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潮風の神守り  作者: 灯野 しおん
第二部 第六章 海と空のあいだ

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第二話 白い塩、青い海

橋を渡り終えると、潮の香りが少し変わった。


 どこか、乾いた風。


 海の匂いに混じって、陽射しに温められた石の匂いが漂ってくる。


 「ここが伯方島か。」


 蒼真は深く息を吸い込んだ。


 瀬戸内の空は高く、白い雲がゆっくりと流れている。


 道端には夏の草花が揺れ、畑では柑橘の若い実が風に揺れていた。


 「のどかだね。」


 澪が笑う。


 「歩く速さまで、ゆっくりになる。」


 ◇


 坂道を下ると、海沿いに白い山のようなものが見えた。


 「雪?」


 陸が目を丸くする。


 「こんな季節に?」


 近づいてみると、それは雪ではなかった。


 陽の光を浴びてきらきらと輝く、真っ白な塩だった。


 「塩だ……。」


 潮が思わず声を上げる。


 白い塩の山は、小さな丘のように積み上げられている。


 その向こうには、穏やかな海。


 空の青と、塩の白。


 まるで一枚の絵のような景色だった。


 ◇


 作業場では、一人の男性が塩を木の道具で丁寧にならしていた。


 額には汗が光っている。


 蒼真たちが見学していると、男性は手を止めて笑顔を向けた。


 「こんにちは。」


 「こんにちは。」


 「見学ですか?」


 「はい。」


 「塩づくりを見てみたくて。」


 男性は頷いた。


 「どうぞ。」


 「でも、思っているより地味ですよ。」


 そう言って笑う。


 ◇


 案内された先では、海水がゆっくりと蒸発する工程が続いていた。


 派手な機械音はない。


 静かな作業だけが積み重ねられている。


 「海水を煮詰めるだけじゃないんですね。」


 澪が驚く。


 「ええ。」


 男性は頷く。


 「海も毎日違います。」


 「風も。」


 「湿度も。」


 「だから、同じように作っても、同じ塩にはならない。」


 蒼真は、その言葉にどこか聞き覚えがあった。


 『同じ朝は一度もありません。』


 大山祇神社で出会った女性。


 『同じ景色は一度もない。』


 橋で出会った老人。


 そして今。


 『同じ塩はできない。』


 旅の途中で聞いた言葉が、少しずつ一つの物語になっていく。


 ◇


 男性は掌に少しだけ塩をのせてくれた。


 「味見してみますか。」


 蒼真は恐る恐る口へ運ぶ。


 しょっぱい。


 でも、そのあとにほんのりと甘みが広がった。


 「……おいしい。」


 思わず笑みがこぼれる。


 男性も嬉しそうに笑った。


 「塩って、不思議でしょう。」


 「しょっぱいだけじゃない。」


 「海の味がするんです。」


 ◇


 作業場の外へ出ると、風が吹いた。


 白い塩の山が陽射しを受けて輝いている。


 澪が静かに言った。


 「海って、魚だけじゃないんだね。」


 「塩にもなる。」


 「橋にもなる。」


 「旅にもなる。」


 タケルが頷く。


 「海は、姿を変えながら人を支えている。」


 「それは神々の時代も、今も変わらない。」


 ◇


 帰り際、男性は小さな紙袋を差し出した。


 「旅のお守りです。」


 中には、ひとつまみの塩が入っていた。


 「昔、船乗りは塩を大切に持ち歩いたそうです。」


 「旅の安全を願って。」


 蒼真は両手で受け取り、深く頭を下げる。


 「ありがとうございます。」


 「大事にします。」


 男性は照れくさそうに笑った。


 「使う時が来たら、料理に使ってください。」


 「旅の思い出は、飾るだけじゃなく、暮らしの中で使うのが一番ですから。」


 その言葉に、四人は顔を見合わせて笑った。


 ◇


 歩き始めると、伯方島の海が午後の日差しを受けて静かに輝いていた。


 蒼真は旅日記を開く。


 > 『塩は海が姿を変えたものだった。

 >

 > 人もまた、出会いによって少しずつ姿を変えていく。』


 ページの隅に、小さな白い塩の山を描き添える。


 それは今日という一日を忘れないための、小さな印だった。


 ---


 夕方、宿へ向かう途中、一人のおばあさんが縁側で梅を干していた。


 ざるいっぱいに並んだ梅が、夕陽に照らされて赤く染まっている。


 「こんにちは。」


 蒼真が声をかけると、おばあさんは穏やかに笑った。


 「こんばんは。」


 「旅の人かい?」


 「はい。」


 「それなら、よかったらお茶でも飲んでいきなさい。」


 四人は顔を見合わせる。


 この旅で何度目だろう。


 知らない人に「寄っていきなさい」と声をかけてもらうのは。


 蒼真は笑顔で頷いた。


 「ありがとうございます。」


 縁側へ吹く潮風は、どこまでもやさしかった。

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