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潮風の神守り  作者: 灯野 しおん
第二部 第七章 灯を継ぐ島

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第五話 火のはじまり

夜が島を包んだ。


 篝火の橙色の光が、ゆらゆらと人々の顔を照らしている。


 昼間は静かだった広場も、今は笑い声で満ちていた。


 大きな鍋では魚のつみれ汁が湯気を立て、炭火では島で獲れた鯛や烏賊が香ばしく焼かれている。


 子どもたちは走り回り、大人たちは酒を酌み交わしながら近況を語り合う。


 旅人も島の人も、そこには区別がなかった。


 「蒼真さん、これもどうぞ。」


 結菜が皿を差し出す。


 小さな握り飯の上には、香ばしく焼いた味噌が塗られていた。


 「島では祭りの日によく作るんです。」


 蒼真は一口かじる。


 甘い味噌のあとから、薪火で焼かれた香りがふわりと広がった。


 「おいしい……。」


 「火の味がする。」


 結菜は少し照れながら笑った。


 「祖母も同じことを言います。」


 ◇


 広場の隅では、年配の女性たちが子どもへ昔話を聞かせていた。


 子どもたちは目を輝かせながら耳を傾けている。


 「昔はなぁ。」


 「この島には電気なんてなかったんよ。」


 「夜になると、この火だけが頼りだった。」


 小さな男の子が尋ねる。


 「怖くなかったの?」


 おばあさんは篝火を見つめた。


 「怖かったよ。」


 「だからみんなで火を囲んだんだ。」


 「一人だと暗い夜も、みんなで笑えば明るくなるからね。」


 ◇


 少し離れた場所で、蒼真たちは篝火を囲んで腰を下ろしていた。


 炎が薪をはぜる音だけが、静かに響いている。


 その時、結菜がタケルへ尋ねた。


 「タケルさん。」


 「昼間、『長い時を越えたな』って言っていましたよね。」


 「どうして、この火を知っていたんですか?」


 蒼真たちも自然とタケルを見る。


 タケルは炎を見つめたまま、しばらく黙っていた。


 やがて、小さく息をつく。


 「……昔の話だ。」


 ◇


 炎が静かに揺れる。


 「まだ、人が火を自由に扱えなかった頃。」


 「冬は長く、夜は深かった。」


 「人は寒さを恐れ、闇を恐れていた。」


 子どもたちまで、いつの間にかタケルの周りへ集まっていた。


 誰も話を遮らない。


 「ある日、一人の娘が山で迷った。」


 「吹雪の中で、もう帰れないと思ったその時。」


 「一羽の白い鳥が現れた。」


 「鳥は娘を洞穴へ導き、そこで一つの小さな火を見つけた。」


 タケルは篝火を見つめる。


 「その火は、誰のものでもなかった。」


 「山のものでも。」


 「神のものでも。」


 「ただ、命をつなぐために、この世へ灯っていた。」


 ◇


 結菜は息をのんで聞いている。


 「娘は、その火を村へ持ち帰った。」


 「けれど、自分だけのものにはしなかった。」


 「隣の家へ。」


 「旅人へ。」


 「寒さに震える老人へ。」


 「生まれたばかりの子へ。」


 「火を分け続けた。」


 タケルは静かに微笑む。


 「すると、不思議なことが起きた。」


 「火は、どれだけ分けても小さくならなかった。」


 子どもたちが顔を見合わせる。


 「どうして?」


 タケルは優しく答えた。


 「それは火が薪だけで燃えていたのではないからだ。」


 「人が『誰かを温めたい』と願う心が、炎を育てていた。」


 ◇


 広場は静まり返っていた。


 風が吹き、篝火がゆっくり揺れる。


 結菜が小さくつぶやく。


 「だから……祖母は『火は借りるもの』って。」


 「そういう意味だったんですね。」


 タケルは静かにうなずいた。


 「火は、持つものではない。」


 「預かるものだ。」


 「そして、次の人へ渡すものだ。」


 その言葉に、島の長老も深くうなずいていた。


 まるで、遠い昔から知っていた話を、もう一度思い出したように。


 ◇


 その夜。


 祭りは遅くまで続いた。


 太鼓が鳴り、笛が響き、人々は輪になって踊る。


 蒼真たちも手を引かれ、ぎこちなく輪へ加わった。


 笑い声が夜空へ昇る。


 その上には、こぼれ落ちそうな満天の星。


 そして、その星の下では、一つの火が変わらず静かに燃え続けていた。


 蒼真は旅日記を開く。


 今日の最後の一行を書く。


 > 「火は夜を照らす。けれど、人の心を照らすのは、その火を囲む誰かの笑顔なのだ。」


 ページを閉じると、篝火がぱちり、と小さく音を立てた。


 まるで、その言葉に静かに頷いてくれたようだった。

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