第二十二話 春呼びの唄
翌朝。
神崎家の縁側には柔らかな朝日が差し込んでいた。
鳥の声。
庭の木々を揺らす風、
どこか凪島を思い出す静かな朝だった。
しかし。
朝食の席は妙に騒がしかった。
原因は陸である。
「これ美味い!」
「これも美味い!」
「全部美味い!」
澪の祖母が笑う。
「たくさん食べなさい」
「はい!」
潮が呆れた顔をする。
「朝から元気」
「旅は体力だろ」
「説得力あるな」
蒼真も苦笑した。
◇
食後。
一同は居間へ集まる。
神守録が広げられた。
老婦人が指差す。
そこには淡路島の古い地図が描かれていた。
今とは少し違う海岸線。
昔の村々。
消えた道。
失われた集落。
「春呼びの唄は三つに分かれた」
「それぞれが土地の記憶に残されている」
「土地の記憶?」
陸が首を傾げる。
タケルが説明する。
「祭りの記憶だ」
「人々が大切にした想い」
「土地にはそれが残る」
蒼真は集落で見た景色を思い出す。
祭りの日。
昔の人々の姿。
記憶が重なったあの光景。
◇
「一つ目は?」
澪が尋ねる。
老婦人は地図の一点を指差した。
海辺の小さな集落。
今はほとんど人が住んでいない場所だった。
◇
「潮待ち浜」
「昔は春祭りで賑わった村だよ」
神守録には祖母の筆跡が残っている。
『歌の始まりは海風の中にある』
「海風?」
蒼真が呟く。
タケルは立ち上がった。
「行ってみれば分かる」
「神代の試練は説明より体験だ」
◇
こうして。
一行は最初の歌の欠片を探すため出発した。
昼前。
潮待ち浜へ到着する。
小さな入り江だった。
青い海。
白い砂浜。
そして。
古びた石の鳥居。
「綺麗だな」
蒼真が呟く。
人影は少ない。
観光地でもない。
けれど。
どこか懐かしい空気が漂っていた。
その時。
勾玉が光る。
海風が強く吹いた。
ザァァァ――
波が打ち寄せる。
そして。
世界が揺らいだ。
蒼真の視界に。
かつての村が現れる。
色鮮やかな幟。
祭り囃子。
走り回る子どもたち。
浜辺で笑う人々。
「これは……」
澪が息を呑む。
土地の記憶だった。
百年以上前の春祭り。
この場所で生きた人々の記憶。
◇
すると。
祭りの中に一人の少女が現れる。
十二歳くらい。
花飾りを髪につけている。
少女は蒼真たちを見る。
まるで見えているように。
「やっと来た」
少女は微笑んだ。
蒼真は驚く。
記憶の中の人間が話しかけてきた。
「君は?」
少女は答えない。
代わりに。
海の方を指差した。
遠く。
海の上。
小さな光が浮かんでいる。
そして。
風に乗って歌声が聞こえた。
かすかに。
けれど確かに。
それは言葉ではなかった。
祈りだった。
願いだった。
春を待つ人々の心そのものだった。
潮が目を見開く。
澪も耳を澄ませる。
歌の最初の欠片。
それが今。
海風の中で目覚めようとしていた。
だが同時に。
沖合の海が不自然に黒く染まり始めていた。
◇
蒼真は気づく。
あの気配だ。
眠る神の森で感じたもの。
忘却の影。
それが。
歌の欠片へ向かって近づいていた。




