第五十話 また帰っておいで
翌朝。
港はいつもと変わらない朝を迎えていた。
漁船が沖へ出ていく。
市場では威勢のいい声が響く。
商店の暖簾が揺れ、子どもたちはランドセルを背負って坂道を駆けていく。
旅人には特別な一日でも、この町の人たちにとっては、いつもの朝だった。
その"いつも"が、どれほど大切なのかを、蒼真は少しずつ分かるようになっていた。
◇
宿へ戻ると、女将が玄関でほうきを動かしていた。
「もう出発ですか?」
「はい。」
「今日は宮島へ向かいます。」
女将は少し寂しそうに笑った。
「そうですか。」
「でも、旅は続くんですね。」
「はい。」
蒼真も笑顔で頷く。
「また来ます。」
その一言に、女将は嬉しそうに目を細めた。
「その言葉が、一番うれしいんですよ。」
◇
港へ行く途中、朝市で出会った魚屋の主人が手を振る。
「兄ちゃん!」
「もう行くんか!」
「はい。」
「昨日のお話、楽しかったです。」
「また魚食べに来いよ!」
「もちろんです!」
少し先では、干物屋のおばあさんも笑顔で手を振ってくれる。
「今度は秋においで。」
「魚がもっとおいしいから。」
澪は深く頭を下げた。
「約束します。」
◇
港へ着くと、源蔵が船を磨いていた。
「来たか。」
「お世話になりました。」
四人が頭を下げる。
源蔵は少し照れくさそうに笑った。
「何もしておらん。」
「海を好きになってくれたなら、それで十分じゃ。」
蒼真は首を横に振る。
「好きになりました。」
「海も。」
「町も。」
「ここで暮らす皆さんも。」
源蔵は静かに頷いた。
「なら、お前さんたちは、もうこの町の旅人じゃない。」
「……え?」
「帰ってくる場所を持った人は、もう"よそ者"じゃない。」
「いつでも帰ってこい。」
その言葉に、四人の胸が熱くなった。
◇
船の時間が近づく。
別れを惜しむように、港へ人が集まってきた。
女将。
魚屋の主人。
干物屋のおばあさん。
市場で笛を吹いていた少年。
仙酔島で出会った少女と、その祖母。
みんなが笑顔で手を振っている。
「またねー!」
「元気で!」
「次は祭りの時じゃぞ!」
陸も大きく手を振り返す。
「絶対また来る!」
◇
フェリーが岸を離れる。
港が少しずつ遠ざかる。
町並みが小さくなっていく。
誰も言葉を発さなかった。
ただ、それぞれが港を見つめていた。
その時。
神代の鍵が、優しく光を放つ。
海へ一本の淡い光が伸びる。
神々しい光ではない。
朝日に照らされた航跡と重なり、まるで誰にも気づかれない道しるべのようだった。
タケルが穏やかに微笑む。
「見えるか。」
蒼真は静かに頷く。
「あれが……神代の航路。」
「いや。」
タケルは首を横に振った。
「人が『また帰ってきたい』と願った時、その想いが道になる。」
「それが神代の航路だ。」
蒼真はもう一度、港へ向かって一礼した。
心の中で、そっと呟く。
「行ってきます。」
「さようなら」ではない。
また帰る約束があるから。
だから、この旅では「行ってきます」が、一番ふさわしい言葉だった。




