第六話 流れを読む
翌朝。
四人は大島の北端へ向かって歩いていた。
空は淡い青。
遠くには、白い来島海峡大橋が幾重にも連なり、海の上へ一本の道を描いている。
橋の下では、潮が複雑な模様を描いて流れていた。
「昨日までの海と違う……。」
潮が立ち止まる。
海面には、いくつもの渦が生まれては消え、また別の場所で白波が立つ。
静かな瀬戸内海とは思えないほど、海は力強く息づいていた。
◇
展望台には、一人の男性が双眼鏡をのぞいていた。
首には古びたストラップの付いた双眼鏡。
足元には使い込まれたノート。
蒼真たちが挨拶すると、男性は笑顔で応えた。
「海を見に来たのかい?」
「はい。」
「来島海峡を見たくて。」
男性は海へ目を向けた。
「ここはね。」
「海が毎日違う顔を見せる場所なんだ。」
◇
ノートを開くと、そこには潮の流れや風向きが、何年分も丁寧に記されていた。
「観測日誌ですか?」
澪が尋ねる。
「趣味みたいなものだよ。」
男性は照れ笑いを浮かべる。
「子どもの頃、祖父が船乗りだったんだ。」
「毎朝ここへ来て、海を見ていた。」
「潮を読むためですか?」
「そう。」
「祖父はいつも言っていた。」
男性は海を見つめたまま、静かに続ける。
「海に勝とうとするな。海に教わりなさい。」
◇
風が少し強くなった。
海面の渦が、ゆっくりと形を変えていく。
タケルが欄干に手を置く。
「蒼真。」
「はい。」
「お前なら、この潮をどうする。」
蒼真はしばらく考えた。
「……避けたい。」
「飲み込まれそうだから。」
タケルは頷く。
「それも一つの答えだ。」
「だが、昔の船乗りには避けられない日もあった。」
「では、どうしたと思う?」
陸が答える。
「力いっぱい漕いだ?」
タケルは首を横に振る。
潮が小さくつぶやく。
「待った……?」
タケルは穏やかに微笑んだ。
「そうだ。」
◇
「潮が変わるまで待つ。」
「風が変わるまで待つ。」
「夜が明けるまで待つ。」
「待つことは、あきらめることではない。」
「安全に進むための知恵だ。」
蒼真は因島で聞いた「潮待ち」の話を思い出す。
あの港で交わされた言葉が、ここへつながっていた。
旅で出会った出来事は、決して点ではない。
一本の航路のようにつながっている。
◇
そのとき、一隻の小さな船が海峡へ入ってきた。
無理に潮へ逆らわない。
流れに合わせ、少し向きを変えながら、静かに進んでいく。
「あんなふうに……。」
澪が見つめる。
男性が頷いた。
「船長さんは潮を読んでいるんだ。」
「逆らうところと、任せるところを知っている。」
「人生も似ているのかもしれないね。」
その言葉に、四人は静かに笑った。
◇
展望台をあとにする前、男性は日誌を閉じて言った。
「旅も同じだよ。」
「予定どおりにいかない日がある。」
「風が強い日もある。」
「雨の日もある。」
「でも、その日だから出会える景色もある。」
蒼真は深く頷いた。
この旅で、それを何度も教わってきた。
◇
旅日記を開く。
今日のページに書いたのは、たった二行だった。
> 『流れに逆らわないことは、流されることではない。』
> 『進む時を知り、待つ時を知る。それも旅の強さなのだ。』
ページを閉じると、海峡を渡る風が旅日記の表紙をそっと撫でた。
タケルは来島海峡を見つめながら、小さくつぶやく。
「神々もまた、この海から人に学んだのかもしれんな。」
その言葉は風に溶け、白い橋の向こう――四国の大地へと運ばれていった。




