第四話 凍てつく恩返し
ーー放送室班・廊下にて
浦島征太郎とかぐやは、静まり返った廊下を全力で駆けていた。自分たちの足音だけが、異様に大きく反響する。
「……ねえ、やっぱりマズイわよね?」「相手の正体は不明だが、体育館には燐と金恵がいる。あの二人なら問題ないはずだ」「そうよね……二人とも強いもんね……!」
かぐやの声は、自分に言い聞かせるようにわずかに震えていた。
やがて、前方に体育館の重厚な扉が見えてくる。 だが、その行く手を阻むように、一人の女性が立っていた。
白を基調とした和装。 しかしその瞳には光がなく、底の見えない虚無が宿っている。
「放送で呼び出したのは、お前か?」
征太郎の問いかけに、彼女は答えない。ただ、衣擦れの音だけが微かに響いた。
「どいてくれ。なるべく女性を傷つけたくはない」
返答はない。だがーー彼女の指先が、わずかに動いた。
ーージリッ、パキパキッ!
空気を裂く音。征太郎は咄嗟に右手に溜めていた“水”を盾として展開する。
しかしーー触れた瞬間、異変が起きた。流動していたはずの“水”が、一瞬で白く凍り付いた。
「……水を凍らせた? 冷気を纏った“糸”か……」
一度距離を取り、体勢を立て直す。
敵は言葉を発さぬまま、無機質な動作で次の一撃を放とうとしていた。
闇の中、音もなく“糸”が走る。
頬をかすめた。
遅れて、皮膚が裂ける。
「……っ」
速い。視認が間に合わない。
「かぐや!目潰しを頼む!」
「えっ……うん、わかった!」
ーーズンッ。
空気が沈み込む。
かぐやの異能「月蝕」が発動し、廊下の光をすべて飲み込んだ。
完全な闇。
視覚は奪われるがーー
征太郎にとって、それはむしろ好都合だった。
音、空気、微細な振動。
すべてが、水のように動きとして伝わってくる。
「これで外とは断絶された。視界は最悪だろうが、俺は構わなーー」
言葉が、途中で止まる。
闇に包まれているはずの彼女の周囲が、突如として青白く発光した。
ーーキュルキュル……カッ!
「なっ……光源もないのに……いや」
一瞬で思考を巡らせる。
「冷気を纏う糸を高速で摩擦させているのか……急激な温度変化……摩擦発光か……!」
闇の中でも、自ら光を生み出す。合理的で、容赦のない戦闘技術。
その光に照らされ、彼女の顔が浮かび上がる。
肌はひび割れ、目元には結晶のようなものがこびりついていた。
それは涙ではない。
無理やり動かされ続けた肉体が、悲鳴を上げていた。
「……これは、本当にお前の意志なのか?」
返答はない。
ただ操り人形のように、不自然に身体が動く。
ーーその奥で、“何か”が泣いている。
征太郎はそう感じていた。
「かぐや、どれくらい貯まっている?」
「三割くらい……。最近、夜更かししてスマホばっか見てたから、月光浴サボっちゃってて……」
征太郎は小さく頷く。
現代の道具に毒された仲間に苦笑する余裕はなかった。
「……十分だ。一気に放て」
「わかったわ……とっておきよ!」
ーーピカッッッ!!
かぐやが蓄えていた光が、爆発的に解き放たれる。闇を切り裂く、閃光。
敵の女が、わずかに怯む。
ーーその一瞬。
床を蹴り、一直線に踏み込む。
“水”を極限まで硬化させ、針と化す。
そして迷いなくーー彼女の胸元へ、差し込んだ。
「が......っ」
糸が切れたマリオネットのように、崩れ落ちる。
征太郎は無言で、壊れ物に触れるかのように、
その身体を受け止めた。
戦闘の終わりを察し、かぐやが光量を落とす。
廊下に、静寂が戻る。
「......何をしたの?殺したわけじゃないわよね?」
「彼女の心を縛っていた“蛇”の時間を、加速させただけだ」
「蛇……?」
「彼女に潜んでいた他者の異能だ。腐らせて、朽ちさせた」
静かに言い切る。
「……目を覚ませば、すべてわかるはずだ」
征太郎は彼女をそっと床に寝かせ、立ち上がった。
「かぐや、彼女を頼む。……俺は先に行く」
踵を返し、体育館の扉に手をかける。
重い扉が、軋んだ音を立てて開いたーー




