第七話 町へ帰る風
来島海峡大橋を渡り終えると、景色が少しずつ変わり始めた。
島で見慣れた畑や入り江に代わり、道路沿いには店が並び始める。
自転車に乗った学生が笑いながら坂を下り、通学途中の子どもたちが「おはようございます」と元気よく挨拶を交わしていた。
「町だね。」
澪が小さく笑う。
「うん。」
蒼真も頷く。
「久しぶりに信号をたくさん見た気がする。」
四人は思わず笑った。
島を歩いてきた日々が、もうずいぶん前のことのようにも感じられる。
◇
商店街へ入ると、店先には色とりどりの暖簾が揺れていた。
朝から開いているパン屋には焼きたての香りが漂い、和菓子屋のガラスケースには季節の水まんじゅうが涼しげに並んでいる。
小さな喫茶店の扉が開き、コーヒーの香ばしい香りが風に乗って流れてきた。
「いい匂い……。」
陸のお腹が、小さく鳴る。
「聞こえた?」
澪が笑う。
「……聞こえた。」
本人も照れくさそうに笑い、四人の笑い声が商店街へ溶けていった。
◇
歩いていると、一軒のタオル店が目に入った。
店先には白だけではなく、空色、若葉色、蜜柑色、藤色……さまざまな色のタオルが風に揺れている。
まるで町の中に、小さな虹が掛かっているようだった。
「きれい。」
澪が思わず足を止める。
店の奥から女性が顔を出した。
「どうぞ、見ていってください。」
◇
店内には、手ぬぐいから大きなバスタオルまで、さまざまな製品が並んでいた。
どれも驚くほど柔らかい。
蒼真が一枚そっと手に取る。
「……軽い。」
「それでいて、しっかりしてる。」
女性は嬉しそうに微笑んだ。
「今治のタオルはね。」
「やさしく水を吸うことを、とても大切にしているんです。」
「水を吸う?」
陸が首をかしげる。
「はい。」
「新しいタオルって、水をはじくものもありますよね。」
「でも、毎日使うものだからこそ、最初から気持ちよく使っていただきたい。」
「だから、仕上げにもたくさんの工夫があるんですよ。」
◇
潮はタオルを指先でなでながらつぶやく。
「なんだか、海の風みたい。」
女性は目を細めた。
「うれしい表現ですね。」
「この町では、昔から水が大切でした。」
「染めるにも。」
「洗うにも。」
「仕上げるにも。」
「いい水があってこそ、いいタオルになるんです。」
蒼真は旅日記に書いた「塩は海が姿を変えたもの」という言葉を思い出す。
ここでは、水が人の手を通して暮らしを支えている。
海も、水も、人も。
みんなつながっている。
◇
店を出るとき、女性は四人に小さなハンドタオルを見せてくれた。
角には、しまなみ海道を渡る橋の刺繍が施されている。
「旅の記念に人気なんですよ。」
蒼真はその刺繍をじっと見つめた。
橋は細い糸で縫われている。
けれど、その一本一本が重なって、美しい景色を描いていた。
「人と人を結ぶ橋も、こうして少しずつ作られるんですね。」
女性は優しく頷いた。
「一本の糸は細くても、織り重なると丈夫な布になります。」
「人とのご縁も、きっと同じですよ。」
その言葉は、まるでこの旅そのものを表しているようだった。
◇
商店街を歩きながら、蒼真は旅日記を開く。
今日のページには、こう記した。
『布は一本の糸ではできない。』
少し考え、続けて書く。
『旅も、一つの出会いだけでは完成しない。重なり合う出会いが、人を少しずつ育ててくれる。』
ページを閉じると、商店街の時計が正午を告げた。
どこからか聞こえてくる自転車のベル。
パン屋から漂う焼きたての香り。
学校帰りの子どもたちの笑い声。
今治の町は、特別な何かを見せようとはしなかった。
ただ、いつもの一日を、いつものように過ごしていた。
その何気ない日常こそが、この町の一番美しい風景なのだと、蒼真は静かに感じていた。




