第五十三話 千年の舞
朝の参道を歩いていると、どこからともなく笙の音が聞こえてきた。
細く。
高く。
空へ溶けるような音色。
「……きれい。」
澪が立ち止まる。
風が止み、島全体がその音に耳を澄ませているようだった。
◇
音をたどるように歩いていくと、社殿の一角で舞の準備が進められていた。
色鮮やかな装束。
丁寧に並べられた楽器。
舞人たちは静かに身支度を整えている。
派手な掛け声はない。
一つひとつの所作に、長い年月の積み重ねが感じられた。
「今日は奉納があるんですね。」
蒼真が近くにいた神職へ尋ねる。
神職は穏やかに微笑んだ。
「ええ。」
「昔から受け継がれてきた舞です。」
「特別なものではありません。」
「この島では、季節が巡るように続いてきた営みです。」
その「特別ではありません」という言葉が、四人の心に残った。
千年続いてきたものは、暮らしの一部になっているのだ。
◇
やがて雅楽が始まる。
笙。
篳篥。
龍笛。
三つの音色が重なり、ゆっくりと境内へ広がっていく。
舞人が一歩踏み出す。
ゆっくり。
本当にゆっくり。
急ぐことなく、一歩、また一歩。
陸が小さくつぶやく。
「こんなにゆっくり動くんだ……。」
「だから見えてくるものがあるんじゃないかな。」
潮の言葉に、陸も静かに頷いた。
◇
蒼真は舞を見つめながら、不思議な感覚に包まれていた。
誰も神様の姿を見ていない。
奇跡も起こらない。
それでも、この場には確かに何かが満ちている。
それは静けさ。
敬意。
そして、祈り。
神代の鍵もまた、静かに温もりを帯びる。
光はない。
ただ、雅楽の調べに合わせるように鼓動を刻んでいた。
◇
舞が終わると、境内にはしばらく静寂が流れた。
拍手もない。
その代わり、誰もが深く一礼をする。
蒼真たちも自然と頭を下げた。
その時、タケルが静かに言う。
「神守の役目は、神話を守ることではない。」
蒼真は顔を上げる。
「……違うの?」
「神話は、人が守ろうとしなくても残る。」
「だが、人の心はそうではない。」
「忘れられた祈りは、誰かが思い出さなければ消えてしまう。」
蒼真は境内を見渡した。
子どもたち。
地元の人。
旅人。
神職。
皆が同じ舞を見つめ、同じ時間を過ごしていた。
この時間こそが、千年という歳月をつないできたのだ。
◇
境内を出ると、小さな男の子が祖父の手を引きながら歩いていた。
「おじいちゃん。」
「来年も見に来ようね。」
祖父は優しく笑う。
「ああ。」
「来年も、その次の年もな。」
二人の後ろ姿を見送りながら、澪が微笑む。
「きっと、あの子も大人になったら、自分の子どもを連れて来るんだろうね。」
蒼真は頷く。
「そうやって続いていくんだ。」
神話は、本に書かれて残るものではない。
人から人へ。
親から子へ。
祭りや舞、祈りを通して受け継がれていくものなのだ。
四人はゆっくりと参道を歩き出す。
朱塗りの回廊の向こうでは、瀬戸内の海が静かに光っていた。




