第十二話 神の島へ
橋を渡り終えると、潮風が少しだけ変わった。
塩の香りの中に、深い森の匂いが混じっている。
「空気が違う……。」
澪が思わず足を止めた。
蒼真もゆっくりと息を吸う。
「海なのに、山の中へ入ったみたいだ。」
タケルは静かに頷いた。
「この島には、昔から海の神が住まうと言われている。」
「人はその気配を『森』として感じるのだ。」
◇
道の両側には、大きな楠や椎の木が枝を広げている。
木漏れ日が石畳へまだらな模様を落とし、鳥のさえずりが森の奥から聞こえてくる。
今まで歩いてきた島とは、どこか空気が違った。
急ぐ人がいない。
車の音さえ遠い。
まるで島全体が、ゆっくりと深呼吸をしているようだった。
「静かだね。」
潮が小さな声で言う。
「うん。」
蒼真も自然と声を潜めた。
「大きな声を出したら、この静けさを壊してしまいそう。」
◇
昼前、小さな商店の軒先で休憩していると、店先で箒を掃いていた女性が声をかけてきた。
「旅の方ですか?」
「はい。しまなみ海道を歩いています。」
女性は湯飲みに冷たい麦茶を注ぎながら微笑んだ。
「歩いて来られたんですね。」
「それなら、この島の神様も喜ばれます。」
陸が不思議そうに尋ねる。
「神様がですか?」
女性は店の奥から海の方を眺めた。
「昔から、この島へ来る人は、海の無事を願ってお参りしたんですよ。」
「漁師さんも。」
「船乗りさんも。」
「旅人も。」
「だから、歩いて来た人を見ると、『ようこそ』って言いたくなるんです。」
◇
店の前には、小さな木箱が置かれていた。
中には島で採れた柑橘や手作りのお菓子が並んでいる。
「これ、おすすめですよ。」
女性が勧めてくれたのは、ほんのり柑橘が香る焼き餅だった。
一口食べると、素朴な甘さが口いっぱいに広がる。
「おいしい。」
澪が笑う。
「懐かしい味がします。」
「特別な材料は使ってないんです。」
女性も笑顔で答える。
「でも、お祭りの日になると、みんなでこれを焼くんですよ。」
その言葉に、蒼真は因島の祭りを思い出した。
祭りが違っても、人が集まり、同じものを囲む時間は変わらない。
◇
再び歩き始めると、森はさらに深くなる。
やがて、大きな石の鳥居が木々の間から姿を現した。
思わず四人の足が止まる。
鳥居の向こうには、まっすぐ伸びる参道。
その両側を、何百年も生きてきたであろう巨木が静かに見守っている。
風が吹く。
葉が揺れる。
それだけなのに、まるで森全体が呼吸しているようだった。
蒼真は胸元の神代の鍵へ手を添える。
不思議なことに、鍵は光らなかった。
けれど、手のひらへ伝わる温もりだけが、いつもより少し深かった。
タケルが静かに口を開く。
「神は、いつも光で迎えるわけではない。」
「静けさで迎えることもある。」
◇
四人は一礼し、鳥居をくぐる。
参道へ一歩足を踏み入れた瞬間、街の音がふっと遠のいた。
聞こえるのは、風に揺れる葉擦れの音。
鳥の声。
そして、自分たちの足音だけ。
蒼真は自然と背筋を伸ばいた。
この場所では、大きな声を出す必要はない。
誰かに急かされることもない。
ただ、ゆっくり歩けばいい。
その歩みを、千年以上前から同じように、この道を歩いてきた人々が見守っているような気がした。
参道の奥では、深い緑に包まれた社殿の屋根が、木漏れ日の中に静かに浮かんでいる。
海を渡る人々の祈りを受け止め続けてきた神域が、四人を穏やかに迎え入れていた。




