ガーディアン③
怪訝な顔をする僕に気がついたのか、隈井さんが「ああ」と僕を見て、教えてくれた。「君が知らないのも無理はない。この辺りに伝わる伝説の妖怪――みたいなものだ。この辺には昔から、体は熊で、顔は猿のクマゼコという化け物が住んでいるという言い伝えがある。夜中に畑を荒らしたり、子供をさらって、油を取ったりすると言われている。こいつを怒らせると五本の爪で襲いかかって来る。鋭い爪で切り裂かれ、頭からバリバリと喰われるらしい」
この辺にそんな妖怪伝説があるなんて、知らなかった。
「ところで、首藤医師の行方は分かりましたか?」
「いえ。診療所に彼の姿はありませんでした。車が停めてあるので、遠くには行っていないと思います」
診療所の前に停めてある軽自動は首藤医師のもののようだ。
三苫巡査部長が続けて言う。「芦刈喜則さんによれば、昨日の午前中、畑で農作業をしている時、首藤医師が入田家へ往診に行く姿をみかけたそうです。だが、戻って来るのは見ていないと言っています。ですが、一日、畑で見張っていた訳ではないので、戻って来るのに気がつかなかっただけかもしれない。そう証言しています」
「入田家に確認に行く必要がありますね」と隈井さんが言った時、「どんな塩梅かな?」と痩身で色黒、短髪の老人が待合室に姿を現した。
「あっ!困ります。芦刈さん、中に入ってこられちゃあ」と三苫巡査部長が慌てて、老人を制した。どうやら遺体の発見者の一人、芦刈喜則さんのようだ。
「だって刑事さん、後でまた話を聞きに来ると言ったのに、何時まで経っても来ない。だから様子を見に来たんだ」
「ああ、丁度良い」隈井さんは芦刈さんに近づくと、「芦刈喜則さんですね。首藤医師の行方を捜しています。昨日、入田さんの家に行く姿を目撃なさったとか」と声をかけた。
「見ましたよ」
「彼を入田さんの家に案内してもらえませんか?まだ首藤医師がいるのかどうか、確認したいのです」
隈井さんが僕を指さした。うへっ、僕が確認に行かされるのだ。
「お安いご用だ」芦刈さんが頷く。
「頼んだぞ」と僕は、芦刈さんに引きずられるようにして診療所を出た。
緩やかな上り坂が続いている。道の両側に田んぼが広がっていた。平地の少ない七軒屋だ。段々畑になっている。斜面をめいっぱい使い、日光を集めるかのように田んぼが連なっていた。
田んぼが切れると林が広がっており、左手に見える林の向う側は切り立った崖だ。
青葉に、稲穂に、太陽の光が反射している。空気が薄いせいかもしれない。輝いて見えた。いや、そんな高地ではない。都会の喧騒に慣れ切ってしまい、村の自然が眩しく見えるのだ。
「のどかなところですねぇ~」と呟くと、芦刈さんは「田舎だってことだ」と身も蓋も無い言い方をした。そして、「そういやあ~刑事さん。順さんの、あの傷を見たか?あれはクマゼコの仕業だ。違いない。診療所に入った時に、獣の匂いがしたんだ。あいつだ。クマゼコが順さんを切り刻んだんだ」と言って、まじまじと僕の顔を見た。
どうだろう?事件後、診療所は血の匂いが充満していたはずだ。血の匂いを獣の匂いと間違えただけだろう。
「検死の為に運び出された後でしたので、遺体は見ていません」
「そうか。あんた、見ていないのか。ひどいもんだった」
良かった。見なくて。
「ところで、入田さんって、どういう方です?」話を変えた。
「壱の屋か?あれはげってんだ」
「げってん?」
「変わったやつだと言うことよ。人が右向きゃあ、左を向くようなやつだ。でも、笑うとえくぼが出来てな。娘のような顔になる。今年の春に連れ合いを亡くして、わたしもそうだが、何もかもが嫌になってしまったようだ。もともと頑固な性格だったが、益々、意固地になってしまった。最近は全く、近所付き合いをしなくなっていた」
「先程から入田さんのこと、壱の屋って呼んでいます?」
「屋号だ。村の人間なら、みな、屋号を持っている」
新入りの恵良家以外、皆、屋号を持っていて、入田家が壱の屋、被害者の服部家が弐の屋、桶屋が黒枝家、そして、芦刈家は鍛冶屋だと教えてくれた。
「へえ~面白いですね」
「そうかい。生まれた時から背負っているものだ。面白いかどうかなんて分からない」
「入田さん、奥さんを亡くされたばかりなのですね」
「由香里さんだ。後妻よ。中津の飲み屋で働いていたらしい。水商売の人間にしては、しっかりしていてな。ここに来てからは、畑仕事に精を出していた。壱の屋は前の奥さんとの間に娘が一人いてな。由香里さんに気を使ったのか連絡を取っていないようだ。ろくに養育費を払って来なかったので、会す顔がないのだろう。今ではもう赤の他人だ」
道が急坂となった。息が切れる。
「刑事さん。きつそうだな」
「はは。芦刈さんはお元気ですね。足腰が達者だ」
「村外れに、ぶどう畑がある。ぶどう栽培は爺様の代に初めて、わしで三代目となる家業だ。ぶどう畑に通っているから、足も丈夫になるさ」
坂を上りきったところに入田家の門があった。
「この坂じゃ。鶏も登って来ない。壱の屋は痛風持ち、足が悪かったから、出不精になるのも無理はない」
平地の少ない七軒屋だが、入田家の敷地には、庭としては広すぎる土地が広がっていた。庭兼自家用菜園となっている。
「お~い、壱の屋よ~いるか~? 孝道さんや~」声高に呼ばわりながら、芦刈さんが玄関のドアを開けた。
鍵はかかっていなかった。田舎のことだ。鍵をかける習慣がなかったりする。
「邪魔するぞ~首藤先生が、こっちに来ておらんか~?」
ドアを開けると土間が広がっていた。芦刈さんが靴を脱いで屋敷に上がり込んだ。立派な家宅侵入だ。迷ったが「失礼します」と一言、断ってから後に続いた。




