06. フロル、馬車に牽かれる?
◇ ◇ ◇ ◇
「なんだか雨が降ってきそうだわ」
どんよりとした雲を見ながらフロルは固パンと干し肉をもぐもぐと食べていた。。
晩秋ともなると、王都の街並みも銀杏が色づき始めて秋色に変化していく。
オーバーコートを着たフロルは、早朝の公園に一人いた。
寒い朝だったので、公園内にある東屋の建物に入って暖を取っていたのだ。
子爵家を出た時、歩くための杖とショルダーバックの中には少しの着替えとタオル、水筒、櫛や歯ブラシなど身だしなみ袋と小物入れ、食糧は3日分くらいの固パンと干し肉だけだった。
そして母の形見のアクアマリンのネックレスを、小物入れに入っていた。
フロルは実家を出る前に、どうしても母の形見のネックレスだけはジャンヌから取り返したかった。
そしてジャンヌの宝石箱に母のネックレスが入ってるとわかるや、彼女の部屋を掃除した時にネックレスを抜き去るとその翌日すぐに屋敷を出た。
あのままもし屋敷にいても、ネックレスは直ぐにジャンヌに奪われて折檻されるのがオチだと理解したからだ。
──だけどこれからどうしようか?
フロルはようやく腰痛の痛みが無くなり、杖をついて歩けるまで回復はしたので、何も考えずに屋敷を飛び出てしまったのだ。
実際、行く宛はなかった。
中等女学園時代の仲良しだった貴族令嬢たちは王都に住んではいる。彼女たちの屋敷に何日か泊めてもらったとしても、あの狡賢いジャンヌの事だ。
すぐに自分の居場所を見つけ出して、大人たちには表向きは優しい母親の仮面を繕うはずだ。
そして私を無理やり屋敷に連れ戻すに違いない。
フロルはぶるっと身震いした。
これ以上、ジャンヌたちの横暴に耐えられなくて、家を出たフロルであったが、友人には迷惑をかけたくはなかった。
──そうだ、サマンサの家に行こう!
ふとフロルは田舎のサマンサの家に、身を寄せようと閃いた。
時々、サマンサから来る手紙で彼女の居場所はわかっていた。バッグの中にも何通かサマンサの手紙を、お守り代わりに入れてきたのだ。
だが、彼女の田舎はとても遠い。
王都から馬車で片道、最低でも片道、数時間ほどはかかりそうだった。
お金を持っていないフロルは、バッグの小物入れから躊躇いがちに、トパーズの指輪を取り出した。
この指輪は去年十六歳の誕生日に、父がフロルにプレゼントしてくれた初めての宝石だった。
この指輪がジャンヌの物にならなかったのは、ラーラに部屋を明け渡した際に、フロルの指に塡めてあったのでジャンヌは気付かなかった。
その時フロルは、彼女に見られないように、指輪を外してメイド服のポケットに隠したのだ。
『フロル、このトパーズの指輪は、お前のはしばみ色の瞳と同じ橙色だよ、とても暖かな色だろう!──私はお前の宝石みたいにキラキラと輝く瞳が大好きなんだよ』
と父親の温かな笑顔を、フロルは指輪を見つめながら思い出していた。
──あの時、私の瞳を見て、お父様は私の指にこの指輪をはめてくれた。
フロルは涙が溢れそうになったので、ぎゅっと固く眼を瞑った。それでもフロルの眼には涙が滲んだ。
ああ、お父様、ごめんなさい。
私は親不孝な娘です。この大切な指輪をこれから売ろうと思います。
お金がないのです。旅費の為なのです。
どうか親不孝な娘をお許し下さい。
私はどうしてもサマンサに会いたいの!
フロルは心の中で父親に詫びた。
◇ ◇
朝の通勤時間になったのか、公園にも人々の往来が始まった。
フロルは、王都の繁華街へと向かった。
大通りの横道に入った通りに宝石店があったはずと、フロルは覚えていた。
運悪くどんよりした雲から、大粒の雨が降り出してきた。
傘は持ってこなかった。
フロルは頭にフードを深く被りながら、強く降る雨をしのぎながらも、王都の人々が行き交う雑踏を歩いていく。
雨は更に激しくなっていった。
腰はまだ完治した訳ではないが、杖をつけば早足で歩いていけた。
その時だった──。
フロルの目の前に自転車に乗った少年が猛スピードで横切っていく。
「あっ!」
その拍子にフロルはバランスを崩して、杖を車道に落としてしまった。
──杖が!
フロルは杖を拾おうとして車道に飛び出した。
突然、フロルの眼の前には大きな馬車が──!
「ヒヒーン!」
「!!」
「キャ──ッ!」
「危ない!」
歩道を行き交う人々がフロルを見て叫んだ。
フロルは雨の中、車道に倒れて気絶してしまう。
「なんだなんだ、女が馬車に牽かれたぞ!」
突然の出来事で道行く人々が集まってくる。
◇ ◇
「どうした、何があった!」
フロルの目の前で止まった黒塗り馬車の中。
貴公子然とした大柄な男が窓を開けて御者に声をかけた。
「はい旦那様、いま女が杖を拾おうとしたのか、車道に飛び出して馬の嘶きに驚いたのか、そのまま転んでしまったのです」
「何だと──!」
男はシルクハットを脱いで、フロルの許へとやってきた。
フロルはフードから顔を出していた。
「君、大丈夫か!」
男はフロルを起こそうとしたが、気絶をしていて、起きそうにもない。
雨に打たれた少女の顔には泥があちこちついていて、顔色が凄く悪い。だが体をぱっと見たところ、血も付いてないし、ケガはないようだと男は幾分安堵した。
フロルはこの半年余り、大分痩せてしまい幼児のように見えた。
「なんと! 杖を拾おうとしたというから老婆と思ったら、まだおさない少女ではないか!」
美丈夫の男は驚いて、フロルをひょいと抱きかえながら、そのまま馬車に乗って王都の繁華街を後にした。