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潮風の神守り  作者: 灯野 しおん
第二部 第六章 海と空のあいだ

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第五話 海を刻む町

大島へ渡ると、海の景色が少し変わった。


 港には大小さまざまな船が並び、その向こうには大きなクレーンが空へ向かって腕を伸ばしている。


 金属を打つ音が、潮風に乗って響いてきた。


 カン――。


 カン――。


 一定の間隔で繰り返される音は、不思議と耳に心地よい。


 「ここが……造船の町。」


 蒼真は港を見渡した。


 漁船だけではない。


 貨物船、タグボート、フェリー。


 さまざまな船が行き交い、この町が海とともに生きていることを物語っていた。


 ◇


 港の近くを歩いていると、一軒の小さな造船所の前で作業服姿の男性が手を振った。


 「見学かい?」


 「はい。」


 「少しだけ、お邪魔してもいいですか。」


 「もちろん。」


 男性は笑顔で門を開けてくれた。


 中では数人の職人が、それぞれ違う作業に向き合っていた。


 溶接の火花が一瞬だけ青白く光る。


 鉄板を測る人。


 図面を広げる人。


 船底を磨く人。


 誰一人として急いでいるようには見えない。


 それでも作業は、驚くほど無駄がなかった。


 ◇


 「船って、一人で作るんじゃないんですね。」


 澪が感心して言う。


 男性は大きく頷いた。


 「一隻の船には、何百人もの仕事が詰まっとる。」


 「設計する人。」


 「鉄を切る人。」


 「溶接する人。」


 「塗装する人。」


 「機械を据え付ける人。」


 「誰か一人欠けても、船は海へ出られん。」


 蒼真は旅を思い返した。


 祭りもそうだった。


 塩づくりも。


 神社も。


 どれも、一人では続けられない。


 ◇


 工場の奥から、白い髭をたくわえた老人がゆっくり歩いてきた。


 「じいちゃん。」


 男性がそう呼ぶ。


 老人は日に焼けた手で帽子を取り、穏やかに笑った。


 「旅か。」


 「はい。」


 「しまなみ海道を歩いています。」


 「それはええ旅じゃ。」


 老人は建造中の船を見上げた。


 「わしが若い頃は、まだ木の船も造っとった。」


 「今は鉄ばかりじゃがの。」


 陸が目を輝かせる。


 「木の船も?」


 「ああ。」


 「木には木の声がある。」


 「鉄には鉄の癖がある。」


 「素材は変わっても、船づくりで一番大事なものは変わらん。」


 ◇


 「何ですか?」


 潮が尋ねる。


 老人は少し考え、ゆっくりと答えた。


 「帰ってくることじゃ。」


 四人は静かに耳を傾ける。


 「船は港を出るために造るんやない。」


 「港へ帰ってくるために造るんじゃ。」


 その言葉に、蒼真の胸が熱くなった。


 大山祇神社で学芸員が話してくれた言葉。


 『帰ってくることのできた証。』


 あの想いが、ここにも息づいている。


 ◇


 老人は船体にそっと手を置いた。


 「この船に乗る人の顔は知らん。」


 「どこの海を走るかも分からん。」


 「それでもな。」


 「無事に帰ってきてほしいと思いながら、一つひとつ溶接する。」


 少し照れたように笑う。


 「昔から、そう教わってきた。」


 若い職人が、その言葉に静かに頷く。


 「だから、最後の点検は何度やってもいいんです。」


 「『これくらいでいい』じゃなくて、『もう一度見よう』って。」


 ◇


 工場の隅には、小さな黒板が掛けられていた。


 そこには、その日の予定ではなく、手書きの一文が書かれている。


 > 『今日も全員、無事に帰ろう。』


 蒼真はその文字を見つめた。


 仕事を終えて家へ帰る。


 海から港へ帰る。


 旅から故郷へ帰る。


 「帰る」という言葉は、どこへ行っても人を優しく包んでくれる。


 ◇


 造船所を後にすると、港には夕暮れの光が差し始めていた。


 建造中の船の向こうを、一隻のフェリーがゆっくりと通り過ぎる。


 その船の甲板で、小さな子どもが岸へ向かって大きく手を振っていた。


 岸壁では、それに応えるように祖父らしき男性が帽子を振っている。


 言葉は聞こえない。


 けれど、その光景だけで十分だった。


 「またね。」


 「いってらっしゃい。」


 「おかえり。」


 そんな言葉が、夕暮れの港には満ちている気がした。


 ◇


 蒼真は旅日記を開き、新しい一頁に書き記した。


 > 『船は港を出るためではなく、帰ってくるためにつくられる。』


 その下へ、もう一行。


 > 『人もまた、帰る場所があるから、新しい海へ漕ぎ出す勇気を持てる。』


 ページを閉じると、潮風が静かに吹き抜けた。


 港の向こうでは、造船所のクレーンが夕焼けに染まり、まるで瀬戸内海を見守る大きな灯台のように立っていた。

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