03. 全ての物を奪われたフロル
◇ ◇ ◇ ◇
ジャンヌはベルチェ子爵家の新たな女主人となった。
ベルチェ家の縁戚は殆どなく、誰一人ジャンヌの横暴を阻止する者はいなかった。
唯一いたのがジョージが隣国へ発つ前に、ヤコブを調査依頼した弁護士チームだったが、彼らもジャンヌによって辞めさせられていた。
ジャンヌはベルチェ家には少額の遺産しか残ってないという理由で、屋敷の家令たちを勝手に辞めさせていった。
フロルの乳母のサマンサや、ジョージの片腕とまで云われた熟練の執事まで解雇する有り様だ。
要は一人娘のフロルを孤立させるのが目的だった。
結局、屋敷に残したのは、自給自足の食糧を保持する為の農民数名と、庭園の見栄えを維持する庭師二名。牛や豚など家畜の世話係と馬車の御者一名ずつ。
そして料理長のサムと、メイドはたった二名しかいなかった。
その二人のメイドもジャンヌとラーラが気に入った者だけを残して、フロルの専属メイド三名はまっさきに強制解雇した。
フロルは若いメイドたちが解雇されたのも悲しんだが、何よりも赤ん坊の頃から世話をしてくれた、大好きな乳母と分かれるのが一番堪えた。
「お願いサマンサ、どうか行かないで、行くなら私も連れてって、一人ぼっちになるのは嫌よ」
「フロルお嬢様、私もそうしたいのはやまやまですが、まだ旦那様は亡くなったわけではございません。諦めずにここはどうか強く生きてくださいませ!」
「そんなの無理だわ、サマンサ……」フロルは大粒の涙が溢れかえる。
「お嬢様よろしいですか! このベルチェ子爵家の令嬢はフロルお嬢様お一人しかおりません。今は春の大嵐が吹き荒れていますが、この嵐はいずれは過ぎ去って穏やかな日が必ず来ます──それ迄はどうかお気を強くお持ちください──貴方様にとって再び幸が廻りくる季節になりますよう、サマンサは心よりいつも祈ってますからね」
「おお、サマンサ、行かないで!」
フロルとサマンサはお互い泣きながら抱擁し、最後の別れを惜しんだ。
屋敷の家令たちを次々と解雇したジャンヌは、夫の不在を良い事に傲慢な女主人と化していく。
まず手始めは、フロルの豪華な部屋を娘のラーラの部屋に変えた。
フロルは強制的に一階の北奥のメイド部屋に移動させた。
「いいかいフロル、もうあんたの大好きな父親は、この世にはいないようなもんだ。これからは私がお前の母親だからね。私の母国では、娘は母親に服従するのが当たり前なのよ」
「そうよ、あんたは私より一つ下だから妹になるわ。目上の者には絶対服従よ、あんたのモノは私のモノ──ねえお母様、フロルのドレスのサイズ、私に殆どぴったりだわ。──少しウエストと胸元が窮屈だけど……」
ジャンヌと義姉のラーラは、フロルの部屋に勝手に上がり込んで、フロルの広々としたクローゼットから、お気に入りのドレスを何枚も試着していく。
「まあラーラ、それは良かったじゃないの。こんな小娘にジョージは何十着も洒落たドレスを作ったんだか、贅沢きわまりないわ!」
二人を見つめていたフロルは恐る恐る言った。
「あの……ドレスやアクセサリーなどは、義姉さまに差し上げます。ただ母の形見のネックレスだけは返してください。亡き母の大切な宝物なんです」
「ああ、このアクアマリンの銀のネックレスね」
ジャンヌは意地悪そうに宝石箱から、母親の形見のネックレスをつまんで、片手でプラチナの鎖を無造作にぶらぶらさせた。
──酷い!
フロルはジャンヌが、母の形見のネックレスを邪険に扱うのが許せなかった。
「ふん何よ、その不満な顔は⋯⋯ま、確かにとても綺麗なネックレスだね。でも亡き母って、あんたの母親はもう私なんだよ。それにこんな高価な物、まだ子供のあんたには必要ないわ、私が貰っておきます」
「そんな、返してください……」
「うるさいね、母親に口答えすんじゃないよ!」
ジャンヌはバシッと思いっきり、フロルに平手打ちをした。
「ひっ……」
フロルはジャンヌに平手打ちをされて床に倒れ込む。
「いいかい、これからは私があんたの義母なんだ、私のいう事は絶対だよ!」
「あっ⋯⋯」
フロルはぶたれた頬を震える手で押さえた。
生まれて初めて人から叩かれたフロル。
それだけで、この蛇のように自分を睨みつける、黒い眼をした年増女が怖くて逃げだしたくなった。
この時の恐怖から、フロルはジャンヌとラーラにほとんど口答えをしなくなった。