姥捨て山①
「あの人はお山にいる。会いに行かねば。私が行ってあげねば」
部屋にこもりっきりの服部由紀さんを心配して、様子を見に来た芦刈さんに、彼女はそう呟いたと言う。
芦刈さんはナスの根付をする手を休め、汗を拭った。
梅雨時とあって、雨に祟られると二、三日、作業が進まなくなる。今日は、絶好の畑日和だ。秘境とも言える七軒屋でも夏は暑い。梅雨が明けると、直ぐに暑い夏が駆け足でやって来る。
「山にいると言うのはどういうことでしょうか?」
隈井さんが尋ねる。
「それは――」と芦刈さんが説明してくれた。
「ご先祖様はお山から、わたしたちのことを見守ってくれている」
村ではそう言い伝えられてきた。
「村から三日三晩、歩き続けると賽の原という岩と石ばかりの寂しい場所がある。そこにご先祖様たちがいる。賽の原に集まって、日夜、村の者たちのことを案じてくれている。子供の頃は、石ばかり転がっている平地にご先祖様たちが、火を囲んで集まっている光景を思い描いたものだ。その光景には暖かさを感じると共に、どこか空恐ろしくもあった」
由紀さんは夫を失い、平常心を失っていた。夫が賽の原にいると、うわごとの様に繰り返していたというのだ。
「息子さんがいたはずです。彼のところに行ったのでは?」
「順一郎君かい。由紀さんが電話をして、父親の非業の死を伝えると、順一郎君は、母さん、今はまずいと言ったらしい」
「今はまずい?」
「順一郎君は派遣社員として働いていて、今、何か問題を起こすと会社を解雇されてしまうと言うことらしい」
父親は殺人事件の被害者だが、そもそも殺人事件に巻き込まれたということは、それなりの理由があったのではないか?そう会社に勘ぐられてしまう。それを順一郎君は心配していた。
「順一郎君は難産でな。順一郎君を産んだ時、由紀さんは死にかけた」と芦刈さんは言う。
妊娠中に「妊娠中毒症」と呼ばれる「妊娠高血圧症候群」を発症したのだ。妊婦に高血圧、蛋白尿、むくみの症状が現れる病気だ。中津の病院に入院し、健康な男児を出産したが、産後に高血圧状態が続き、けいれんを起こした。由紀さんは生死の境を彷徨った。
「順さんは生まれたての赤子をほったらかしにして、由紀さんに付き添った。由紀さんの手を握り、大丈夫だ、わしがついていると繰り返したらしい。由紀さんが正気に戻った時、順さんは涙を流して喜んだらしい。その話をする時、由紀さんは何時も嬉しそうだった。そして、順さんは、もう良いよって恥ずかしそうに言うんだ。そうやって命がけで産んだ子だったのに・・・」と芦刈さんが寂しそうに言った。
一人息子に冷たくあしらわれ、自宅に閉じこもって、悲しみに暮れる日々を過ごしている内に、由紀さんは正気を失ってしまったようだ。いつしか、賽の原で、夫が待っていると信じ込んでしまった。芦刈さんはそう言う。そして、衝撃的なことを言った。
「平地の少ない七軒屋では年間の収穫量に限りがある。必然、養うことのできる住民の数が限られて来る。昔は、口減らしのために、動けなくなった親を山に遺棄する姥捨ての習慣が七軒屋にもあったという話だ」
――捨てられた親たちは山で子供たちのことを見守ってくれている。姥捨ての大罪を犯した村人が都合よく考えたのが賽の原の話なのだろうね。
広大君の言う通りだ。
「女性の足です。すぐに見つかるでしょう」と隈井さんが言うと、芦刈さんは「いいや」と否定した。「村のおなごは、若い頃から山菜を求めて山を歩き回っている。足腰が達者なものが多い」と言うのだ。
「山狩りをやるしかない」
隈井さんが呟く。「首藤医師の行方も分からない。ここは動員をかけて山狩りをやって、虱潰しに探すしかない」
山狩り。聞いたことはあるが、参加したことがない。山狩りという言葉を聞いただけで心臓がドキドキした。
「芦刈さんにお伺いしたいことがあります。ここ、七軒屋に宗家と呼ばれた塩市家という家があったそうですね」
「おう。宗家か」
芦刈さんは入田家を仰ぎ見た。
「北九州から七軒屋に戻って驚いたことが、宗家が無くなっていたことだ。そして、宗家の屋敷に入田が入り込んでいた。宗家が所有していた畑は全て入田のものとなっていた。もともと入田が所有していた畑と合わせると、七軒屋の畑の大半が入田のものとなったことになる。もともと入田の屋敷のあった場所も畑に変わっていて、畑の広さは往時の宗家を凌ぐ広さだった」
「何故、宗家が無くなってしまったのですか?」
「わしが村を出る前、入田家に晴美という名の美しい少女がいた。村の若者の憧れの的だった。だが、晴美は入田家の先代、直道の養子で、宗家の跡取り息子である宗谷との結婚が早くから決まっていた。懸想をしても仕方がなかった」
芦刈さんが遠い目をした。晴美さんの登場だ。美しい人だったのだろう。当時の彼女を思い出しているのかもしれない。
「それが北九州でのサラリーマン生活を終えて村に戻ると、宗家がなくなっていた。何故、宗家に人がいなくなり、入田が跡を継いだのか、誰に聞いても口を濁すだけだった。そのうち、段々、宗谷さんが亡くなって、晴美さんが子供を連れて村を出たことが分かった。だが、それ以上は村の者は皆、口を閉ざしたままだった。七軒屋の新しい主となった入田を憚ってのことだろう。父親に尋ねても、わしは、なんも知らんと答えるだけだった。重ねて聞くと、余所様のことをあれこれ詮索するもんじゃないと怒りだす始末だった」
「宗家が村を出て行った理由について、何も知らないのですね」
「壱の屋と呼ばれていた通り、入田家は筆頭の家臣だった。七軒屋での家格は宗家に継いで高い。宗家に人がいなくなれば、入田が跡を継ぐのは自然の流れだ。それに、孝道さんの母親は塩市家の娘だったので、宗家とは縁続き、宗谷さんと孝道さんは従兄弟同士になる。血縁的にも宗家に最も近い人物が孝道さんだった」




