第六話 鳴門の渦
――鍵は、鳴門の渦の向こうにある。
父の残した一文を前にして。
蒼真はしばらく動けなかった。
鳴門。
それは凪島からも見えることがある海峡だ。
天候が良ければ、遠くに橋の影も見える。
子どもの頃。
陸と一緒に眺めたこともある。
だが。
父が残した言葉として見ると、まるで別の意味を持っているように思えた。
「鳴門の渦の向こうって……」
「そのままじゃないよ」
潮が静かに言った。
「向こう側に何かがあるって意味」
「神様の世界か?」
潮は少し驚いた顔をした。
「勘がいいね」
◇
図書館を出たあと。
二人は港へ向かった。
夕方の海は穏やかだった。
オレンジ色の光が水面を染めている。
「神様の世界って何なんだ」
蒼真は防波堤に腰掛ける。
潮も隣に座った。
「人の世界と重なってる場所」
「異世界じゃないのか」
「違う」
潮は首を振る。
「昔はもっと近かった」
「近かった?」
「人も神様も」
「一緒に生きてた」
潮は遠い海を見る。
「神社のお祭りも」
「豊漁祈願も」
「山や海への感謝も」
「全部つながってた」
「でも今は違う」
蒼真は頷く。
何となく分かる。
「だから神様が消えてるのか」
「うん」
潮の声は小さかった。
「神様の世界も小さくなってる」
「このままだと」
「いずれ全部なくなる」
蒼真は拳を握る。
「父さんはそれを止めようとしてたんだな」
潮は黙った。
否定しない。
◇
その日の夜。
蒼真は父のノートを読み返していた。
千鶴にはまだ話していない。
何となく。
まだ聞くべき時ではない気がした。
ページをめくる。
『島は鍵』
『祠は道標』
『神守が必要』
何度読んでも意味が分からない。
「神守……」
初めて見る言葉ではない。
老人の神様も言っていた。
――結城の家は、まだ守っておるのじゃな。
あの言葉。
絶対に何か関係がある。
その時だった。
コンコン。
窓が叩かれる。
「だから玄関から来い」
窓を開ける前に言っった。
「学習したね」
潮の声だった。
「うるさい」
窓を開ける。
だが。
そこにいた潮は。
いつもと違っていた。
真剣な顔。
「蒼真」
「どうした」
「来て」
その声に冗談はなかった。
蒼真はすぐに立ち上がる。
◇
連れて行かれたのは。
あの神社だった。
最初に小さな神様と出会った場所。
夜の境内。
月明かり。
静寂。
そして。
「……!」
蒼真は息を呑んだ。
神様がいた。
一人ではない。
二人。
三人。
五人。
境内のあちこちに。
老人。
子ども。
女性。
様々な姿の神様たち。
だが。
全員が透けていた。
消えかけている。
それが一目で分かった。
「なんだよ……これ」
潮は唇を噛む。
「始まったんだ」
「何が」
「神隠れ」
その言葉に。
神様たちが一斉に空を見上げた。
蒼真もつられて見上げる。
夜空。
星々。
そして。
その向こう。
空の裂け目のようなものが見えた。
黒い亀裂。
まるで世界そのものに入った傷。
蒼真の背筋が凍る。
「あれは……」
潮の顔は青ざめていた。
「神様の世界が壊れ始めてる」
風が吹く。
神社の鈴が激しく鳴る。
チリン。
チリン。
チリン。
まるで警鐘のように。
そして。
神様たちの中から一人が蒼真を見た。
白髪の老神だった。
「神守よ」
震える声で告げる。
「どうか、おのころ島を目覚めさせてくれ」
蒼真は息を呑む。
その名が。
ついに現実のものとして語られた。
――おのころ島。
日本神話最初の島。
そして。
この物語の核心が。
ゆっくりと姿を現し始めていた。




