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第六章 呪いの正体



 王都ルクスフィリア、大聖堂地下。


 そこは一般の信徒が立ち入ることを許されない、聖職者専用の浄化診療区画だった。


 白い石壁には無数の聖印が刻まれ、空気そのものが淡い光を帯びている。


 その中央の診療室で、エルザは不機嫌そうに椅子へ座っていた。


「だから、私は大丈夫だと言っているでしょう」


「大丈夫な人は、浄化魔法を使うたびに倒れかけません」


 ミリアが冷静に返す。


 結局、彼女に半ば引きずられる形で、大聖堂の精密検査を受けることになったのだ。


 エルザの前には、白髭の老司祭グレゴリウスが座っている。


 王国でも指折りの浄化術研究者であり、エルザが聖女候補だった頃からの指導者でもあった。


「エルザ殿、少し手を」


 彼女は渋々右手を差し出す。


 老司祭が聖印を重ねると、淡金色の魔法陣が広がった。


「《深層解析》」


 光がエルザの身体を包み込む。


 通常なら、浄化魔法を受けると聖職者は心地よい温かさを感じる。


 しかし今回は違った。


 胸の奥で何かがざわりとうごめいた。


「っ……」


 エルザが顔をしかめる。


 老司祭の表情が徐々に険しくなっていく。


「これは……」


 隣で見守っていたミリアが息を呑んだ。


「何かわかったんですか?」


 グレゴリウスはすぐには答えなかった。


 さらに魔力を流し込み、何度も解析を繰り返す。


 やがて、彼は重々しく口を開いた。


「エルザ殿。最近、強い呪詛に接触しましたね?」


 部屋の空気が凍りついた。


「やはり呪いなのですか」


 ミリアの声が低くなる。


 エルザは唇を引き結んだ。


「そんなはずはありません。私は常に浄化結界の中にいました」


「普通の呪いなら、その通りでしょう」


 老司祭は額の汗を拭う。


「ですが、これは通常の呪詛ではありません。《黒蝕系》……しかも極めて古い魔王軍系統の術式です」


「魔王軍……!」


 ミリアが目を見開く。


 エルザの背筋に冷たいものが走った。


 悪夢の中の赤い瞳が脳裏によみがえる。


「そんなものが、どうして私に……」


「侵入経路はまだ断定できません。しかし、口腔から体内へ入った痕跡があります」


 その瞬間。


 エルザとミリアの視線が同時に洗面台の方向を思い浮かべた。


 マウスウォッシュ。


 あの瓶。


 部屋に重い沈黙が落ちる。


 老司祭は続けた。


「さらに奇妙なことがあります」


「奇妙?」


「呪いの核が、一度ひどく損傷しているのです」


「損傷……?」


「本来なら、今頃はもっと侵食が進んでいてもおかしくありません。誰かが非常に強力な浄化を行った形跡があります」


 エルザの心臓がどくんと大きく鳴った。


 まさか。


 そんな。


 あり得ない。


 でも――。


『エルザの命が助かったなら』


 レイラの声が、あまりにも鮮明によみがえる。


     ◇


 検査を終えた後、エルザとミリアは大聖堂の中庭を歩いていた。


 噴水の水音だけが静かに響く。


 エルザはしばらく黙っていたが、やがて小さく呟いた。


「……レイラだと思う?」


 ミリアは正直に頷いた。


「可能性は高いです」


「でも、どうやって?」


「それは私にも分かりません。ただ――」


 彼女は立ち止まり、エルザを見つめる。


「レイラさんって、異常なくらい毒に詳しかったでしょう?」


 確かにそうだった。


 普通の冒険者なら知らないような希少毒草の特徴まで把握していた。


 解毒薬の調合速度も異常だった。


 以前、ガレスが猛毒蛇に噛まれた時など、レイラは十分もしないうちに症状を抑えてしまった。


 あの時は「薬草学の知識がすごい」で済ませていた。


 だが今思えば、説明がつかない部分が多すぎる。


「……私、最低ね」


 エルザは噴水の縁に腰を下ろした。


「もし本当に私を助けようとしていたなら、私は命の恩人を追放したことになる」


「まだ確定ではありません」


「でも、あの人ならやりかねないわ」


 自分が誤解されても、誰かを守る。


 それがレイラという人間だった。


 エルザは両手で顔を覆った。


「どうして言ってくれなかったのよ……」


「言えなかったんだと思います」


 ミリアの声は優しかった。


「たぶん、説明しても信じてもらえないと思ったんでしょう」


