第八話 神の泉
昼過ぎ。
三人は裏山への道を登っていた。
守屋清治も同行している。
地図に記された場所を探すためだ。
「こんな山にそんな場所があったかのう……」
清治は首を傾げる。
生まれてからずっとこの集落で暮らしてきた。
それでも知らない。
それほど長い年月、忘れられていたのだ。
◇
山道は細かった。
人が通った形跡も少ない。
落ち葉が積もり。
枝が伸び放題になっている。
「本当に合ってるのか?」
陸が言う。
「多分」
「多分かよ」
「地図は本物だから」
「そこは信じよう」
◇
しばらく歩いた時だった。
潮が立ち止まる。
「ここ」
「え?」
「神気がある」
その瞬間。
蒼真の勾玉が淡く光った。
確かに。
空気が違う。
山の匂いの中に。
どこか澄んだ気配が混じっている。
◇
草木をかき分ける。
すると。
そこにあった。
小さな泉。
直径は数メートルほど。
透き通った水。
岩の隙間から絶えず湧いている。
周囲には古い石が並んでいた。
まるで祭壇の跡のように。
「こんな場所が……」
清治が息を呑む。
◇
その時。
蒼真の視界が揺れた。
水面が光る。
そして――
景色が変わった。
◇
大勢の人がいる。
今の集落よりずっと多い。
白装束の人々。
神楽を舞う若者。
笑う子どもたち。
泉の周りには灯火が並び。
皆が祈っていた。
豊作を。
海の安全を。
家族の幸せを。
◇
そして。
泉の中央から光が現れる。
淡い金色。
優しい光。
人々は歓声を上げる。
誰も恐れていない。
その光を歓迎している。
まるで長年の友人に会ったように。
◇
蒼真には分かった。
あれが祭りの神だった。
今は小さくなってしまった神。
かつてはこれほど人々に愛されていたのだ。
◇
景色が戻る。
泉だけが残る。
蒼真はしばらく言葉を失った。
「見えたの?」
潮が聞く。
蒼真は頷く。
「昔の祭りだ」
清治が目を見開く。
「本当にあったのか……」
◇
その時。
泉の水面が波紋を広げた。
誰も触れていない。
それなのに。
静かな声が聞こえる。
『思い出して』
蒼真たちは顔を上げる。
『忘れないで』
『この祭りを』
『人々の願いを』
泉そのものが語っているようだった。
◇
だが。
次の瞬間。
泉の奥から黒い霧が滲み出した。
ズズズ……
水が濁る。
冷たい気配。
潮が息を呑む。
「まずい」
「忘却の獣だ」
◇
だが昨夜の獣ではない。
もっと大きい。
もっと濃い。
泉の底から現れたそれは。
まるで巨大な鹿のような姿をしていた。
黒い角。
闇でできた身体。
そして空洞の瞳。
◇
鹿は静かに蒼真を見つめる。
そして頭の中へ声を響かせた。
『なぜ残そうとする』
『誰も望んでいない』
『人は前へ進む』
『古いものは消える』
その声は責めているわけではなかった。
むしろ静かだった。
だからこそ怖い。
◇
蒼真は拳を握る。
確かにそうだ。
時代は変わる。
全てを残すことはできない。
だが。
それでも。
消してはいけないものもある。
◇
「俺は神様を守りたいんじゃない」
蒼真は言った。
鹿が動きを止める。
「祭りを守りたいんでもない」
「じゃあ何だ」
その問いに。
蒼真は思い浮かべる。
祖母の笑顔。
凪島の人々。
潮。
陸。
祭りの写真に写っていた人たち。
そして守屋清治。
「繋がりだ」
静かに答える。
「人が人を想った証を残したい」
◇
風が吹いた。
泉の水面が輝く。
黒い鹿は黙って蒼真を見つめる。
そして。
ほんの少しだけ。
悲しそうな目をした。
まるで。
その答えを待っていたかのように。
その時。
潮がはっと顔を上げる。
「蒼真……」
「どうした?」
潮の視線は泉の奥へ向いていた。
そこには。
古い石碑が半分埋もれていた。
今まで気づかなかった。
石碑には文字が刻まれている。
そしてその文字は――
前に蒼真が見た、
おのころ島の神代文字に似ていた。
忘れられた祭りは。
どうやら国生みの神話そのものと繋がっているらしい。




