第四十二話 潮の語り部
朝。
港には、潮の香りと魚市場の活気が満ちていた。
まだ日が高くなる前だというのに、漁船が次々と戻ってくる。
競り人の威勢のいい声。
網を繕う漁師たち。
店先に並ぶ瀬戸内の魚。
旅人も地元の人も入り交じり、港町は静かに一日を始めていた。
◇
「いい匂い……。」
陸の視線は、焼き魚の屋台へ向いている。
潮が苦笑した。
「朝ごはん食べたばかりだよ?」
「でも別腹。」
「その『別腹』は何個あるの?」
澪が笑うと、四人の間に和やかな空気が流れた。
こうした何気ない時間も、旅の大切な思い出になっていく。
◇
港を歩いていると、昨日会った白髪の老人が手を振っていた。
「おーい、旅の若い衆!」
四人は老人のもとへ向かう。
木造船の手入れをしているその姿は、まるで港そのものと一緒に歳を重ねてきたようだった。
「わしは源蔵という。」
「この港で船守をしとる。」
蒼真たちは自己紹介をする。
源蔵は一人ひとりの顔を見て、穏やかに微笑んだ。
「いい目をしとる。」
「海をちゃんと見とる目じゃ。」
◇
「船守って、船を直す仕事ですか?」
澪が尋ねる。
源蔵は首を横に振った。
「船だけじゃない。」
「旅人も守る。」
「港も守る。」
「そして……話を守る。」
「話?」
蒼真が聞き返す。
源蔵は海を見つめながら頷いた。
「この港には、海と一緒に流れてきた話が山ほどある。」
「語り継がんと、潮にさらわれてしまう。」
その言葉に、タケルが静かに目を細めた。
◇
「今日は港を案内してやろう。」
源蔵に導かれ、四人は港町を歩く。
古い石段。
路地裏の井戸。
船大工の工房。
干し網が揺れる軒先。
どこにも派手さはない。
けれど、一つひとつに人の暮らしが息づいていた。
◇
常夜灯の前で、源蔵は立ち止まる。
「昔はな。」
「ここで潮を待つ船が何十艘も並んどった。」
「潮が変わるまで、船は出ん。」
「風が変わるまで、誰も急がん。」
「自然に逆らえば、海は必ず応える。」
蒼真は静かに常夜灯を見上げる。
昨日、高屋神社で見た瀬戸内海。
あの景色の中に、この港もあったのだ。
◇
その時。
神代の鍵が、かすかに震えた。
だが光は弱い。
何かを探しているようだった。
源蔵は鍵に気づいた様子もなく、小さく笑う。
「そう急ぐな。」
「海は待つ者にだけ、本当の景色を見せてくれる。」
蒼真は驚いた。
それは昨日、鍵が示した言葉と同じ意味だった。
◇
夕暮れ。
港は茜色に染まる。
潮が静かに動き始めた。
源蔵が海を見つめる。
「……来たな。」
「何がですか?」
「潮の向きが変わった。」
その瞬間。
沖合に、一艘だけ古い木造船が現れる。
誰も漕いでいない。
帆も上がっていない。
それでも、静かに港へ近づいてくる。
神代の鍵が、今までで一番強く輝いた。
タケルが低く呟く。
「神代の航路が……開く。」
蒼真たちは、息をのんでその船を見つめた。
それは、人の船ではなかった。
遥か昔から、この港で潮を待ち続けていた――
**"神の渡し船"**だった。




