07. コールマン伯爵と娘のアメリア
◇ ◇ ◇ ◇
フロルが目を覚ました時は、見知らぬ家のふかふかのベッドの中にいた。
「あ、気がついたよ。パパ!」
「お、本当か?」
フロルは自分の顔を覗き込んでいる二人の顔を見つめた。
一人は黒髪黒目のダンディな20代後半くらいの殿方で、もう一人は同じく、黒髪黒目の小さな女の子だった。
女の子はとても愛らしく、ニコニコとフロルに笑いかけた。思わずフロルも笑顔になったが──。
フロルは我に返って、慌ててベッドから起き上がろうとした。が──。
「痛っ!」と悲鳴をあげた。
腰骨の辺りにズキリと痛みが走り、起き上がる事ができなかった。
どうやら治りかけた腰痛が、車道で転倒した際にぶり返したようだ。
「あ、無理しては駄目だ!」
「そうよ、むりしちゃだめよ!」
叫んだ殿方の後ろで、幼い女の子もオウムのように繰り返した。
「エレン、すまんがこのお嬢さんを、起こしてあげなさい」
「はい、旦那様」
エレンと呼ばれた中年のメイドは、フロルの上半身をベッドからゆっくりと丁寧に起こした。
そのままフロルの背もたれに、厚手のクッションを充ててくれた。
「……どうもありがとうございます……」
フロルはエレンと呼ばれたメイドに頭を下げた。
「とんでもありません」
その時、フロルは自分が来ていた服ではなく、白く柔らかな肌心地のコットンの寝巻に着替えさせられていた。
「あ、あの……私……すみません、あ……」
「ああ、驚くのも無理はない。私はロジャー・コールマンという者だ。ここは私の本邸、コールマン伯爵家だよ」
「コールマン伯爵家?」
フロルは不思議そうに呟いた。
「そうだ、君は私の馬車の前で倒れて失神していたんだ。服もびしょ濡れだったから、とりあえず家に運んだんだよ」
「あ……」
ようやくフロルは思い出した。
──そうだった、私は車道に投げ出された杖を拾おうとして、車道に飛びだしたんだわ!
その時、突然馬車が目の前に、そして大きな馬が嘶きながら飛びあがって、今にも私に襲い掛かりそうで怖くて……。
「ねえ、わたしはパパのむすめ、アメリアよ、よろしくね!」
アメリアといった小さな女の子は、黒い前髪を真横にぴったり揃えたオカッパ頭がよく似合っていた。
前髪から見え隠れする黒眼がくりくり輝いていた。
──ふふ、ぱっつんした、オカッパ頭がとっても可愛い子だわ。
フロルは眼を細めてアメリアを見つめた。
「助けて頂きありがとうございます。申し遅れました私の名はフローラです。フローラ・ベルチェと申します」
「ベルチェ? ああ、もしかしてジョージ・ベルチェ子爵のお嬢さんかい?」
「はいそうです。あの……父をご存じなのですか?」
「ああ、何度か王宮殿でお会いした事がある。とても立派な外交官で有名な御仁だ。この国の貴族で知らぬ者はいないよ」
黒眼の美丈夫な殿方は優しい笑顔で応えてくれた。
「あ、ありがとうございます。父の事を褒めてくださり、とても光栄です」
とフロルはお礼をいったが、ハッと我にかえった。
父親からもらい受けた、トパーズの指輪を思い出したのだ。
「あ、あの……」
「何だね?」
「助けて頂いたのに申し訳ありませんが、私の着ていた服とバッグは?」
フロルは言いにくかったが、バッグの中身のネックレスと、トパーズの指輪がどこにいったのか心配で尋ねた。
「ああ、安心なさい。君の持ち物はそこの棚に全て閉まってあるよ」
とコールマン伯爵は、部屋にある戸棚を指さした。
「君にはすまなかったが、何か身元が分かるかと思ってね。服の内ポケットなどを勝手に調べさせてもらった。──その後、君の服は雨で汚れてしまったのでメイドが洗濯している。それと、身内の方に連絡しようとバッグの中身も無断で開けさせてもらったよ。──だが、それでも君の身元がわからなくて……。エレン、女の子のバッグを持ってきてくれないか」
「はい、畏まりました旦那様」
コールマン伯爵はメイドのエレンから渡された、ショルダーバッグをフロルに渡した。
フロルはバッグを受け取ると、直ぐに小物入れからネックレスと指輪がある事を確認した。
