第五十一話 朱の大鳥居
フェリーは静かに宮島へ近づいていた。
瀬戸内海は穏やかで、空には白い雲がゆっくりと流れている。
船首に立つ蒼真たちは、誰からともなく言葉を失っていた。
海の向こうに、朱色の大鳥居が浮かんでいる。
まるで海そのものが神域への参道になったようだった。
「……本当に海の中に立ってる。」
陸が小さくつぶやく。
潮は目を細める。
「写真で見たことはあったけど。」
「本物は、全然違うね。」
◇
フェリーが桟橋へ着くと、潮の香りに混じって木の匂いがした。
桟橋には観光客だけでなく、島の人たちが買い物袋を提げて歩いている。
学生服のまま自転車を押す高校生。
仕事へ向かう人。
犬を散歩させるおじいさん。
ここは観光地である前に、人が暮らす島だった。
「おじゃまします。」
澪が小さくつぶやく。
その言葉に三人も頷いた。
旅先ではなく、誰かの日常へ入っていく。
そんな気持ちを忘れたくなかった。
◇
商店街へ入ると、焼きたてのもみじ饅頭の甘い香りが漂ってくる。
店先では職人が生地を焼き、湯気がふわりと立ち上る。
「一つ、焼きたてをどうぞ。」
声をかけられ、四人は思わず顔を見合わせた。
外はほんのり香ばしく、中には温かな餡。
陸が目を丸くする。
「これ……焼きたてもあるんだ!」
店主が笑う。
「島へ来たら、まずはこれじゃけぇ。」
蒼真も一口食べ、思わず笑みをこぼした。
「おいしい。」
「旅先で食べるものって、その土地を好きになる理由の一つだね。」
◇
商店街を抜けると、道端で一頭の鹿がのんびりと草を食んでいた。
子どもたちが少し離れた場所から見守っている。
「近づきすぎないようにね。」
母親が優しく声をかける。
潮が静かに言う。
「人も鹿も、お互いの距離をちゃんと知ってるんだ。」
源蔵が頷いた。
「島で暮らすというのは、自然と折り合いをつけることでもある。」
その言葉は、仙酔島で聞いた「島に挨拶をする」という教えと重なった。
◇
午後、四人は海沿いの遊歩道を歩いた。
潮が満ち始め、朱の大鳥居の足元へ波が寄せていく。
蒼真は足を止めた。
「朝とは景色が変わってる……。」
「海は、同じ場所でも毎日違う顔を見せる。」
タケルが穏やかに言う。
「だから人は、何度もここへ帰ってくる。」
◇
その時だった。
神代の鍵が、ほんのりと温かくなる。
しかし光は現れない。
代わりに、海を渡る風が四人の間を吹き抜けた。
風鈴のような、鈴のような、小さな音が聞こえた気がした。
澪が空を見上げる。
「……今、何か聞こえた?」
誰も答えない。
けれど四人とも、同じ音を聞いていた。
それは神様の声ではなく、潮風が運んできた島の記憶のようだった。
蒼真は胸の中でそっと思う。
この島では、急がなくていい。
景色も、人も、祈りも。
ゆっくりと向き合えば、それだけで十分なのだ。
朱の大鳥居は、夕暮れの光を受けながら、静かに海を見守っていた。




