第五話 海を刻む町
大島へ渡ると、海の景色が少し変わった。
港には大小さまざまな船が並び、その向こうには大きなクレーンが空へ向かって腕を伸ばしている。
金属を打つ音が、潮風に乗って響いてきた。
カン――。
カン――。
一定の間隔で繰り返される音は、不思議と耳に心地よい。
「ここが……造船の町。」
蒼真は港を見渡した。
漁船だけではない。
貨物船、タグボート、フェリー。
さまざまな船が行き交い、この町が海とともに生きていることを物語っていた。
◇
港の近くを歩いていると、一軒の小さな造船所の前で作業服姿の男性が手を振った。
「見学かい?」
「はい。」
「少しだけ、お邪魔してもいいですか。」
「もちろん。」
男性は笑顔で門を開けてくれた。
中では数人の職人が、それぞれ違う作業に向き合っていた。
溶接の火花が一瞬だけ青白く光る。
鉄板を測る人。
図面を広げる人。
船底を磨く人。
誰一人として急いでいるようには見えない。
それでも作業は、驚くほど無駄がなかった。
◇
「船って、一人で作るんじゃないんですね。」
澪が感心して言う。
男性は大きく頷いた。
「一隻の船には、何百人もの仕事が詰まっとる。」
「設計する人。」
「鉄を切る人。」
「溶接する人。」
「塗装する人。」
「機械を据え付ける人。」
「誰か一人欠けても、船は海へ出られん。」
蒼真は旅を思い返した。
祭りもそうだった。
塩づくりも。
神社も。
どれも、一人では続けられない。
◇
工場の奥から、白い髭をたくわえた老人がゆっくり歩いてきた。
「じいちゃん。」
男性がそう呼ぶ。
老人は日に焼けた手で帽子を取り、穏やかに笑った。
「旅か。」
「はい。」
「しまなみ海道を歩いています。」
「それはええ旅じゃ。」
老人は建造中の船を見上げた。
「わしが若い頃は、まだ木の船も造っとった。」
「今は鉄ばかりじゃがの。」
陸が目を輝かせる。
「木の船も?」
「ああ。」
「木には木の声がある。」
「鉄には鉄の癖がある。」
「素材は変わっても、船づくりで一番大事なものは変わらん。」
◇
「何ですか?」
潮が尋ねる。
老人は少し考え、ゆっくりと答えた。
「帰ってくることじゃ。」
四人は静かに耳を傾ける。
「船は港を出るために造るんやない。」
「港へ帰ってくるために造るんじゃ。」
その言葉に、蒼真の胸が熱くなった。
大山祇神社で学芸員が話してくれた言葉。
『帰ってくることのできた証。』
あの想いが、ここにも息づいている。
◇
老人は船体にそっと手を置いた。
「この船に乗る人の顔は知らん。」
「どこの海を走るかも分からん。」
「それでもな。」
「無事に帰ってきてほしいと思いながら、一つひとつ溶接する。」
少し照れたように笑う。
「昔から、そう教わってきた。」
若い職人が、その言葉に静かに頷く。
「だから、最後の点検は何度やってもいいんです。」
「『これくらいでいい』じゃなくて、『もう一度見よう』って。」
◇
工場の隅には、小さな黒板が掛けられていた。
そこには、その日の予定ではなく、手書きの一文が書かれている。
> 『今日も全員、無事に帰ろう。』
蒼真はその文字を見つめた。
仕事を終えて家へ帰る。
海から港へ帰る。
旅から故郷へ帰る。
「帰る」という言葉は、どこへ行っても人を優しく包んでくれる。
◇
造船所を後にすると、港には夕暮れの光が差し始めていた。
建造中の船の向こうを、一隻のフェリーがゆっくりと通り過ぎる。
その船の甲板で、小さな子どもが岸へ向かって大きく手を振っていた。
岸壁では、それに応えるように祖父らしき男性が帽子を振っている。
言葉は聞こえない。
けれど、その光景だけで十分だった。
「またね。」
「いってらっしゃい。」
「おかえり。」
そんな言葉が、夕暮れの港には満ちている気がした。
◇
蒼真は旅日記を開き、新しい一頁に書き記した。
> 『船は港を出るためではなく、帰ってくるためにつくられる。』
その下へ、もう一行。
> 『人もまた、帰る場所があるから、新しい海へ漕ぎ出す勇気を持てる。』
ページを閉じると、潮風が静かに吹き抜けた。
港の向こうでは、造船所のクレーンが夕焼けに染まり、まるで瀬戸内海を見守る大きな灯台のように立っていた。




