05. 腰痛のおかげで覚醒したフロル
※ 暴力的なシーンがありますのでご注意ください。
※ 2025/6/14 加筆修正済み
◇ ◇ ◇ ◇
残暑厳しい午後──。
フロルはベランダの二階を掃除していた。
同時にクッションや枕なども天気の良い日だったので干していた。
両脇にクッションをかかえながら、フロルは階段を降りようとした、その時だった。
ラーラが階下から登ってきて、フロルとすれ違いになる。
フロルはラーラに会釈をしようとしたが、ラーラがフロルの足に、自分の片足を引っかけた。
「キャアーーッ!」
フロルは体がごろごろと回り、あっという間に階下まで落ちてしまう。
頭も打ったのかフロルはそのままピクリとも動かなかった。
「キャーーアッ、フロル様──!」
フロルの悲鳴を聞いて駆け付けたメイドが叫んだ。
「あ、やだ~別にちょっとからかっただけなのに……」
といったのは階上にいたラーラだった。
流石のラーラも「やりすぎたかな」と舌をだしながらも、フロルの無様な姿を見てとても楽しそうだった。
◇ ◇
その日からフロルは寝たきりとなった。
足と腰を痛めたのだ。
二、三日するとフロルの足の打撲の腫れはひいたが、腰は打ちどころが悪くぴくりとも動かせなかった。
一応、ジャンヌはフロルが動けないので、渋々と医師にフロルを診せた。
この時代、整骨院の医師はほとんどが錬金魔術師だったので、魔石線画板を持参してフロルの腰を撮った。
「ああこれは酷いな。腰椎を二、三本骨折している、まだ若いから自然に骨はくっ付くだろうが、当分はコルセットを就寝の時も付けて、固定副木の代わりにしなさい、最低でも二カ月くらいは安静にした方がいい」とフロルは重症だと診断した。
医師の診断に大いに腹を立てたのはジャンヌだ。
「ラーラ、あんたが足を引っかけたせいで、フロルが骨折しちゃったじゃないの!」
「え、ちょっとからかうつもりだっただけよ」
「バカだね~フロルはけっこう働くんだよ。屋敷の掃除や洗濯は誰がするっていうの!」
「だったらお母様、代わりのメイドを雇えばいいじゃないの」
「あんたって子は……ああ忌々しい。働かない奴に食べさせるほど忌々しい事はないわ」
ジャンヌは悔しそうにいったが、屋敷が埃だらけになるのは我慢できず、仕方なくフロルの代わりのメイドを三人雇った。
最初は一人しか雇わなかったのだが、屋敷内は広すぎて一人ではとてもまかないきれなかった。
つまり今までフロルが一人で、朝から晩まで黙々と掃除してくれたおかげで屋敷がピカピカだったのだ。
「まったく、フロルならただで済んだものを。メイドなんかに無駄なお金を使うなんて腹が立って仕方がないわ」
ジャンヌは内心、娘のラーラを殴ってやりたい気分だった。
◇ ◇
一方、フロルはベッドの中で毎日悪戦苦闘していた。
腰の痛みが尋常でないほど痛すぎたのだ。
──ああああああ、痛くて痛くてたまらない!
フロルはジャンヌたちがいなければ『痛ぁぁああーっ!』と大声で叫び出したくなった!
腰の骨が折れると、こんなに痛いなんて……
知らなかった、腰ってすごく大切なものだったのね。
フロルは初めて腰骨を折ったせいで、腰のありがたさが痛いほど分かった。
医師は痛み止めの薬をくれたが、三日分しかもらえなかった。
ジャンヌが「薬代が高すぎる」といって、おざなり程度しか薬を購入しなかったのだ。
薬は食後一日三回とあったが、フロルは一食しか食べさせてくれなかったので、九日間薬を毎日飲んだ。痛み止めは少しは効いたのか、最初の激痛よりは大分落ち着いてきた。
二週間ほどすると、フロルはなんとか腰を屈んで、四つん這いになって部屋のトイレには一人でいけるようになった。
それまでは、新しく入ったメイドの子が毎日オマルを宛がって、フロルの汚物を処理してくれたのだ。
フロルはとても恥ずかしかったが、その新人のメイドに心から感謝をした。
更に一カ月もすると、フロルは壁づたいに歩ける迄にはなったが、腰痛の痛みは消えなかった。
一歩、歩く度にズキンズキンと腰に激痛が走ったのだ。
──痛い!痛い!痛い!! 痛すぎて発狂しそう!
くう~毎日がとても痛くて痛くてたまらない!
フロルは痛みに耐えながら、必死になって歩行訓練をした。
いつしか、自分の思考停止だった気持ちなどすっ飛んでしまった。
これまでフロルは『心の苦しみより辛いものはない』
とずっと思っていたが、それは一概には言えないと気付いた。
実際にこうして骨折した激痛からしたら『そんなものは気の持ちようで、どうとでもなる!』という、現実的な思考がフロルに初めて芽生えたのだった。
──私、凄くおバカさんだったわ。
この四カ月間、何をしていたのかしら?
お父様が船の転覆で行方不明と知って絶望した。
乳母のサマンサまで失ってさらに絶望した。
当たり前にあった恵まれた生活を、全て失ったと勘違いして私は絶望したんだわ。
フロルはベッドの中で、これまでの自分の気持ちを冷静に分析していく。
でもフロル、今のあなたのこの辛い姿はどうなの──?
腰が飛び上がる激痛に比べたら、そんなものはどうでもよくなる。
だって、これまでの私は普通に歩けていたのよ。
この二本足で大地を踏むのは当たり前だと思っていた。
だけど違った、歩けるのは当たり前なんかじゃないんだわ。
まずは一人で歩けるようになろう。
私の腰はまた治るってお医者様がいってたわ!
また歩ける、またきっと走れるのよ!
フロルは己に鼓舞した。
あの日、サマンサがいってた言葉をフロルは思い出した。
『春の大嵐が吹き荒れても、春一番は必ず過ぎ去るものだ』と。
今はどうよ、もう春なんてとっくに過ぎ去って季節はとっくに秋!
私の鼻水が凍っちゃうくらい寒い冬がもうすぐ来てしまう。
いつまでもメソメソしてたって仕方がないわ!
フロルはようやく腰痛から、自分の為すべき道を見い出した。
これまで、フロルの白いぼやけた膜がかかったような、はしばみ色の瞳は、宝石のトパーズのように橙色の光彩が戻ってきた。
そしてフロルは決心した──まずはこの屋敷から出ようと!
更に一カ月が過ぎた夜更け。
フロルは月が陰ったどんよりとした早朝に、屋敷の裏門から誰にも知られずに出て行く。
ようやく狭い鳥籠から、小鳥のフロルは大空めがけて飛び立つことが出来た。




