第57話 竜種襲来
都は、まるで別世界のように静まり返っていた。
いつもなら活気に満ち、商人たちの呼び声と子どもたちの笑い声が交錯する大通りも、いまは誰ひとり姿を見せない。閉ざされた窓の隙間から、怯えた住人たちがただ外の様子を窺うのみである。
四方の門は完全に閉ざされ、壁の上には兵士たちが弓を構え、背後には普段は布に覆われていた巨大な投石器やバリスタが並んでいた。戦時の備えは整っている。それでも、その顔には決して消えない不安の影が差していた。
「……何が来るんだ?」
「獣どもが山脈から押し寄せてきたと……。あの数、異常だ」
「獣があんな逃げ方をするかよ。まるで……」
兵士たちの囁きは恐怖に満ちていた。彼らが見たのは、普段は人を避ける山の獣たちが群れをなして都へと駆け降りてくる姿だった。鹿も、熊も、狼も、一目散に壁を越えんばかりに逃げてきたのだ。都に入らぬよう矢が放たれ、獣たちは外で散り散りになったが、その光景は一つの答えを物語っていた。
――『何かが』彼らを恐怖させ、追い立てているのだ。
冒険者ギルドもまた、緊急依頼を掲示していた。
【都防衛依頼:竜種と思わしき脅威】
報酬額は通常の何倍に跳ね上がり、冒険者たちはざわめきながらも武器を手にした。
「竜の討伐なんて、本当にあるんだな……」
「討ち取れれば一生食うに困らんぞ!」
恐怖と興奮が入り混じる。
その時だった。
地が揺れた。遠雷のごとき響きが近づいてくる。兵士も冒険者も一斉に北門の方角へ視線を向けた。
そこには黒い霧が立ち込めていた。霧を纏った巨影が現れる。
大地を踏みしめるたびに地表は腐食し、草木は黒ずみ、瞬く間に荒地と化していった。
それは、誰もが物語でしか知らぬ存在。
黒緑色の鱗を持ち、四肢で大地を掴みながら歩む巨竜。大きな翼を広げると、そこから吹き荒れる風は不安と恐怖を煽っていく。
「あれは……言い伝えに残る特徴から該当しそうな生き物は1つしかいない。」
老いた歴史学者が壁上で呟いた。
「邪毒竜マジデーヤ・バイポ・イズン。はるか昔、世界を毒で覆い、人類を滅亡寸前に追いやったとされる竜」
誰もが凍りついた。御伽噺だと思っていた存在が、いま目の前に実在している。
―――――――――ッ
竜の咆哮が轟いた。
それは大地を震わせ、都の石壁までも共鳴させるほどの衝撃で、人々の心臓を握り潰すような恐怖を与えた。
すぐさま防衛隊長の号令が飛ぶ。
「撃てぇぇっ!」
バリスタが矢を放ち、投石器から巨石が唸りを上げて飛ぶ。邪毒竜は大きな翼を広げ、風を巻き起こしてそれらをことごとく当たることなく地に落ちる。砕けた矢片と石塊が地面に散らばり、兵士たちの顔色が蒼白になる。
さらなる絶望を与えるかのように竜の口から放たれたのは、黒緑色のブレスだった。液体のようでいて泡のようでもあり、触れた瞬間に石を腐食させ、鋼をもろく溶かしていく。
壁の一角が溶け崩れ、吐き気を催す腐臭が上がる。
「ひっ、避けろぉぉ!」
兵士たちが叫び、必死に退避した。
人々は壁の中で震えていた。扉一枚隔てた向こうに、伝説の破壊者がいる。泣き叫ぶ子を抱きしめ、祈るしかなかった。
――その中で嬉々とする者達がいた。
「行くぞ……!」
「へへっ、竜退治なんて、一生に一度の大仕事だ!」
通用門から、数十人の冒険者たちが飛び出していった。勇気か、無謀か。彼らの目には恐怖よりも、燃えるような闘志があった。
剣士が叫び、盾を構える。弓使いが弦を鳴らし、矢を放つ。マジックアイテムの所有者は、炎や雷、氷などを放つ。
竜の鱗は硬く傷は浅い。それでも確かに届いていた。邪毒竜の瞳がわずかに冒険者たちへと向けられた。
その視線は、まるで虫けらを見るかのようであったが、咆哮とともに尾が振り下ろされ、大地を振動させる。土煙が舞い、冒険者たちの叫び声が響く。
竜と人間。その戦いの幕が、今、都で始まった。
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