第七話 また来る日まで
祭りの翌朝。
島は、いつもの静かな朝へ戻っていた。
昨日まで賑やかだった広場には、もう提灯はない。
篝火のあった場所には白い灰が丸く残り、その上へ朝露が静かに降りている。
昨夜の出来事が夢だったかのような穏やかさだった。
◇
結菜は、社の石段を箒で掃いていた。
さらさら、と竹箒が石畳をなでる音だけが響く。
蒼真が近づく。
「もう掃除をしているんだ。」
結菜は振り返り、笑顔を見せた。
「祭りの次の日も、大切なんです。」
そう言って、箒を止めずに続ける。
「お祝いした場所を、きれいに戻すところまでが祭りだから。」
蒼真も近くに置かれていた箒を一本手に取った。
「手伝ってもいい?」
「もちろん。」
やがて澪たちも加わり、五人で静かに境内を掃き始めた。
誰も急がない。
誰も多くを話さない。
竹箒が落ち葉を集める音だけが、朝の空気に溶けていく。
◇
掃除を終えると、祖母が湯気の立つ急須を盆に載せてやって来た。
「お疲れさま。」
湯呑みに注がれた番茶から、香ばしい香りが立ち上る。
縁側に並んで腰掛ける。
目の前には、朝日に照らされる瀬戸内の海。
昨日の祭りが嘘のように穏やかだった。
「毎年、こうして終わるんです。」
結菜が湯呑みを包み込むように持ちながら言う。
「少し寂しいけれど……。」
「来年もあると思うと、不思議と前を向けます。」
タケルが静かに頷く。
「祈りは、一度きりでは続かぬ。」
「繰り返すからこそ、人の暮らしになる。」
祖母は嬉しそうに微笑んだ。
「その通りですね。」
◇
港へ向かう時間が近づいた。
結菜は社の奥から、小さな包みを持ってきた。
藍色の布に丁寧に包まれている。
「これ……。」
「皆さんに。」
蒼真が受け取る。
開くと、中には小さな木札が四枚入っていた。
桜の木で作られた素朴なお守り。
一枚一枚、木目が違う。
表には三本の炎。
裏には小さくこう刻まれていた。
『灯は、人へ。』
「島のみんなで作ったんです。」
「毎年、祭りの日に。」
「旅の人へ渡すものではないんですけど……。」
少し照れながら続ける。
「皆さんには、持っていてほしいなって。」
澪は両手で大切に受け取った。
「ありがとう。」
「大事にするね。」
◇
港には、小さな定期船が待っていた。
船長が綱をほどき始める。
「そろそろ出ますよ。」
蒼真たちは船へ乗り込んだ。
岸壁では、結菜と祖母、それに島の人たちが並んでいる。
誰かが大きな旗を振る。
子どもたちも負けじと両手を振る。
「また来てねー!」
「元気でねー!」
「気をつけて!」
声が潮風に乗って届く。
蒼真たちも精いっぱい手を振り返した。
船がゆっくりと岸を離れる。
島が少しずつ小さくなる。
それでも結菜は、最後まで手を振り続けていた。
その姿は、向島で見送ってくれた宿の女将にも、因島で祭りを教えてくれた人々にも重なって見えた。
旅は終わっても、縁は終わらない。
それを、この瀬戸内の人たちは自然に知っているのだ。
◇
蒼真は旅日記を開く。
結菜からもらった木札を栞のようにページへ挟み、一行を書き添えた。
> 『旅とは、別れを重ねることではない。帰って来られる場所を少しずつ増やしていくことなのだ。』
書き終えたとき、タケルが静かに海の向こうを見つめて言った。
「ここから西へ向かえば、讃岐の国。」
「空海が歩き、巡礼の道が始まる土地だ。」
蒼真は顔を上げる。
「次の旅ですね。」
「うむ。」
タケルは穏やかに微笑んだ。
「海の旅は、やがて祈りの旅へ変わる。」
定期船は白い航跡を残しながら、ゆっくりと四国本土へ向かって進んでいく。
朝の光を受けた瀬戸内海は、今日も静かに旅人たちを迎えていた。




