第二話 出雲へ続く海路
フェリーが港を離れる。
ゴォォォ――
低いエンジン音が響く。
白い波が船尾に広がり、凪島が少しずつ遠ざかっていった。
蒼真は甲板の手すりにもたれて海を見ていた。
春の瀬戸内海。
穏やかだ。
海面は太陽の光を受けてきらきらと輝いている。
あの日。
黄泉の王と戦った海と同じとは思えない。
ただ静かで。
どこまでも優しい。
「行っちゃうね」
隣で潮が呟いた。
蒼真は頷く。
「そうだな」
振り返れば、凪島はもう小さくなっていた。
祖母の家。
祠。
防波堤。
島の人たち。
全部あそこにある。
帰る場所だ。
今はそう思える。
◇
「しんみりしてるなぁ」
後ろから声。
陸だった。
なぜか両手いっぱいに食べ物を抱えている。
「お前何買ってきた」
「旅のお供」
「量がおかしい」
「フェリーと言えば売店だろ」
「違うと思う」
潮が即答した。
陸は納得していない顔だった。
◇
三人は船内のベンチへ移動する。
窓の向こうには島々が見えた。
大小さまざまな島。
緑に覆われた島。
小さな港がある島。
人が住んでいるのか分からない島。
まるで海に浮かぶ星々のようだった。
「瀬戸内海ってさ」
陸が窓の外を指差す。
「島いくつあるんだろうな」
「七百くらい?」
「もっとあるよ」
潮が言う。
「三千以上」
「そんなに!?」
「数え方によるけどね」
蒼真と陸が顔を見合わせる。
広いとは思っていた。
だが想像以上だった。
◇
潮は窓の外を見る。
どこか懐かしそうに。
「この海にはね」
「昔からたくさんの神様がいるんだ」
「海の神」
「風の神」
「島を守る神」
「港を守る神」
「漁師を見守る神」
「名前も残ってない神」
潮の声は優しい。
まるで古い友人の話をするようだった。
「だから瀬戸内海は特別なんだよ」
「神話の海だから」
蒼真は聞き入る。
昔なら信じなかった話。
でも今は違う。
実際に神々と出会った。
だから分かる。
神話は本の中だけの話じゃない。
今もどこかで息づいている。
◇
「そういえばさ」
陸が唐突に言う。
「出雲ってどんなところなんだ?」
蒼真も気になっていた。
招待状には出雲としか書かれていない。
潮は少し考える。
「神様たちの集まる場所」
「ざっくりだな」
「神様目線だから」
「なるほど」
全然なるほどじゃなかった。
三人は笑う。
旅が始まったばかりなのに。
不思議と肩の力が抜けていた。
◇
昼過ぎ。
フェリーは淡路島へ近づいていた。
島影が大きくなっていく。
海の向こうに広がる緑。
山並み。
港。
そして――
その時だった。
潮が急に立ち上がる。
「え?」
蒼真が振り向く。
潮の表情が変わっていた。
楽しそうだった顔が消えている。
真剣だった。
「どうした?」
潮は窓の外を見つめている。
淡路島の方向。
「聞こえる」
「何が?」
数秒の沈黙。
そして。
潮は静かに言った。
「神様が泣いてる」
その言葉に。
蒼真と陸の表情も変わる。
旅の始まり。
最初の依頼。
最初の神。
どうやら、もう待ってはくれないらしい。
春の風が吹く。
フェリーは淡路島へ向かって進み続ける。
人と神を繋ぐ旅の最初の舞台へ――。




