じだ」
「違います」
院長が不思議そうに見ている。
わたしは咳払いした。
「すみません。こちらの都合です」
条件を聞く。
毎朝、豆を三袋。
塩を少し。
支払いは二日ごと。
大きな金額ではない。
でも、毎回決まっている。
「三日間、お試しでどうでしょうか」
わたしが言うと、院長はほっとしたようにうなずいた。
「それならお願いできます」
一件目。
取れた。
次は施療院だった。
管理人は、忙しそうだった。
「食材配送? 悪いが今は手が足りない」
「だからです」
クロードさんが言った。
「食材を取りに行く人手を減らせる」
管理人の動きが止まった。
わたしはすぐに続ける。
「豆と塩、小さな樽を決まった時間に届けます。必要なら空樽の回収もします」
「回収も?」
「はい」
「それは助かる。置き場に困っていた」
クロードさんを見る。
クロードさんは、少しだけうなずいた。
施療院も三日間の試験配送を受けた。
支払いは少ない。
でも、信用は大きい。
最後に、小さな食堂二軒へ寄った。
一軒は断られた。
もう一軒は、夕方分だけなら頼みたいと言った。
合計三件。
孤児院、施療院、小食堂。
三日間の配送枠が埋まった。
「……売れました」
「売れたな」
「まだ馬車を買っていないのに」
「だから買える」
「怖い順番ですね」
「強い順番だ」
わたしは帳簿に数字を書いた。
それぞれの売上は小さい。
でも、三日続く。
食堂組合の大きな取引とは違う。
街の中を細かく回る仕事。
これは、ベルカ商会にしかできないかもしれない。
ただし、ひとつ問題があった。
まだ、運ぶための二台目がない。
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