第四章 ソロ冒険者レイラ
王都を離れて五日目の朝。
私は街道脇の丘の上で、大きく伸びをした。
「ん〜〜っ……」
朝露に濡れた草原が、朝日にきらきらと輝いている。
遠くには小さな城壁都市が見えた。
辺境都市ベルンフェルト。
王都から馬車で二日ほど離れた、薬草交易で知られる町だ。
「今日からここが拠点かな」
肩に背負った荷物袋を軽く叩く。
中身は薬草採取用の道具、簡易テント、着替えが数着、それからレイラ特製の浄化薬各種。
――なお、原材料については深く考えない。
ベルンフェルトは王都ほど大きくないが、その分冒険者には優しい町として知られていた。
薬草採取依頼が多く、危険な魔物も比較的少ない。
ソロ冒険者にはちょうどいい。
「よし、頑張ろう」
私は気合いを入れて丘を下りた。
◇
「ようこそ、ベルンフェルトへ!」
門番の兵士が気さくに声をかけてくる。
王都の門番よりずっと柔らかい雰囲気だ。
「冒険者証は?」
「あ、これです」
私は首から下げた予備の身分証を見せた。
正式なギルドカードは没収されたが、最低限の身元確認用タグは残っている。
兵士は確認すると頷いた。
「Cランクか。薬草採取なら西の森がおすすめだぞ」
「ありがとうございます」
町に入ると、乾いた薬草の香りが鼻をくすぐった。
通りのあちこちに薬種商が並び、吊るされたハーブが風に揺れている。
王都の豪華さとは違う、素朴で落ち着く空気だった。
「なんか……ちょっと好きかも」
私は思わず笑みをこぼす。
まずは宿だ。
安そうな木造の宿屋《野兎亭》に入り、一泊銀貨三枚の部屋を借りた。
狭いが清潔で、窓から薬草畑が見える。
「うん、十分十分」
荷物を置くと、私はすぐに冒険者ギルドへ向かった。
◇
ベルンフェルト冒険者ギルドは、王都のものよりずっと小さかった。
受付嬢の女性が、私を見るなりにっこり笑う。
「初めまして。新しく来られた方ですね?」
「はい。レイラ・アルシェイドです」
「ようこそベルンフェルトへ。今日は依頼をお探しですか?」
王都の受付嬢はいつも忙しそうだったので、この丁寧さが新鮮だった。
掲示板を見ると、確かに薬草採取依頼がずらりと並んでいる。
- 月光草 銀貨五枚
- 清風葉 銀貨四枚
- 赤根茸 銀貨六枚
- 毒消し草 銀貨八枚
「毒消し草、結構高いですね」
「ああ、それ最近不足してるんです。西の森に《腐れ茨》が増えてしまって」
受付嬢が困ったように説明する。
腐れ茨。
第二章で狼の足に刺さっていた、あの厄介な毒棘植物だ。
「なるほど……じゃあ、それ受けます」
「お一人で大丈夫ですか?」
「薬草採取は慣れてるので」
書類に名前を書きながら、ふと胸がちくりとした。
以前なら、こういう依頼はエルザたちと分担していた。
トーマが安全な採取ルートを探し、ガレスが大型魔物を警戒し、ミリアが保存魔法をかけてくれる。
今は全部一人だ。
少し寂しい。
でも――。
「まあ、自由でもあるよね」
誰にも気を遣わず、自分のペースで動ける。
それはそれで悪くなかった。
◇
西の森は、昼でも薄暗かった。
高い針葉樹が空を覆い、湿った土の匂いが漂っている。
私は慣れた手つきで薬草を探していく。
「これは月光草……こっちは清風葉」
薬草採取は地味だが嫌いではない。
むしろ落ち着く。
戦闘より、こうして植物と向き合っている時間の方が性に合っていた。
一時間ほど歩いた頃。
茂みの奥から、か細い鳴き声が聞こえた。
「……?」
近づいてみると、小さな子鹿が倒れていた。
後ろ脚に黒い棘が刺さっている。
「また腐れ茨かぁ」
私はしゃがみ込み、そっと棘を抜いた。
傷口はすでに紫色に変色している。
「大丈夫、すぐ楽になるからね」
ポーチから小瓶を取り出し、布に染み込ませて傷に当てる。
じゅっ、と小さな音。
黒ずんでいた部分がみるみる薄くなっていく。
子鹿は驚いたように目を瞬かせ、やがてふらふらと立ち上がった。
「よしよし」
頭を撫でると、子鹿はぺろりと私の手を舐めた。
動物相手だと、本当に気が楽だ。
「君たちは事情を聞かないから好きだよ」
子鹿は小さく鳴くと、森の奥へ駆けていった。
私はその背を見送り、ふと苦笑する。
「……最近、動物にばっかり懐かれてる気がする」
その時だった。
「きゃあっ!」
少し離れた場所から少女の悲鳴が聞こえた。
私は反射的に駆け出す。
開けた場所に出ると、十歳くらいの少女が尻もちをついていた。
目の前には《毒牙ウサギ》が三匹。
見た目は可愛いが、牙に軽い麻痺毒を持つ魔物だ。
「下がって!」
私は短剣を抜き、一匹目の前に滑り込む。
ウサギが飛びかかってくる。
ひらりとかわし、柄で頭を軽く叩く。
「ごめんね!」
気絶した一匹を蹴飛ばし、残り二匹を威嚇すると、彼らはすぐに森の奥へ逃げていった。
少女はぽかんとしている。
「怪我は?」
「だ、大丈夫……」
見ると、腕に小さな噛み傷があった。
すでに少し腫れている。
「ちょっと見せて」
私は浄化液を布に染み込ませ、傷を拭いた。
腫れがすっと引いていく。
「すごい……治っちゃった」
「軽い毒だからね」
少女は目を輝かせた。
「お姉ちゃん、すごい薬師さんなの?」
「うーん、見習いみたいなものかな」
「ありがとう!」
元気に頭を下げる姿に、胸が温かくなる。
王都では、こんなふうに純粋に感謝されることは少なかった。
サポート役の仕事は、うまくやって当たり前だったから。
「家まで送ろうか?」
「うん!」
少女の家は森の近くの小さな農家だった。
事情を説明すると、両親は何度も頭を下げてくれた。
「本当にありがとうございました。お礼にこれを」
渡されたのは、焼きたての薬草パンだった。
ほんのり甘くて、優しい香りがする。
「おいしい……」
宿への帰り道、私はパンをかじりながら空を見上げた。
気づけば、今日は一度も「追放されたこと」を考えていなかった。
誰かを助けて、感謝されて、美味しいパンを食べる。
それだけで、少し救われた気がする。
◇
夕暮れ。
ギルドに戻ると、受付嬢が驚いた顔をした。
「もう戻られたんですか?」
「はい。毒消し草も採れました」
袋いっぱいの薬草を見せると、彼女は目を丸くする。
「こんなに!? しかも品質がすごく良い……」
「慣れてるので」
査定の結果、通常より多めの報酬が支払われた。
銀貨十二枚。
辺境では十分な稼ぎだ。
「レイラさん、またぜひ依頼をお願いします」
「こちらこそ」
宿へ戻る途中、私は小さな広場を通りかかった。
子どもたちが追いかけっこをしている。
その中に、昼間助けた少女の姿があった。
「あっ、お姉ちゃん!」
彼女は私を見つけると、大きく手を振った。
周りの子どもたちまで一緒に手を振ってくる。
なんだか照れくさい。
私は笑って振り返した。
その瞬間、胸の奥にあった重たいものが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
「……悪くないかも」
追放されたのは痛かった。
エルザたちと別れたのは悲しい。
でも、私にはまだできることがある。
この力を、人を助けるために使うことができる。
それなら、もう少し頑張ってみよう。
私は夕焼けに染まるベルンフェルトの街並みを見つめながら、小さく微笑んだ。
ただその頃、遠く離れた王都では。
白銀の髪を持つ聖女が、再び激しい悪夢にうなされ始めていた。
そして闇の中では、魔王軍の呪殺師が静かに次の一手を準備している。
平穏な辺境の日常は、まだ長くは続かない。
レイラ自身は、そのことをまだ知らなかった。