 エルザは反論できなかった。


 実際、もしあの場で「毒を消すためだった」と言われても、自分は信じられただろうか。


 いや、きっと怒鳴り返していた。


 胸が痛んだ。


     ◇


 その日の夕方。


 《暁の星》の部屋では、ガレスとトーマも事情を聞かされていた。


「はぁ!? 魔王軍の呪い!?」


 ガレスが素っ頓狂な声を上げる。


 トーマは耳をぴんと立てた。


「じゃあ、レイラ姉がやったのって……」


「まだ断定はできない」


 ミリアが慎重に言う。


「でも、呪いが一度弱体化していたのは事実です」


 ガレスは頭を抱えた。


「俺たち、とんでもない勘違いをしたんじゃないのか……?」


「勘違いってレベルか?」


 トーマの顔も青い。


「だって、命を救おうとしてたかもしれない相手を追放したんだぞ」


 部屋の空気が重くなる。


 エルザはベッドに腰を下ろしたまま、黙って自分の手を見つめていた。


 その手で、レイラのギルドカードを奪った。


 その手で、彼女を部屋から追い出した。


 思い出すたび、胸が締め付けられる。


「……探しましょう」


 エルザが静かに言った。


 三人が顔を上げる。


「レイラを?」


 ガレスが確認する。


「ええ。謝らなければならないわ」


 そして、呪いのことも聞かなければならない。


 彼女だけが知っている何かがある。


 エルザはそう確信し始めていた。


     ◇


 しかし、その決意を嘲笑うように異変は起きた。


 夜。


 エルザは突然、激しい咳で目を覚ました。


「ごほっ! ごほっ!」


 喉が焼けるように熱い。


 呼吸のたびに黒い棘が胸を刺すような痛みが走る。


「エルザ!?」


 ミリアが飛び起きる。


 エルザは口元を押さえた。


 指先に、黒い靄のようなものがまとわりついている。


「そんな……」


 浄化魔法をかけても、靄はすぐには消えなかった。


 ミリアが青ざめる。


「進行が速くなってる……!」


 エルザは震える身体を抱きしめた。


 怖い。


 本当に、自分の中に何かがいる。


 その時だった。


 ふわりと、懐かしい香りが鼻をかすめた気がした。


 薬草と、雨上がりの森を混ぜたような匂い。


 レイラがいつも纏っていた香りだ。


 もちろん幻覚だろう。


 でも、その一瞬だけ胸の痛みが和らいだ。


「……レイラ」


 かすれた声で名前を呼ぶ。


 ミリアはその様子を見て、静かに唇を噛んだ。


 もはや偶然とは思えない。


 レイラとエルザの間には、何か決定的な繋がりがある。


     ◇


 一方その頃。


 辺境都市ベルンフェルトでは、レイラが宿屋の厨房を手伝っていた。


「レイラちゃん、こっちの薬草スープ味見してくれる?」


「はーい」


 彼女は木匙でスープをすくい、少し考えてから答える。


「あと少しだけ清風葉を減らした方が飲みやすいと思います」


「おお、さすが薬草のプロ!」


 女将が感心したように笑う。


 レイラもつられて笑った。


 平和だった。


 温かいスープ。


 賑やかな食堂。


 子どもたちの笑い声。


 追放された直後の絶望が嘘のように、穏やかな時間が流れている。


 だがその瞬間。


 彼女の胸が、ちくりと痛んだ。


「……?」


 レイラは手を止める。


 遠くから、微かに黒い魔力の気配を感じた。


 嫌な感覚。


 まるで腐った水が広がっていくような、不快な波動。


 しかも、その中心にはどこか見覚えのある「光」の気配が混ざっている。


「エルザ……?」


 思わずその名前が口から漏れた。


「どうしたの?」


 女将が不思議そうに尋ねる。


「いえ、なんでもありません」


 レイラは笑ってごまかした。


 けれど胸騒ぎは消えない。


 彼女の【状態異常反転】は、強い呪詛が近くで発生すると微かに反応することがある。


 そして今、その感覚はこれまでになく強かった。


 王都の方角を見つめながら、レイラは小さく呟く。


「……まさか、本当に再発してるの?」


 その頃、王都では。


 聖女エルザの身体の奥で、《黒蝕の残滓》が静かに牙を研いでいた。


 そして魔王軍の呪殺師ヴァルグもまた、辺境へ向けて動き始めていた。


 運命の糸は、再びレイラとエルザを引き寄せようとしていた。

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