第三話 祭りの支度
社を出ると、島のあちこちから木槌の音が聞こえてきた。
コン、コン。
トントン。
海風に乗って、心地よい音が坂道を流れていく。
「もう始まってる。」
少女――**結菜**は、嬉しそうに足を速めた。
「祭りの日は、朝から島中が仕事場になるんです。」
◇
港では若い漁師たちが青竹を運び、年配の人たちは注連縄を張っている。
子どもたちは小さな手いっぱいに椿の葉を抱え、笑いながら境内へ向かっていた。
「走ると転ぶぞー。」
一人の老人が声を掛ける。
「はーい!」
返事は元気だが、足は少しも止まらない。
その様子に、大人たちは笑い合っていた。
◇
「何か、お手伝いできることはありますか?」
蒼真が尋ねると、結菜は少し考えてから微笑んだ。
「じゃあ、一緒に提灯を飾ってもらえますか?」
社の倉から運び出された木箱には、丸い和紙の提灯がきれいに並んでいた。
赤でも白でもない。
やさしい生成り色。
一つひとつに、墨で三本の炎が描かれている。
蒼真はそっと提灯を受け取った。
驚くほど軽い。
「毎年、新しく作るんですか?」
「いいえ。」
結菜は首を振る。
「破れたものだけを張り替えるんです。」
「使えるものは、また来年も使います。」
その言葉に、澪は静かに頷いた。
「大切に使ってきたんだね。」
「はい。」
「祖母は、『物にも祭りの日を迎える楽しみがある』って言うんです。」
◇
四人は長い竹竿を支えながら、参道へ提灯を掛けていく。
一つ。
また一つ。
風に揺れる提灯は、昼間でもどこか温かく見えた。
陸が見上げる。
「夜になったら、きれいだろうな。」
「うん。」
潮も空を見上げた。
「星みたいになるね。」
◇
境内では、おばあさんたちが大きな釜を囲んでいた。
湯気の向こうから、だしの香りが漂ってくる。
「こんにちは。」
澪が声を掛ける。
「こんにちは。」
おばあさんは笑顔でお玉を動かした。
「旅の人かい?」
「はい。」
「お昼は食べた?」
四人が顔を見合わせる。
「まだです。」
「なら、ちょうどいい。」
「味見をお願い。」
◇
差し出された小さなお椀には、野菜がたっぷり入った汁物。
大根。
人参。
ごぼう。
里芋。
島で揚がった小魚から取っただしが、やさしく香る。
蒼真が一口飲む。
「……おいしい。」
体の奥まで、じんわりと温かくなる。
「祭りの日はね。」
おばあさんが言う。
「誰がお客さんで、誰が島の人かなんて関係ない。」
「お腹が空いてる人がいたら、一緒に食べる。」
「それが、この島の祭り。」
◇
その時、小さな女の子が転びそうになった。
抱えていた椿の葉が、ぱっと地面へ散らばる。
「あっ……。」
泣きそうな顔になる。
すると近くにいた漁師も、おばあさんも、蒼真たちも、一斉にしゃがみ込んだ。
「はい。」
「ありがとう。」
「こっちにもあるよ。」
あっという間に葉は集められた。
女の子は胸に抱え直すと、深々と頭を下げる。
「ありがとう!」
元気な声が境内に響いた。
◇
その様子を見ていたタケルが、小さく微笑む。
「火は、人を照らす。」
「だが、人もまた、人を照らしている。」
蒼真は、その言葉を胸の中で繰り返した。
今日一日、まだ火は社の中にある。
それなのに島はもう温かい。
炎が灯る前から、人の心が互いを照らしているからだ。
◇
午後になると、太鼓の音が響き始めた。
ドン……。
ドン……。
ゆっくりとしたリズム。
急がない。
競わない。
まるで島の鼓動のような音だった。
結菜は社の方を見つめ、小さく息を吸う。
「もうすぐです。」
「何が?」
蒼真が尋ねる。
結菜は静かに微笑んだ。
「火守の役目です。」
その笑顔には少しだけ緊張があった。
けれど、それ以上に「受け継ぐ」という静かな覚悟が宿っていた。




