山小屋の怪人①
一人の中年男が両脇を抱えられるようにして山から降りてきた。
ガリガリにやせ細り、着ている服は泥まみれだ。太い眉毛に四角い顔、顎が細い。ところどころ赤黒く変色している。血痕のように見えた。幽鬼のような男が呆然と疲れ切った表情で、消防団員に引きずられるようにして歩いてくる。
隈井さんの指示に従い、男の素性を確認してもらうために芦刈さんに待機してもらっていた。芦刈さんと二人、診療所の前で男が連行されて来るのを待っていた。
「あれは――公正さん」
芦刈さんが呟く。
「公正さんと言うと田口公正さんですか⁉」
「ああ、そうだ。薄汚れてしまっているが公正さんに間違いない」
男は黒枝裕紀さんを誤って射殺してしまい、村から消えた田口公正だった。何故、七軒屋の外れの山小屋に一人、潜んでいたのか? 一連の事件の犯人は田口公正なのだろうか?
屈強の消防隊員に両脇を固められたまま田口公正が目の前を通り過ぎて行った。
「公正さん!」と芦刈さんが呼びかけたが、田口公正はほんの一瞬、芦刈さんを見ただけだった。疲れ切った表情のまま、パトカーに押し込められ、連行されて行った。
田口公正に遅れて隈井さんがやって来た。田口公正と一緒に山を降りてきたはずだが、普段通りだ。汗はかいていたが、表情に疲れは浮かんでいない。細く見えるが、隈井さんは体力がある。
「どうだった?」と隈井さんに聞かれた。
「はい。男は田口公正だと言うことです」
「田口公正?猟銃事件のあと、村から姿を消した男か。まさかずっと山小屋に潜んでいた訳でもあるまいに・・・」
――そうか。その可能性があったな。
これは広大君だ。
「男の素性について、係長に報告してくるよ」
隈井さんは診療所で指揮を執る係長に報告に行った。
田口公正からの事情聴取は中津署で行われることになった。
「隈井君から聞いているぞ。張り切っているみたいじゃないか。時折、はっとさせられるようなことを言うと隈井君が褒めていたぞ」
診療所から出てきた係長が僕に近づいてくると、いきなりそう言った。隈井さんが言ってくれたようだ。嬉しい。
係長はたたき上げの優秀な刑事だ。捜査経験が豊富で、事件の読みも的確だ。朴訥とした農夫のような風貌で、一見、無口に見えるが、実はよくしゃべる。「七軒屋にいても違和感がない。ここの住人のようだ」と隈井さんが言っていた。
怪しい男を確保したことでご機嫌だった。中津署での取り調べを「俺がやる」と張り切っていた。
「君たちは俺の代わりに山狩りを監視していれくれ。何かあれば、直ぐに連絡をくれ」
係長はそう言い残して、怪しい男と一緒にパトカーに乗り込み、中津署に向かった。
――昴君。家、ほら、田口公正の家があっただろう。あそこだ。調べてみた方が良い。何かみつかるかもしれない。
「分かった」
係長に褒められたのは、広大君のアドバイスがあったからだ。広大君のアドバイスには従っておいた方が良い。
山狩りの指揮を任された隈井さんは、何事か消防隊員と話し込んでいた。話が終わるのを待って、「隈井さん。山小屋の怪人の正体が田口公正だったのなら、彼の家を捜索した方が良いんじゃありませんか?」と伝えた。
「ああ、そうだな。緊急事態だ。捜索してみよう。芦刈さんは何処だ? 日頃、田口家の手入れをしていたはずだ。何か変わったところがあれば、気が付くはずだ。芦刈さんに案内してもらおう」
「はい」そう言えば姿が見えない。
芦刈さんを探すと、診療所の待合室に呆然と虚空を見つめながら腰かけていた。「芦刈さん」と声をかけると、「ああ、刑事さん。一体、どういうことでしょうね。山に公正さんがいた。彼が順さんを殺したのでしょうか?」と泣きそうな顔で尋ねてきた。
「まだ分かりません。中津署で田口さんから事情を聞くことになりますので、その辺、はっきりしてくると思いますよ」
「公正さんにはちょっと怖いところがあってな」
「怖いところ?」
「うん。裕紀さんが撃たれて亡くなった時、事故なんかじゃなくて、狙って撃ったなんていう噂が流れたくらいだ」
「狙って撃った⁉」とは穏やかでない。殺人事件だ。「二人の間に諍い事でもあったのですか?」
「狭い村だ。争いごとは大抵、水だ」
なるほど、村には細い川が一本、流れているだけだ。
「あの年は日照りが続いてな。飲み水は井戸水で何とかなっていたが、畑となるとそうは行かない。裕紀さんの畑が公正さんの畑の上にあって、裕紀さんの畑に水を入れたら、公正さんの畑に水が回らないようになってしまった。それで言い争いになったことがあった」
「だから田口公正が黒田裕紀さんを猟銃で射殺したと言うのですか?」
「まあそういった噂だ。刑事さん。あくまで噂だよ。だけどな、ひょっとしたら公正さんならやりかねないと人に思わせるところがあった」
「ああ、なるほど」狂気をはらんだ人物であったようだ。
「田口公正さんの家を確認したいのですが、一緒に来てもらえませんか?」
芦刈さんは「ああ」と大儀そうに腰を上げた。
三人で田口家を目指した。
服部家、芦刈家、黒枝家を通り過ぎると、道は坂道になり、しばらく登ると廃屋となった田口家がある。芦刈さんが手入れしているため、廃屋と言ってもそれほど荒れ果ててはいない。
芦刈さんは「よいしょっと――」と手慣れた様子で、母屋の雨戸を開けて、「さあ、お上がんなさい」とまるで我が家のように言った。
屋敷内を見て回る。




