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潮風の神守り  作者: 灯野 しおん
第一部 神話の帰る場所

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第七話 神守の血

――神守よ。

 ――どうか、おのころ島を目覚めさせてくれ。


 老神の言葉が境内に響く。 


 蒼真は言葉を失った。


「神守って何なんだよ……」

 誰に向けた言葉でもなく呟く。


 だが。


 神様たちは皆、蒼真を見ていた。 


 まるで。

 ずっと待っていた存在を見るように。


 ◇ 


「帰ろう」

 潮が小さく言った。 


「え?」

「今はまだ無理」 


 珍しく焦りが見える。 


「でも――」

「お願い」 


 その声に。

 蒼真はそれ以上何も言えなかった。


 ◇ 


 翌朝。

 結城家。

 朝食の席。 


 蒼真は意を決して口を開いた。 


「ばあちゃん」

「なんだい」

「神守って何?」 


 その瞬間。

 千鶴の箸が止まった。 


 昨日とは違う。


 今度は完全に。

 静寂が落ちる。 


 遠くで鳴く鳥の声だけが聞こえた。 


「誰に聞いたんだい」

 穏やかな声。


 だが。

 その奥に緊張があった。 


「神様たち」


 千鶴は目を閉じた。 

 そして。

 小さくため息をつく。 


「そうかい」


 その言葉は。

 諦めにも似ていた。 


「来たんだねぇ」 


 ◇ 


 その日の午後。

 千鶴は蒼真を庭へ呼んだ。 


 楠の木。

 そして祠。

 物語が始まった場所。 


 千鶴は祠の前に座る。

 蒼真も向かいに座った。 


「昔ねぇ」

 千鶴が語り始める。 


「神様が見える人がいたんだ」

「たくさん?」

「いいや」

 首を横に振る。 


「ほんの少し」

「何百人に一人」

「何千人に一人」

「そんなもんさ」 


 潮も黙って聞いていた。 


「そういう人たちは」

「神様と人を繋いだ」

「祠を守り」

「祭りを守り」

「忘れられた神様を記録した」 


 千鶴は祠を撫でる。


「神守」

「それがその人たちの呼び名だよ」 


 蒼真の喉が鳴る。 


「じゃあ」

「俺も?」 


 千鶴は頷いた。

「そうだよ」 


「結城の家は代々そうだった」 


 風が吹く。

 楠の葉が揺れる。 


 チリン――

 祠の鈴が鳴る。


「お父さんも」

「そうだった」 


 蒼真は拳を握る。

 やっぱり。


 父も見えていた。

 父も知っていた。

 神様たちのことを。 


「だから島を調べてたのか」

「そう」 


 千鶴は微笑む。

「誰よりも真面目だったからねぇ」 


 少し誇らしそうだった。

 そして。

 少し寂しそうだった。 


 ◇


「父さんは何を見つけたんだ」 

 蒼真が尋ねる。

 

 千鶴は黙った。


 長い沈黙。


 やがて。 


「おのころ島だよ」

 そう答えた。 


 蒼真の心臓が跳ねる。


「本当にあるのか?」

「ある」


 迷いのない声。


「少なくとも」

「あの子はそう言っていた」

「あの子?」 


 千鶴は潮を見る。

 蒼真も振り返る。


 潮は苦笑した。 


「ごめん」

「黙ってた」


「知ってたのか」

「うん」 


 蒼真は額を押さえる。

 この島は秘密が多すぎる。 


 ◇ 


 夕方。

 三人は縁側に並んでいた。

 海が夕日に染まっている。 


 潮は静かに言った。 


「おのころ島はね」

「普通の島じゃない」

「神様の世界と人の世界が重なる場所」

「国生みの記憶が残ってる場所」 


 その声はいつもよりずっと真剣だった。 


「でも今は閉ざされてる」

「どうやったら行ける」 


 潮は海の向こうを見た。 

 鳴門の方角。


「鳴門の渦」

「その奥に道がある」


 父のノート。

 最後の言葉。

 すべてが繋がっていく。 


「行くしかないな」

 蒼真が言う。 


 潮が目を見開いた。


「危険だよ」

「分かってる」

「帰れないかもしれない」

「それでも」


 蒼真は立ち上がる。


 夕日が背中を照らす。 


「放っておけない」 


 消えていく神様たち。

 父が残した想い。 


 そして。

 この島。


 ここが自分の居場所だから。 


 潮はしばらく蒼真を見つめていた。 


 やがて。

 ふっと笑う。

 どこか泣きそうな笑顔だった。 


「本当に似てる」

「誰に?」

「お父さん」 


 その言葉とともに。

 瀬戸内海を渡る風が吹いた。 


 まるで。

 遠いどこかで父が笑ったような気がした。

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