「ああ、良かった……」
フロルは指輪とネックレスが、無事だったのでほっと安堵した。
「あの……伯爵様。こうして私を助けて頂いた方に、大変失礼なことをいい申し訳ありません。けっして貴方様を疑った訳ではないのです。実は──この指輪がなくなってたらとても困るので……さきほど宝石店に売ろうと思って、急いでいたものですから」
「え、ベルチェ家の令嬢が、わざわざ宝石店に売りにいくのかね?」
「そうよ、ベルチけのれいじょうが、ほうせきうりするの?」
アメリアは父親のマネをしたいのか、オウムのように父の言葉を、たどたどしく繰り返した。
「こらアメリア! お客様に失礼だよ。パパはこの女の子と大切な話をするから。ああエレン。アメリアを子供部屋に連れていっておくれ」
「畏まりました旦那様。さあアメリア様、行きましょう」
「ええ~やだやだ! パパったらフローラちゃんをひとりじめする。わたちもあそびたかったのにぃ!」
どうやらアメリアは、フロルが自分と同じ幼い女の子と勘違いしてるようだ。
多分コールマン伯爵も──。
◇ ◇
アメリアたちが出て行った後、フロルは正直にこれまでの経緯をコールマン伯爵に説明した。
曲がりなりにもコールマン伯爵が、外交官の父を知っている御方なら、悪い人ではなさそうだとフロルは判断した。
コールマン伯爵に説明しているフロルも、何となくウンウンと頷いて自分の話を聞いてくれる見知らぬ紳士ではあったが、不思議とスラスラ淀みなく話せたのだ。
もしかしたら、フロルはずっと心に溜めていたジャンヌたちの酷い仕打ちを、ずっと誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
そう思うフロルは、コールマン伯爵に身の上話ができて、とても嬉しかった。
コールマン伯爵は、フロルの話を最後まで遮らないで黙って聞いてくれた。
フロルの話が終わった時──。
「なんと、ベルチェ子爵が行方不明と王宮の噂でもちきりだったが、子爵家がそんな悲惨な状態になっていたとは……君も大変だったね」
「はい。私も父が行方不明になってから、茫然自失の状態でしたけど、先日、家の階段から落ちて腰を痛めまして……なんといいますか。変な話ですが腰痛の強烈な痛みのおかげで、ようやく自分の境遇の酷さに目が醒めました」
「それは大変な思いをしたね。可哀そうに。──ではフロル、杖をついていたのは腰を痛めたせいかい?」
「はいそうです。これでも大分良くなりましたが、さっきの転倒で、またぶりかえしたのか少し痛いです」
──あら不思議。この御方には何故か、さっきから、こんなに正直に話せるわ。
フロルは初対面だというのに、コールマン伯爵にはまるで父親に話すように、安心して気持ちが伝えられた。
それはフロルには、とても幸福な事だと素直に感じた。
外見も伯爵の黒髪黒眼はジャンヌと一緒なのに、フロルは不思議と恐怖心はなかった。
逆にコールマン伯爵のサラサラの毛髪は、深みある光沢で漆黒色、フロルは昔見た東洋の高級漆器を連想させた。
──こうして伯爵様をお近くで見つめると、とても美しいお顔立ちだし、思ったよりお若い御方だわ。
フロルはコールマン伯爵が美男子だと意識したのか、ポッと頬が染まっていくのを自分でも感じた。
◇
「ふむ。それはいけないな、痛いならもっと早くいいなさい。ならば話は明日にしよう。とりあえず医者を呼ぶから、君はじっと動かずにそのまま待っていなさい」
コールマンは娘のアメリアに諭すように、フロルに話した。
フロルはそんなコールマン伯爵にちょっと戸惑ったものの、
「はい、お願いします。腰痛だけはどうにも私は我慢できません」
と、フロルは苦笑いをしてコールマン伯爵に頭を下げた。
「うん、君はとってもいい子だね」とニコニコしてフロルの頭を優しく撫でた。
この時のコールマン伯爵は、フロルをアメリアと同年代の幼女だと勘違いしていた。
幼い女の子が、ずいぶん、しっかりと大人びた話し方をするので、内心コールマンは「こんな幼いのにしっかりしているなと、舌を巻いていたよ」と後日、フロルに笑って説明した。




