04. 感情が麻痺していくフロル
※ 少し暴力シーンがありますので、ご注意ください。
◇ ◇ ◇ ◇
春から夏へと季節が過ぎていく──。
大好きな父親が行方不明となり、乳母のサマンサや仲の良いメイドたちが次々と屋敷から離れていった。
フロルは自分がひとりぼっちだと身に染みて感じていた。
これは想像以上に、大きくフロルの心と体に、重く圧し掛かっていく。
これまでのフロルはいってみれば、とても綺麗で安全な鳥籠の中で大切に愛でられた小鳥。
フロルはとても可愛い小鳥の王女様。
誰もが愛でたくなるシマエナガみたいなものだった。
ある日突如として小鳥のシマエナガは、安全な鳥籠から野生の森に放りだされる。
戸惑い怯えるシマエナガ。
しかし、小鳥とはいえ翼があるはず。
小さくも羽根を広げて大空を飛べる翼があるのに、シマエナガは籠の中にいたせいで、飛び立つ事が怖くてできなかった。
外の世界が怖くてたまらないシマエナガは、そのまま自分を狙っている凶暴なメス猫や厭らしい大蛇に、ピクピクと怯えて地面に近い木陰で、ただひたすら身を潜めて、生きるしか術がなかった。
◇
「ふん、あんたにはドレスよりもこの青い服と白エプロンがお似合いだわ」
と、ジャンヌはフロルに、お古のメイド服を二枚ほど与えた。
屋敷から多くの侍従を止めさせたジャンヌは、フロルにたった一人で屋敷内の掃除を命じた。
その他、食事の後かたづけや洗濯、畑の野良仕事など、単純作業ばかりだったが、フロルを朝から晩まで働かせた。フロルが少しでもミスをすると、ジャンヌとラーラにどやされ、言い訳めいた事をいえばすぐに平手打ちをされた。
それまで“蝶よ花よ”と大切に育てられたフロルにとって、日々の生活が悪夢のように変化してしまったのだ。
屋敷に残った従者たちも『フロルお嬢様が大変お気の毒じゃ……』
と内心、誰もが思っていても見て見ぬふりをした。
『もしもフロル様を庇えば、あの女主人は更に見せしめに、ワシらの前でフロル様を折檻するに違いない』
彼等には重々ジャンヌの残虐さを承知していた。
それに従事者たちも自分たちの生活が懸かっている。
家族を養うために仕事も失いたくはなかった。
それでも一日一食しか与えないフロルを見るに見かねた庭畑の農民や従者たちは、ジャンヌたちに隠れて果物や野菜をフロルに分け与えた。
料理長のサムもこっそりとフロルの部屋に、時々、温かいミルクやクッキーなどの夜食を持って行ってあげた。
いつもお腹がペコペコに空かしていたフロルには、彼等の気遣いがとてもありがたかった。
フロルは殺風景なメイド部屋で、ひとりぼっちで夜中に温かなミルクを飲む。
「子供の頃は毎晩、乳母のサマンサがベッドで絵本を読んでいる私に、温かなミルクを持ってきて一緒に、私が眠くなるまで絵本を読んでくれたわ……」
フロルは子供の頃を思い出して、とてもサマンサが恋しくて泣いた。
◇
こうしてフロルは夏が終わる頃には、すっかりメイド化し機械人形のように、ジャンヌたちの前では黙々と仕事をこなした。
ただ一つだけ、フロルが身の危険を感知したのが、異母兄のヤコブだ。
彼は普段は無口だったが、常にフロルをジロジロと嫌らしい眼で凝視していた。
フロルは継母たちの仕打ちには慣れたが、ヤコブだけは女の直感が働くのか常に気を付けて接していた。
それは彼女が一人で掃除をしている時など、ヤコブが背後から来てフロルの髪や体にベタベタと触れてくる時があるからだ。
◇ ◇
ある日の事、フロルが一人納屋で掃除をしていたら、突如ヤコブが藁の中から飛び出てきてフロルを襲った!
「キャッ!」
ヤコブはフロルが来る前に納屋の藁に潜んでいたのか、あっという間にフロルに抱きついてきた!
「ひぃ……や、止めてください!」
「あんた、本当に小鳥みたいですっごく可愛いな~たまんないよ!」
ヤコブはギラギラした目をして、フロルのメイド服を剥ぎ取ろうとした。
「キャ────ッ!」
その時はフロルは必死に出した悲鳴で、御者や農民等が何事かと駆けつけてきてくれたので、大事にならずに済んだ。
だが、それ以来フロルはヤコブと目が合う度に恐怖で体がすくんでしまう。
「あんな人、絶対に私の異母兄なんかじゃない、実のお兄様なら私を襲ったりなんかしないわ!」
フロルはヤコブだけは喪失した感情をかきむしられた。
それ以来、フロルは一人ではけっして納屋に近づかないようにした。
ヤコブも侍従たちにフロルを犯そうとした場面を見られたせいで、母親に告げ口でもされたら面倒だと思い、それ以来フロルを襲うのは控えた。
だが、それでもヤコブは毎日フラフラと屋敷内にいて、フロルという小動物を狙う蛇のようににやつきながら、ねちっこく凝視していた。
農民や庭師たちも、さすがにフロルが気の毒すぎてヤコブには目を光らせようと皆で相談して対応した。
彼等も心底、怒っていた。
いかに屋敷の主人が変わったとはいえ、ジョージ子爵には大変お世話になった従者たちばかりだったのだ。
可愛いフロルお嬢様をあんな輩に、手籠めにされる訳にはいかなかった。
◇
そうこうしていく内に月日は過ぎ、フロルの感情はジャンヌたちの抑圧によって徐々に麻痺していく。
それはフロルにとっては一番恐ろしい感覚だった。
あれほど怖かったヤコブへの恐怖心も薄れていくほどなのだ。
ある朝、フロルは起きた時、何の感情も抱かなくなってしまう。
フロルはいつものように屋敷の部屋を掃除中に、磨かれていない鏡台に映る自分を、ぼおっと見つめた。
そこに映るフロルには表情がなかった。
無気力でみすぼらしいやせっぽちの見知らぬ少女がいた。
「あなたは誰なの?」とフロルは呟いた。
今のフロルの心中はただ一つだけ。
あの人たちに叩かれないように、
あの人たちに怒鳴られないように、
あの人たちを怒らせないように。
フロルは、魔女たちに言われた通りの仕事をこなしていく奴隷。
フロルはジャンヌの奴隷と化していったのだ。