第十話 小さな祭りの太鼓
資料館を出て、海沿いの道を歩いていると、風に乗って「ドン、ドン」という太鼓の音が聞こえてきた。
「お祭りかな?」
潮が耳を澄ませる。
音は決して大きくない。
それでも、島の静けさの中では心地よく響いていた。
四人は音を頼りに、細い坂道を上っていく。
道端には紫陽花がまだ少しだけ花を残し、石垣の隙間からは小さな草花が顔をのぞかせていた。
やがて、木々に囲まれた小さな神社が姿を現す。
境内には色鮮やかな幟が立ち、地域の人たちが忙しそうに準備をしていた。
◇
「こんにちは。」
蒼真たちが挨拶すると、神社の総代らしき男性が笑顔で迎えてくれた。
「旅の人かい?」
「はい。歩いて島を巡っています。」
「それはちょうどよかった。」
男性は少し困ったように頭をかいた。
「若い衆が仕事で遅れとってね。」
「もし時間があれば、提灯を運ぶのを手伝ってくれんか。」
四人は顔を見合わせる。
答えは決まっていた。
「ぜひ、お手伝いさせてください。」
◇
境内の倉庫から提灯を運び、竹竿へ結びつけていく。
陸は高い場所を担当し、潮は紐を結ぶ。
澪は子どもたちと一緒に飾りを並べ、蒼真は長机を運んだ。
「ありがとう。」
「助かるよ。」
島の人たちは何度も笑顔で声をかけてくれる。
誰も「旅人だから」と遠慮しない。
自然に輪の中へ迎え入れてくれた。
◇
しばらくすると、小学生くらいの男の子が太鼓の前で立ち尽くしていた。
神妙な顔をして、撥を握っている。
「緊張してるの?」
澪がしゃがんで尋ねる。
男の子は小さく頷いた。
「今年、初めて叩くん。」
「おじいちゃんが『大丈夫』って言うけど……。」
境内の端を見ると、白髪の男性が優しく見守っていた。
総代が教えてくれる。
「あの子のおじいさんは、この祭りの太鼓を五十年叩いてきた人なんよ。」
「今年から孫へ教え始めたんじゃ。」
蒼真は思わず息をのむ。
祭りは神社だけが守っているのではない。
家族の中でも、受け継がれているのだ。
◇
夕方。
提灯に灯が入り、境内がやわらかな光に包まれる。
村の人たちが少しずつ集まり始めた。
派手な屋台はない。
観光客もほとんどいない。
顔なじみばかりの、小さな祭り。
神職がお祓いを終えると、静かな空気の中で太鼓が鳴り始めた。
ドン。
ドン。
最初は少しぎこちなかった音が、次第に力強くなっていく。
男の子の表情から緊張が消え、おじいさんが満足そうに頷いた。
その姿を見て、澪が小さくつぶやく。
「音まで受け継がれていくんだね。」
◇
祭りが終わる頃、総代が四人に温かいお茶を差し出してくれた。
「今日は本当に助かった。」
「ありがとうございました。」
蒼真が頭を下げると、総代はゆっくりと首を振る。
「礼を言うのはこっちじゃ。」
「祭りはな、人が集まって初めて祭りになる。」
「神様だけでは続けられん。」
「誰かが準備をして。」
「誰かが太鼓を叩いて。」
「誰かが子どもへ教える。」
「その積み重ねが百年、二百年になる。」
◇
帰り道。
夜風が提灯をやさしく揺らしていた。
蒼真は立ち止まり、境内を振り返る。
神代の鍵が、静かに温もりを帯びる。
タケルはその光を見つめ、穏やかに言った。
「見えたか。」
「神様ではない。」
「祭りを守る人たちの心だ。」
蒼真は静かに頷く。
「うん。」
「やっと分かった。」
「祭りは、一年に一度のお祝いじゃない。」
「『また来年も会おう』って約束する日なんだ。」
その言葉に、タケルは目を細めた。
「その約束がある限り、人の航路は途切れない。」
旅日記
宿へ戻った蒼真は、今日の出来事を丁寧に書き留めた。
因島の小さな祭り。
初めて太鼓を叩く少年。
その音を見守る祖父の笑顔。
そして、ページの最後にこう記した。
『祭りは過去を残すためではない。未来でまた会う約束を交わすためにある。』
ページを閉じると、ふと最初に訪れた島の祭りのことが思い浮かんだ。
あの日、蒼真は「祭りを復活させたい」と願った。
今は少しだけ、その願いの意味が変わっている。
祭りを残したいのではない。
そこで交わされる「また来年」という約束を、未来へつないでいきたい。
その想いは、神代の鍵の温もりとともに、静かに胸の奥へ刻まれていった。




