表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
潮風の神守り  作者: 灯野 しおん
第二部 第五章 海を結ぶ橋

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
93/115

第九話 潮待ちの記憶

翌朝。


 因島の空は薄い雲に覆われていた。


 日差しはやわらかく、海は銀色に光っている。


 四人は港から少し離れた、小さな郷土資料館を訪れた。


 木造の建物は決して大きくはない。


 けれど、中には島の人たちが大切に守ってきた歴史が静かに息づいていた。


 ◇


 展示室には、古い海図や木製の櫂、船大工が使っていた鉋や墨壺が並んでいる。


 壁には、瀬戸内海の潮流を描いた大きな地図。


 複雑に入り組んだ流れが、まるで生き物のように海を巡っていた。


 「こんなに流れが違うんだ……。」


 陸が目を見張る。


 「同じ海なのに。」


 その声に応えるように、一人の男性が近づいてきた。


 七十代くらいだろうか。


 胸には資料館の名札が付いている。


 「初めて見ると、不思議じゃろう。」


 穏やかな笑顔でそう言った。


 ◇


 「村上海賊って、強い武士だったんですよね?」


 陸が尋ねる。


 男性は少し笑って首を横に振る。


 「もちろん戦うこともあった。」


 「でも、それだけじゃない。」


 展示されていた古い海図を指差しながら続ける。


 「この海は、潮の流れがとても速い。」


 「場所によっては、一日に何度も向きが変わる。」


 「それを知らずに船を出せば、岩へ流されることもある。」


 蒼真たちは真剣に耳を傾ける。


 「だから村上海賊は、潮を読み、船を導いた。」


 「荷を運ぶ商人も。」


 「旅人も。」


 「時には朝廷の船も。」


 「安全に通れるよう、海の道を守っていたんじゃ。」


 ◇


 澪は展示されていた小さな木札を見つめる。


 そこには古い文字で「潮待」と記されていた。


 「これは何ですか?」


 「潮待ちじゃ。」


 男性は懐かしそうに目を細める。


 「急いでも、潮には勝てん。」


 「昔の船は、潮が変わるまで港で待った。」


 「その間に人は飯を食べ、話をし、町はにぎわう。」


 「だから港町は、人と文化が集まる場所になったんよ。」


 蒼真は静かに頷く。


 「待つ時間も、旅の一部だったんですね。」


 「その通り。」


 男性は嬉しそうに笑った。


 「今は『待つ』ことを無駄だと思う人も多い。」


 「でもな。」


 「待ったからこそ出会えた人も、おるんじゃよ。」


 ◇


 その言葉に、四人は顔を見合わせる。


 向島で出会った郵便屋。


 漁師。


 みかん農家。


 食堂の店主。


 もし急いでいたら、誰にも会えなかった。


 神代の鍵が胸元でほんのりと温もりを帯びる。


 タケルは小さく微笑んだ。


 「昔の神守も、潮待ちをしていた。」


 「え?」


 蒼真が振り向く。


 「神守は急がなかった。」


 「風を待ち、人を待ち、言葉を待った。」


 「急いで集めた歌は、人の心に届かない。」


 その声は静かだったが、どこか懐かしさを帯びていた。


 ◇


 資料館を出ると、港のベンチに腰を下ろした。


 船が一隻、ゆっくりと岸を離れていく。


 蒼真は旅日記を開いた。


 今日のページには、資料館の男性の言葉を書き留める。


 > 「急いでも、潮には勝てん。」


 その下に、自分の言葉を添えた。


 > 「人生にも、潮待ちの時間がある。その時間があるから、人は誰かと出会える。」


 書き終えると、潮風がページをそっと揺らした。


 澪が日記をのぞき込み、微笑む。


 「この旅日記、少しずつ厚みが増してきたね。」


 蒼真は表紙を撫でる。


 「最初は旅の記録だと思っていた。」


 「でも今は違う。」


 「これは、出会った人たちから預かった言葉なんだ。」


 タケルは遠くの海を見つめながら、静かに頷く。


 「その日記は、いつか誰かの旅を支える。」


 「昔の歌が、お前たちを導いたようにな。」


 港には穏やかな風が吹いていた。


 その風は、昔も今も変わらず、瀬戸内の島々を結び続けている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