第56話 冷たい水の夢と温もりのスープ
ナカムラは、はっとして目を覚ました。
胸がざわつき、額に冷たい汗がにじんでいる。たしかに眠っていたはずだ ――。
見た夢は妙に生々しく、目覚めてもしばらくは現実と混ざり合って離れなかった。誰かの記憶の断片を借りたような、他人の視点で見た夢。しかもそれが、魚の目線で冷たい水の感触、水の匂い、泳ぐ感覚、噛みつく瞬間の感触まで伝わってきたのだ。
「なんだ……今のは」
隣で寝ていたコリーが目を開け、やや眠たげに顔を上げる。ナカムラの顔を見てすぐに起き上がると、手早く彼の体調を確認した。
「大丈夫ですか?また病み上がりなんですから無理をしないでください。」
コリーの声には安堵しながらも左腕に触れる。包帯は既に外れていたが、痕は確かに残っている。骨の痛みは薄れ、熱も引いていた。
コリーの治癒が効いたのだろう。ナカムラは小さく頷き、立ち上がった。
「ありがとう、大丈夫だ」
暗闇の中で移動するのは危険すぎるというゲイルの助言を受け、一晩を野営にて過ごした。
外は薄暗く、山の谷間に夜明け前の冷気が残る。空はまだ鉛色で、時折風が岩肌を叩いた。岩山地帯の仮眠地点は、周囲を岩で囲まれた小さな窪み。小規模な焚き火が今も燃えている。
寝袋を片付けつつ、ナカムラは素早く周囲を見回す。
仲間たちが眠りから覚め始めている。リンは既に身支度を整え体を伸ばしている。
ゲイルはのそのそと起き出し、いつもの様に髭の手入れを始めるが、目は険しい。
イザベラとシレーンは弓の点検をし、エリダイトはノートを取り出して昨夜のデータを整理していた。
皆が集まったのを確認しながら、ナカムラは鍋の中身を木の匙でゆっくりとかき回した。干し肉と乾燥キノコを水に浸して戻し、香辛料を加えただけの簡素なスープだ。だが、ふつふつと煮立つと同時に、肉の旨味と香草の香りが朝の冷気の中に広がり、野営地の空気をほんの少しだけ柔らかくした。
焚き火の傍らに置いておいた硬く焼いたパンを半分に割って、ぐつぐつと湯気を立てるスープに浸す。すぐに表面が柔らかくなり、キノコと肉の出汁を吸い込んで色を変えた。ひと口かじると、冷え切った身体の内側に、じんわりとした温かさが染み渡っていく。
仲間たちもそれぞれパンをちぎって鍋を囲む。言葉は少ないが、スープを啜る音と、火のはぜる音が静かに重なる。誰もがこれからも続く険しい下山と、都のことを思い、心の中で準備をしていた。温もりを惜しむように最後の一口を飲み干し、鍋を手早く片付ける。スープの余韻が、冷たい空気の中でかすかに残った。
――出発の時だ。
山の冷気は切迫感を加速させる。誰もが黙々と行動し、言葉は少ない。重い足取りで下山を始めると、風がひゅう、と岩の間から吹き込む。
そのたびに昨日見た黒緑の湖の映像が脳裏にちらつく。
下りはある意味で、登るよりも険しく感じられた。山頂付近と比べて風は少しましになったものの、岩場の足場は不安定で、幾度もロープを用いて降りる必要がある箇所がある。
ナカムラは左腕の痺れに注意しながらも、しっかりと岩を掴んで降りていく。
巨大な足跡の一部が泥とともに残っており、何かがここを通り抜けた形跡がある。足跡はそのへんの獣のものではないほど大きかった。
「これが竜と思わしきやつの通った跡か?」
ゲイルが言った。声は落ち着いているが、目は驚きを隠せない。
イザベラが矢を傍に置く、足跡がその矢の比較にならないほどの幅を持っていた。
下山の道は長かった。だが一歩一歩が確実に、都へとつながっている。
ナカムラは自分の内側に芽生えた新しい力のことを、ふと考える。
(あの蒼白く輝いた瞬間、あの時放った斬撃は、再び使えるのだろうか。)
空が次第に明るくなり、周囲に朝の光が差し込む。やがて景色が見えるようになると都周辺が黒い霧のようなものに覆われていた。
出来る限り急ぐ必要がある。誰もが同じ事を思い、歩みを進めていく。
――時間が無慈悲に過ぎていく。
今回もお読みいただき、ありがとうございます。
本日は、皆様のおかげで日間総合50位という体験をさせて頂きました。
物語も佳境へ向かっています。
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