第三話 島の郵便屋さん
橋を渡り終えると、潮風が少しだけやわらいだ。
向島は、旅人を驚かせるような景色ではなく、肩の力を抜かせてくれる島だった。
港には漁船が並び、小さな造船所から金属を打つ音が響いてくる。
道端では、柑橘を載せた軽トラックがゆっくりと走り、庭先では洗濯物が潮風に揺れていた。
「なんだか落ち着くね。」
澪が微笑む。
「うん。」
蒼真も頷く。
「旅先っていうより、人の暮らしの中を歩かせてもらってる感じ。」
◇
島の坂道を歩いていると、一台の赤い郵便バイクが止まった。
降りてきたのは、日に焼けた五十代ほどの男性だった。
ヘルメットを脱ぐと、人懐っこい笑顔を見せる。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
蒼真たちも挨拶を返す。
男性は四人の荷物を見て笑った。
「橋を歩いてきたんじゃね。」
「はい。」
「いい旅をしとる。」
その言葉には、どこか誇らしさがあった。
◇
郵便屋は古い木造の家へ一通の封筒を届ける。
玄関から出てきたおばあさんが嬉しそうに受け取った。
「ありがとうねぇ。」
「息子からですか?」
「そうなんよ。」
「東京におるんじゃけど、毎月手紙をくれるんよ。」
封筒を胸に抱く笑顔は、宝物を抱えるようだった。
郵便屋は照れくさそうに帽子をかぶり直す。
「じゃあ、また来月。」
◇
再びバイクへ戻ろうとした郵便屋へ、蒼真が声をかける。
「今でも手紙って多いんですか?」
男性は少し考えてから答えた。
「昔より少なくなった。」
「でもね。」
海の向こうを見つめながら続ける。
「島では、まだ手紙を待っとる人がおる。」
「荷物も運ぶ。」
「薬も届ける。」
「役場の書類も届ける。」
「郵便屋いうより、島の"つなぎ役"じゃな。」
その言葉に、澪が静かに頷く。
◇
郵便屋はバッグから一枚の古い葉書を取り出した。
角が少し擦り切れている。
「これはね。」
「新人だった頃にもらった葉書。」
そこには短く、たった一文だけ書かれていた。
『手紙だけじゃなく、安心も届きました。ありがとう。』
「三十年以上前じゃ。」
「でも、まだ捨てられん。」
蒼真はその葉書を見つめる。
たった一枚の紙。
けれど、それは誰かの感謝を運び続けていた。
◇
タケルが静かに言う。
「神守も似ている。」
「歌を運ぶだけではない。」
「人と人を結び、その想いを次へ届ける。」
郵便屋は、その言葉の意味は知らない。
それでも笑って言った。
「届ける仕事はええよ。」
「『待っとったよ。』って言われるだけで、また頑張れる。」
◇
別れ際。
郵便屋は四人へ島のみかんを一つずつ渡してくれた。
「歩くと喉が渇くじゃろ。」
「ありがとうございます。」
甘酸っぱい香りが、手いっぱいに広がる。
「旅先でもらうみかんって、なんだか特別だね。」
陸が笑う。
郵便屋はバイクにまたがり、エンジンをかけた。
「また島へおいで。」
「春もええけど、秋のみかん畑もきれいじゃけぇ。」
赤い郵便バイクは、ゆっくりと坂道を上っていった。
その後ろ姿を見送りながら、蒼真はみかんの温もりを感じていた。
手紙は、人の想いを届ける。
橋は、人を届ける。
そして旅は、その土地で生きる人の心を、自分の心へ届けてくれる。
向島で最初に出会ったのは、島中の人の「待っている気持ち」を運ぶ、一人の郵便屋だった。




