02. ジョージ子爵、隣国へと旅立つ
2026/7/31 修正済
◇ ◇ ◇ ◇
フロルはこの春で十七歳になった。
彼女の母はフロルが幼い頃、病いで亡くなっていた。
母親はフロルとよく似た銀髪で、光の加減で銀色にも橙色にも映る、はしばみ色の瞳がとても美しい人だった。
父親のジョージ子爵は、妻をいたく愛していたので、彼女の忘れ形見のフロルを溺愛した。
◇
その夜、ジョージ子爵はフロルに正直にジャンヌとの過去を説明する。
「フロルすまない。確かにジャンヌは昔、私が隣国へ留学していた時に付き合った女性だ」
と嫌々ながらも認めた。
当時、ジャンヌは隣国の男爵令嬢だった。
ジョージは大学の留学生として招かれた夏の王宮舞踏会で、ジャンヌと知り合った。
その時、若気のいたりでジャンヌと、つかの間のアバンチュールを愉しんだという。
だが既にジャンヌには、伯爵家の令息である婚約者がいたので、二人の関係は遊びで終わる。
その後、ジョージが留学を終えて帰国しそれっきりジャンヌとは一度も会っていなかった。
それなのに二十二年以上の歳月が流れ、突然昔の別れた恋人が屋敷に現れたのだ。
『ヤコブは貴方の子供よ』と唐突に言われても、ジョージ子爵は一切信じなかった。
息子のヤコブが本当に二十一なら、ジョージ子爵の留学期間中に、ジャンヌが彼の子を宿せば、確かに年齢だけは一致する。
「だがフロル、信じて欲しい。あの男は断じて私の息子ではない! これは直感なんだが私にはわかる!」
「はいお父様。私もそう思います。最初は驚いてしまったけど、あの人はお父様とお顔立ちも、雰囲気もまったく似てませんもの」
フロルも父に同意した。
それにフロルは、ヤコブが初対面の時から何か自分をジロジロと蛇のような、厭らしい目線を送っている事に嫌悪感を抱いていた。
「フロル、当時からジャンヌは派手な女だった。そもそも婚約者がいるのに、何人もの男たちを誘っていたんだ。私もその内の一人に過ぎない。──もしヤコブが亡夫の子でないというなら、明らかに他の愛人との子供だろう」
ジョージ子爵はフロルに断言した。
◇
しかし、翌日もジャンヌは「ヤコブは貴方の息子だ!」と一転張りに主張するばかり。
何度となく口論の末、このままでは埒があかないとジョージ子爵は決意した。
本当にヤコブがジョージの実の子かどうか?
ジャンヌの身辺調査を顧問弁護士に依頼する事にした。
また、彼は母国の外交官なので、ちょうど来月、隣国に国王から依頼された案件で、外交に向かう予定だった。
──ちょうどいい。隣国へ赴き、自らも弁護士と一緒に調査ができる。
だが、ジョージ子爵が隣国から戻るまでは、王国に来たばかり。行く宛のないジャンヌと二人の子供たちを、屋敷に居座らざるを得なくなった。
ジョージ子爵がいくら「出ていけ!」といっても、三人は我が物顔で一歩たりとも、屋敷から出ようとはしない。
まるでハイエナのような親子たちだった。
仕方なくジョージ子爵は問題が解決する迄は、屋敷に滞在させるしかなかった。
◇ ◇
「フロル、あの女が私とお前を陥れようとしているのは明白だ。私はあいつらの化けの皮を何としても剥がしてやる!──来週から仕事と調査も兼ねて隣国へ行ってくるから、私が帰ってくるまで少しの間だけ、どうか辛抱しておくれ」
「お父様……」
フロルは承知したものの、何やら胸騒ぎがしてならなかった。
こんな状況下で父親が旅立つのが、とても恐ろしかった。
「いいかい、私の娘はフロル。お前ただ一人だけだ。執事や乳母のサマンサたちにも、しっかりお前の事を頼んでおく。どうか体だけはくれぐれも気をつけるんだよ!」
「お父様! お願いです。どうか一日でも早く帰ってきてください。フロルはあの人たちの毒蛇みたいな黒い眼がとても恐ろしくてたまりません!」
フロルはうるうると、瞳に涙を一杯浮かべて父親に哀願した。
「おお私のフロル、こんな事になって本当にすまない。だが私はけっしてこのままにはしてはおかない。こうなった以上、徹底的にジャンヌたちと戦うつもりだ!」
こうして父親のジョージはフロルをきつく抱きしめて、決意も新たに隣国へと旅立っていった。
◇ ◇
しかし──。
父の決意も空しく数日後、ベルチェ家に一通の電報が届いた。
ジョージ子爵を乗せた隣国船が、季節外れの大嵐に遭い転覆して、多くの乗客が海の中に消えたという。
それでも殆どの乗客が亡くなった中で、ジョージ子爵の遺体はまだ見つからず行方不明とあった。
その知らせを受けたジャンヌとフロル。
ジャンヌは運命が自分の味方をしてくれたと、内心ひた隠すように静かに微笑んだ。
対してフロルは運命の残酷さに、人の目も憚らずに大声をあげて嘆き悲しんだ。
「ああ、サマンサ、お父様が、お父様が……」
フロルは絶望して、乳母のサマンサに泣きついた。
「嘘よ……行方不明なんて嘘⋯⋯私はどうしたらいいの!」
「フロルお嬢様、どうか、お気を強く持ってくださいまし。まだ旦那様は亡くなったわけではございませんよ!」
サマンサはフロルを優しく抱きしめながらも励まし、フロルの悲しみを受け止めた。
その二人の抱き合う姿を遠目で見ていたジャンヌ。
「ふん、あの乳母はとんと邪魔だわね」
と忌々しげに呟いた。
◇ ◇
数日が経過して屋敷中の家令たちが、主のジョージ子爵の悲しみに暮れているにも関かわらず、ジャンヌは新たな行動に出た。
まず、自分の息子のヤコブをベルチェ家の跡継ぎ代行にする為に前もって作成していたのか、ジョージ子爵との婚姻届を役場へ提出してしまった。
これには屋敷の一同が驚愕した。
一体なぜ、婚姻届にジョージ子爵の実印が押印してあったのか?
謎だがジョージ子爵の実印が押してある限り、二人の結婚は成立してしまう。
「信じられない、悪夢だわ。あの人が私の母親になるなんて⋯⋯サマンサ、嘘よ。お父様が押印するわけないわ! あの人が何かしら謀ったに違いない! ああ、お父様!」
フロルは絶望して、ただただ嘆くばかりだった。
この時のフロルは親鳥を失くし、ただメソメソと泣く雛鳥そのものだった。




