第十九話 語り部の家
青い欠片が宙に浮かぶ。
森を満たしていた光は一瞬だけ強くなり――
次の瞬間、すべてが静まった。
欠片は再び眠る神の胸元へ戻る。
まるで。
まだ渡すわけにはいかないと言うように。
◇
風も止んだ。
黒い影も消えている。
だが。
あの言葉だけは耳に残っていた。
『試してみよう』
「……あれは何だったの」
澪が呟く。
不安そうだった。
◇
潮は首を横に振る。
「神じゃない」
「でも神に近い」
「そんな感じがした」
蒼真は眠る神を見る。
穏やかな寝顔。
苦しそうではない。
ただ。
深い夢の中にいるようだった。
◇
「今日はここまでにしよう」
澪が言う。
「一度、家へ来て」
「見せたいものがある」
三人は森を後にした。
帰り道。
夕陽が木々の間から差し込んでいる。
朱色に染まった参道は美しかった。
◇
「そういえば」
陸が歩きながら聞く。
「神話を守る家って何なんだ?」
澪は少し笑った。
「私も全部は知らないよ」
「え?」
「代々伝わってることしか」
「昔はね」
「各地に語り部がいたの」
「祭りの由来を伝える人」
「神話を残す人」
「土地の記憶を守る人」
◇
蒼真は祖母を思い出す。
縁側。
夕暮れ。
昔話。
今になって思う。
あれはただの昔話ではなかったのかもしれない。
◇
夕方。
神崎家へ着く。
古い日本家屋だった。
瓦屋根。
広い庭。
縁側。
そして。
どこか祖母の家に似ていた。
◇
「お邪魔します」
陸が元気よく頭を下げる。
すると。
奥から声が聞こえた。
「帰ったかい、澪」
現れたのは老婦人だった。
白髪。
優しい笑顔。
背筋はまっすぐ伸びている。
「お客様かい?」
「うん」
「神守さんたち」
◇
老婦人は一瞬だけ目を見開いた。
そして。
蒼真を見る。
じっと。
驚くほど真っ直ぐに。
「……そうか」
小さく呟いた。
「どうしたんですか?
蒼真が尋ねる。
老婦人は優しく笑った。
「いや」
「誰かによく似ていてね」
その言葉に。
蒼真の胸が少しだけざわつく。
◇
居間へ通される。
座卓。
湯気の立つお茶。
畳の香り。
どこか懐かしい空気。
やがて。
老婦人が一冊の箱を持ってきた。
木箱だった。
古い。
かなり古い。
「これは?」
蒼真が聞く。
老婦人は箱を開く。
中から現れたのは。
一冊の和綴じの書物だった。
◇
表紙には古い文字。
誰にも読めないはずなのに。
蒼真だけには読めた。
――神守録。
蒼真の心臓が大きく跳ねる。
潮も息を呑んだ。
「その本はね」
老婦人が静かに言う。
「代々の神守の旅が記されたものだよ」
部屋が静まり返る。
蒼真は言葉を失った。
代々の神守。
つまり。
自分の前にも神守がいたということ。
◇
老婦人はページを開く。
そこには。
数百年分の記録が残されていた。
旅。
祭り。
神々との出会い。
そして。
神代の航路。
◇
最後のページ近く。
蒼真の目が止まる。
そこに描かれていた人物。
若い女性。
優しい笑顔。
どこか見覚えがある。
いや。
見覚えどころではない。
蒼真は立ち上がりそうになる。
「……ばあちゃん?」
部屋の空気が止まった。
老婦人は静かに目を閉じる。
そして、
ゆっくり頷いた。
「やはり」
「君はまだ聞かされていなかったんだね」
◇
蒼真の知らない祖母の過去が。
神守の旅の記録とともに。
静かに開かれようとしていた。




