蛍と貫之①
村の入り口からあぜ道を進むと、黒枝家がある。自宅前に引水路があり、板で作った小さな橋を渡ると黒枝家の玄関だ。
「水が綺麗ですね。都会でこんな綺麗な水、お目にかかれません」
「そうか」と隈井さんが冷たく返事をした。
黒枝家を訪ねると、幹江さんがいた。出歩くこともないだろう。
「黒枝のおばあちゃん、こんにちは。また、お話を聞かせてもらいに来ました」
隈井さんが声をかけると、幹江さんは「あら、まあ、お客さんなんて珍しい。さあさ、上がって下さいな。今、お茶を煎れます」と愛想良く迎え入れてくれた。
応接間に通されると、幹江さんは手際よくお茶を煎れてくれた。
「黒枝さん、入田孝道さんや服部順治さんが亡くなりました。殺されたのです。首藤医師は行方不明ですし、何かご存知ありませんか?」隈井さんが質問を始めた。
「おう、ヨシさんから聞いた、聞いた。ほんつ、恐ろしいことだ」
幹江が答えた。当たりだ。今日は頭がはっきりしている。
幹江さんは「よいしょっ」と言って座り込むと、「首藤先生がおらんようになって、薬をどうしたもんか困っている。ヤブだったけど、薬は信用できた。ヨシさんが、いざとなったら、中津の病院までもらいにいってやると言ってくれるけど、迷惑をかけてばかりじゃ申し訳ない」
「どこかお悪いのですか?」
「この年だ。悪いとこだらけだ。足が悪いので、最近は歩くのが億劫になった。お地蔵さんに詣でる以外、外に出ることはない。週に一度、首藤先生に診てもらっていた。診察の日に、あげなことになったから、薬をもらえなかった」
「ほう。事件があった日に、首藤医師は黒枝さんの家に診察に来る予定だったのですね?」
「ああ。いつも壱の屋に寄ってから、うちに回ってくれていた。壱の屋も足が悪かったから、首藤先生に毎週、診てもらっていたはずだ」
首藤医師は毎週、入田孝道さんと黒枝幹江さんの往診をしていたようだ。
「なるほど。ところで、最近、見知らぬ人が村に居るのを見たことはありませんか?」
「うん、見た」
「何時、どこで見ました?」
「今日、あんたたち。見慣れん顔だ」
「ああ・・・」頭はしっかりしている。
隈井さんがじろりと僕を見た。事情聴取をやってみろと言っているのだ。
「黒枝さん、家の前に綺麗な小川が流れていますね。とっても水が綺麗でした。そろそろ夏ですので、夜になると蛍がいっぱい飛ぶんじゃありませんか?」
隈井さんは、何を聞いているんだと思ったことだろう。
「蛍かい。蛍なら、いっぱい飛んでいるぞ。今頃は、夜になると蛍が綺麗だ。そうそう。夏になると蛍の悲しい、悲しい話をよくガキたちに話して聞かせたっけな」
「蛍の悲しい、悲しいお話ですか?」
「随分と昔の話だ。聞きたいか?」
「ええ、お願いします」
「加志崎家に蛍という、それは、それは美しい女子がおった。蛍と参の屋の貫之は幼馴染で、まるで兄妹のように仲が良かった」
幹江さんが、昔話を語り始めた。
何時頃の話かと尋ねると、江戸時代だと言う。七軒屋のひとつ、馬廻の加志崎家に蛍という名の美しい少女がいた。少女は参の屋の田口貫之と兄妹のようにして育った。年頃になると、二人はお互いに相手を意識するようになり、禁断の恋に落ちた。
「村には鉄の掟があった。結婚相手は村の年寄りが決める。それには逆らえん」
七軒屋では血の濃い薄いが婚姻の目安となった。このため、若者の婚姻は、村の年寄りが寄り集まって決めた。誰それの親父は誰の息子だというような家系が村人同士の婚姻の決め手となる。必然、昔のことを良く知る年寄りが若者の結婚相手を決めることになった。
現在の民法では四親等以降の傍系血族であれば結婚は認められている。だが、七軒屋では血が濃くなり過ぎないように四親等まで、所謂、従兄弟同士までの結婚を村の掟として禁じていた。
蛍の父親と貫之の母親が兄妹であり、二人の結婚は七軒屋では認められなかった。
「大きな声じゃあ言えんが、この村には悪しき習慣があった」
幹江さんが言う。クマゼコのことだ。世帯数の少ない七軒屋では、世代を経て婚姻を重ねるにつれ、血が濃くなってしまった。これを避ける為、七軒屋の男たちは近隣の農村から女の子をさらって来ては育て、村の男たちの嫁にした。村外から新鮮な血をかどわかして来るという蛮行を繰り返していた。だから、この辺りにクマゼコの伝説が生まれたのだ。
「当然、二人は七軒屋の掟を知っておった。だが、濁流に押し流されるように傾いて行くお互いの感情を押し留めることができなかった。この世で一緒になれないなら、あの世で一緒になろう。二人は思い詰めてしまった。ここで登場するのが黒枝同喜だ」
幹江さんの口調が、芝居がかってきた。
「名前の通り、黒枝同喜はうちの先祖の一人だ。強情な二人に手を焼いた両家の大人は、村の年寄りに集まってもらい、二人をどうするのか決めてもらった。村の年寄たちは、加志崎蛍を黒枝同喜に娶わせるという決定を下した。
同喜は次男坊、兄が早世しない限り、ごく潰しとして一生を終えるしかない境遇だった。蛍を娶れば分家を持たせるという好餌を村の年寄りたちから提示され、同喜は狂喜した。
ただ、命を捨ててかかっている二人には、村の年寄りの決定など何の効力もなかった。蛍の頑強な反対に遭い、ずるずると婚礼の日が先延ばしになっている内に、痺れを切らした同喜は加志崎家に乗り込んだ。そして、風のように蛍を連れ去った」
面白い。幹江さんは話し上手だ。幹江さんの昔話を渋い顔で聞いていた隈井さんだったが、話に引き込まれている。真剣な表情で幹江さんの話に聞き入っていた。




