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潮風の神守り  作者: 灯野 しおん
第二部 第六章 海と空のあいだ

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第三話 縁側の梅干し

縁側へ上がると、潮風が軒先をやさしく吹き抜けた。


 風鈴が、ちりん、と一度鳴る。


 庭先には大きな梅の木。


 その木陰で、竹ざるいっぱいに並べられた梅が夕日に照らされていた。


 「きれい……。」


 澪が思わず声を漏らす。


 赤く色づいた梅が、宝石のように輝いている。


 「今年は天気が続いたからね。」


 おばあさんは嬉しそうに梅を見つめた。


 「いい色になったよ。」


 ◇


 ほどなくして、湯気の立つ急須と湯のみが運ばれてきた。


 湯のみには、ほんのり柑橘の絵柄が描かれている。


 「熱いから、気をつけて。」


 お茶をひと口含むと、やさしい香ばしさが口いっぱいに広がった。


 「おいしい。」


 陸がほっと息をつく。


 歩き続けた体から、少しずつ力が抜けていく。


 ◇


 「旅はどこまで?」


 「今治まで歩く予定です。」


 蒼真が答えると、おばあさんは驚いたように目を丸くした。


 「歩いて?」


 「若いっていいねえ。」


 四人は照れくさそうに笑う。


 「でもね。」


 おばあさんは静かに続けた。


 「昔は歩くのが当たり前だったんよ。」


 「橋もなかったし、船を待つ時間も長かった。」


 「だから、お弁当には必ず梅干しを入れたもんじゃ。」


 ◇


 「どうして梅干しなんですか?」


 潮が尋ねる。


 おばあさんはざるの梅を一つ手に取った。


 「傷まんから。」


 「それもある。」


 「でも、一番はね。」


 少し笑って言う。


 「無事に帰ってこられるように、って願いを込めて入れるんよ。」


 四人は顔を見合わせた。


 「願い……。」


 「そう。」


 「お腹をこわさんように。」


 「暑さに負けんように。」


 「元気で帰ってこられるように。」


 「梅干し一つにも、そんな願いが入っとる。」


 ◇


 おばあさんは小さなおにぎりを握り始めた。


 炊きたてのご飯。


 真ん中に、赤い梅干し。


 そして朝見たばかりの伯方の塩を、指先でひとつまみ。


 ころころと転がしながら、丸く形を整えていく。


 「はい。」


 四人へ一つずつ差し出した。


 蒼真は両手で受け取る。


 まだ、ほんのり温かい。


 ひと口かじる。


 ふっくらしたご飯。


 塩のやさしい旨み。


 そして梅干しの酸っぱさが、ゆっくりと広がる。


 「……おいしい。」


 思わずそうつぶやくと、おばあさんは目を細めた。


 「それはね。」


 「塩がおいしいからでも、梅がおいしいからでもない。」


 「誰かの『気をつけてね』が入っとるけんよ。」


 その言葉に、四人はしばらく何も言えなかった。


 ◇


 縁側の向こうでは、夕日が海へゆっくりと沈んでいく。


 オレンジ色に染まった瀬戸内海は、昼間とはまるで違う表情を見せていた。


 蒼真はぽつりと言う。


 「この旅で、何度『気をつけて』って言ってもらっただろう。」


 澪が笑う。


 「『またおいで』もね。」


 陸が続ける。


 「『いってらっしゃい』も。」


 潮は静かに頷いた。


 「旅って、歩いた距離じゃなくて。」


 「かけてもらった言葉の数なのかもしれない。」


 タケルは満足そうに微笑んだ。


 「その言葉を忘れぬ者は、どこへ行っても帰る場所を失わない。」


 ◇


 帰り際、おばあさんは小さな包みを手渡した。


 竹の皮で丁寧に包まれている。


 「明日のお昼に食べなさい。」


 開けると、小さなおにぎりが四つ並んでいた。


 「そんな、いただけません。」


 蒼真が慌てると、おばあさんは首を振る。


 「旅人には旅人のお弁当がいる。」


 「その代わり。」


 「また、この島へ帰っておいで。」


 その笑顔は、どこか向島の宿の女将にも、大山祇神社で落ち葉を掃いていた女性にも重なって見えた。


 四人は深く頭を下げる。


 「ありがとうございました。」


 「いってきます。」


 おばあさんは縁側から大きく手を振る。


 「うん。」


 「いってらっしゃい。」


 その声に送られながら、四人は夕暮れの道を歩き始めた。


 潮風が背中を押す。


 竹の皮越しに伝わるおにぎりのぬくもりは、不思議とまだ残っていた。

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