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潮風の神守り  作者: 灯野 しおん
第二部 第五章 海を結ぶ橋

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第十三話 楠の語るもの

参道をゆっくりと歩く。


 踏みしめる玉砂利が、さらさらと小さな音を立てる。


 両脇には幹の太い楠が並び、その枝葉が柔らかな木漏れ日を落としていた。


 「大きい……。」


 陸が思わず見上げる。


 幹は大人が何人も手をつないでようやく囲めるほど太い。


 空へ向かって伸びる枝は、まるで島全体を包み込むようだった。


 「何百年、生きてきたんだろう。」


 澪が静かにつぶやく。


 タケルは楠を見上げ、穏やかな声で答えた。


 「この木は、人の一生を何十回も見送ってきた。」


 「旅立つ者も。」


 「帰ってくる者も。」


 「海へ向かった船も。」


 「すべてを、この場所で見守ってきたのだ。」


 ◇


 境内の一角では、一人の年配の女性が竹箒で落ち葉を集めていた。


 白い作務衣に紺色の前掛け。


 掃き集めた葉を丁寧に竹籠へ入れている。


 蒼真たちが会釈をすると、女性はにこやかに笑った。


 「こんにちは。」


 「こんにちは。」


 「朝からお掃除ですか。」


 蒼真が尋ねると、女性は少し照れたように笑う。


 「ええ。」


 「もう三十年になります。」


 「毎朝ここを掃くのが、私の日課なんですよ。」


 ◇


 陸が不思議そうに辺りを見回す。


 「でも、こんなに広いと大変じゃないですか?」


 女性は箒を止め、楠を見上げた。


 「落ち葉は毎日落ちますからね。」


 「掃いても掃いても終わりません。」


 少し笑って続ける。


 「でも、それでいいんです。」


 「木は葉を落とす。」


 「私はそれを掃く。」


 「また葉が落ちる。」


 「また掃く。」


 「それが毎日続いていく。」


 その言葉は、とても穏やかだった。


 ◇


 蒼真はふと尋ねる。


 「飽きたりはしないんですか?」


 女性は首を横に振る。


 「同じ朝は一度もありませんよ。」


 「雨の日もあれば。」


 「風の強い日もある。」


 「鳥がたくさん来る日もある。」


 「子どもたちが遠足で賑やかな日もある。」


 「毎日違うから、毎日新しいんです。」


 澪は静かに微笑む。


 その言葉は、旅にも似ていると思った。


 ◇


 女性は箒を立てかけると、楠の幹へそっと手を添えた。


 「皆さん、この木にお願い事をされるんですよ。」


 「受験だったり。」


 「家族の健康だったり。」


 「船の安全だったり。」


 「神様は、この木の中にいるんですか?」


 潮が尋ねる。


 女性は少し考え、ゆっくりと首を振った。


 「私は、そうは思っていません。」


 四人は静かに耳を傾ける。


 「神様は、この木の中だけにおられるんじゃない。」


 「毎朝『今日もよろしくお願いします』と頭を下げる人。」


 「落ち葉を拾う人。」


 「旅の無事を願う人。」


 「そういう人の心へ、そっと寄り添ってくださるんだと思っています。」


 風が吹いた。


 楠の葉が一斉に揺れ、柔らかな音が境内を満たす。


 まるで木そのものが、その言葉に頷いたようだった。


 ◇


 蒼真は自然と楠へ近づいた。


 幹にそっと手を当てる。


 ざらりとした樹皮の感触。


 ほんのりと木の温もりが掌へ伝わる。


 神代の鍵は静かなままだ。


 それでも胸の奥が、不思議な安心感で満たされていく。


 「神様に会えた気がする?」


 澪が小さく尋ねた。


 蒼真は少し笑って答える。


 「ううん。」


 「でも……。」


 楠を見上げる。


 「神様を信じて、毎日ここを掃いてきた人には会えた。」


 「それだけで十分な気がする。」


 ◇


 女性は竹籠を抱えながら微笑んだ。


 「旅の人。」


 「神様は急ぎません。」


 「だから、皆さんも急がなくていいんですよ。」


 その言葉に、四人は静かに頭を下げた。


 参道を吹き抜ける風は、来たときよりもどこか優しく感じられる。


 蒼真は旅日記を開き、今日の言葉を書き留めた。


 > 『神様は木の中だけにいるのではない。毎日「今日もよろしくお願いします」と願う人の心に、そっと寄り添ってくださる。』


 そして、その下に自分の言葉を添える。


 > 『祈りとは、願いを伝えることではなく、大切なものを今日も大切にすると決めることなのかもしれない。』


 ページを閉じると、楠の葉が一枚、ふわりと旅日記の上へ舞い降りた。


 蒼真はその葉をしおり代わりに挟む。


 この旅で出会った人々の言葉とともに、その一枚の葉もまた、大切な記憶になっていくのだった。

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