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潮風の神守り  作者: 灯野 しおん
第二部 第五章 海を結ぶ橋

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第一話 白い航跡

宮島を離れた船は、瀬戸内海を静かに西へ進んでいた。


 甲板へ出ると、潮風が頬を優しくなでる。


 蒼真は船尾へ歩き、白く伸びる航跡を見つめた。


 海へ刻まれた一本の道。


 けれど、その道は少しずつ波へ溶け、やがて跡形もなく消えていく。


 「航跡って、不思議だね。」


 澪が隣へ並ぶ。


 「消えちゃうのに、ちゃんと前へ進んだ証なんだ。」


 蒼真は静かに頷いた。


 「旅も同じなのかもしれない。」


 思い出は形にならない。


 けれど、確かに人を変えていく。


 ◇


 船室では、陸が地図を大きく広げていた。


 「見て!」


 「しまなみ海道って、橋が六本もあるんだ!」


 潮も身を乗り出す。


 「全部渡るの?」


 「たぶん!」


 「楽しそう!」


 その様子を見て、澪が笑う。


 「二人とも、もう遠足の前の日みたい。」


 「だって橋だよ!」


 陸は少年のような笑顔を浮かべた。


 「昔は船しかなかった海を、自分の足で渡れるんだ。」


 ◇


 タケルは窓の外を眺めながら、静かに語り始めた。


 「橋は便利なものだ。」


 「だが、人と人を結ぶものは、橋だけではない。」


 蒼真は耳を傾ける。


 「昔、島から島へ渡る船は、人だけでなく、祭りも運んだ。」


 「歌も。」


 「祈りも。」


 「悲しみも。」


 「喜びも。」


 「海は、それらすべてを受け止めてきた。」


 船は揺れることなく進んでいく。


 穏やかな瀬戸内海は、まるでその言葉を静かに肯定しているようだった。


 ◇


 昼過ぎ。


 目的地が近づく頃、一人の年配の女性が四人に声をかけた。


 「旅行ですか?」


 「はい。」


 蒼真が答えると、女性は柔らかく笑った。


 「私は今治へ帰るところなんです。」


 「娘の家へ行っていてね。」


 話を聞くと、初孫が生まれたばかりだという。


 スマートフォンには、小さな赤ちゃんの写真が何枚も並んでいた。


 「昨日まで抱っこしていたのに、もう会いたくなってしまって。」


 照れくさそうに笑う女性の目は、とても優しかった。


 「今度は向こうが遊びに来る約束なんですよ。」


 澪が微笑む。


 「楽しみですね。」


 「ええ。」


 「橋ができて、本当に近くなりました。」


 「昔は、一日がかりだったんですよ。」


 その言葉に、蒼真は地図へ目を落とした。


 橋は、ただ海を渡るためのものではない。


 会いたい人へ会いに行くための道でもある。


 ◇


 夕方。


 船が港へ着く。


 潮の香りの中に、どこか柑橘の甘い香りが混じっていた。


 岸壁では、自転車を押す旅人たちが笑顔で橋の方へ向かっている。


 外国から来た人もいる。


 家族連れもいる。


 一人で走る人もいる。


 それぞれが、自分だけの旅を始めようとしていた。


 陸が目を輝かせる。


 「見て!」


 「みんな楽しそう!」


 その姿を見ながら、蒼真は思う。


 旅は競争ではない。


 急ぐものでもない。


 誰かと比べるものでもない。


 自分の歩幅で、一歩ずつ進めばいい。


 ◇


 その日の宿は、小さな港町の宿だった。


 夕食には、瀬戸内で獲れた鯛と、炊きたてのご飯。


 そして、島で採れた柑橘を使った小鉢が並ぶ。


 「いただきます。」


 四人は手を合わせる。


 食卓を囲みながら、澪がぽつりとつぶやく。


 「最近思うんだ。」


 「旅って、景色を見ることだけじゃないね。」


 「うん。」


 蒼真も頷く。


 「人に会うことなんだと思う。」


 タケルは静かに微笑む。


 「その答えに気づいたなら、お前たちはもう半分、神守だ。」


 「神守とは、神の言葉を知る者ではない。」


 「人の願いに耳を傾けられる者のことだ。」


 食卓に、穏やかな沈黙が流れる。


 その言葉は、誰の胸にも静かに染み込んでいった。


 窓の外では、しまなみの海に月が映っている。


 明日から始まる橋の旅は、きっとまた、新しい出会いを運んできてくれる。

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