大海のアダム【6】新たな敵
多忙が続き、更新が遅れました事をお詫び申し上げます。
「ええい、まだ準備は終わらないのか!」
凛と響く声は怒気を含み、穏やかな海流に乗って遠くまで響いた。竜王軍騎馬隊300名と一般兵1700名、それに、30分ほど前に合流したセイレーン部隊470名が、竜宮城から20㌔ほど離れたアーダ海域と呼ばれる場所に集結している。
意識を失ったままの竜王姫アリシアを城に帰したあと、本戦部隊と合流したシール・レートルゲン公爵婦人は、おもいのほか捗らぬ隊の編制にイライラしていた。彼女は竜王軍の中で少佐クラスに当たる軍族だが、爵位の最上位である公爵家の肩書きがあるので実際にはかなりの影響力を持っている。
今回の作戦は『闇のアダム』からの直接指示であり、彼が指揮するセイレーン部隊の士気は驚くほど高いものだった。僅か数日の間にどのようにして掌握したのか分からないが、天敵であるゲルダゴスに攻撃を仕掛ける苛烈な作戦であるのに怯えた素振りすら感じさせず、隊に乱れはなかった。
―――それに比べ、我が軍のなんと情けない事か!
彼女の苛立ちも、もっともだと言えよう。
城に戻ったシールは、軍の最高司令官と同等の権威を持つ宰相に謁見し、事情を説明して動かせるだけの海馬と兵士を調達してすぐ出陣の準備にとりかかった。アダムとの約束を遂行する時刻まで、もはや二時間を切っている。
水中を高速移動できる水滑走呪文を使っても、“ヤマト”と呼ばれる太古船が沈んでいる場所から城までは一時間以上を要した。セイレーンの部隊と合流し、彼女達の使う海流操作と、海馬の移動能力を合わせたとしても30分で到着するのは難しい距離だ。ぐずぐずしていては本当に間に合わなくなる。
―――アダム殿は我々を逃がす為に自ら囮となり、今もひとりで闘っておられる。姫を救ってくれた大恩も返せず、このまま彼を失えばどうなる? 竜王様のご威光に傷がつく程度の話では済まされない。全世界に対し、取り返しが着かないほどに大きな恥を背負う事になるぞ!
宰相の許可を取りつけ、自ら号令し集めた兵士達の士気は思いのほか低かった。今回の召喚は失敗であり、アダムは使い物にならない不良品だという噂が流れている事も少なからず影響したのかも知れないが、集めた兵達には全くと言っていいほど覇気がなかったのだ。
―――竜王様が不在というだけで、海の覇者“海王軍”がこれほどに腑抜けた態度を見せるとは! 確かにゲルダゴスは、竜王様ですら手を焼くとてつもないバケモノだ。通常装備で相手にするには危険過ぎる事は間違いない。しかし・・・
シールには分かる。
アダムが不良品であり、最弱の失敗作だなどという噂は全くのデタラメだ。少し言葉を交わしただけだが、間違いはない。
「信じて待つ!」と言ってくれた彼の不思議な眼光を見たときの衝撃はホンモノだった。目で見て確認せねば分からない程の微弱な存在力に反し、竜王様と比べても劣らない圧倒的な存在感を持つ男。普通は存在力と存在感は比例するものだが、彼の場合、直接会って実際に見なくては全く理解する事など出来ないと思う。今回のアダムはそれほどに特殊な存在なのだ。
竜王軍の中では中堅クラスの魔術士ではあるシールだが、ひとを見る目には自信があった。当たり前の感知能力ではアダムの力は量れない。今までのイメージとは根本的に何かが違っていた。でなければ、正式に弟子を取らなかった猿王が彼だけを特別視して弟子にするなどあり得ないのだ。
その思いは、合流したセイレーン部隊を見ても分かった。彼女たちの顔付きが違う。目付きも違い、覚悟も違った。たぶんセイレーンの中でも特別に優秀な精鋭部隊なのだろうが、アダム救出の旗印に集まった彼女達は、竜王正規軍の兵士でさえたじろぐ程の覇気を纏っていた。作戦の内容も全員に通達されており、隊長だと名乗る者が進み出て、どの騎馬と組めば良いかの指示を仰いできた時の態度も実に堂々としていた。
その彼女らに対し、竜王軍の正騎士達は賎しきセイレーンなどと組んで戦うなど竜騎士の名折れだと言ってペアを組む事を拒否したのだ。
ゲルダゴスを相手にして独りでは、駆けつけたところで既に死んでいると言って初めからやる気もなく、勝てぬと分かっている相手にどうこうしようなどと誰も考えていない。今回の作戦に参加する予定の人数が集結しながら、いっこうに出陣できぬ要因は全てこちら側の要らぬプライドのせいなのだ。
―――このままでは約束には間に合わない! 私はどうしたらいいんだ!
今ここに自分ではなく、10年前に病死した夫ハイゼンがいたのなら、全軍を掌握し速やかに出撃の準備を整えたに違いない。自分が大将では兵士達を従わす事は出来ないのか?シールは唇を噛み締め、自分の力の無さを呪った。
「シール隊長~ 聞こえますか~?」
間延びした緊張感のない声が、指揮伝達用の専用回線に割り込んで来た。進まぬ部隊編制のために各部隊の隊長と忙しく通信をしていた最中であり、イライラもしていたので、それがコルルの声だとすぐに分からなかった。
「この忙しい時に何者だ! この回線を使うなと言っておいただろう!」
「僕です。コルルで~す。分からないんですか~?」
「コルル、お前か? その後の戦況はどうなった!?」
「安心して下さ~い。驚異は去りましたぁ~。ゲルダゴスはもう居ませんです、はい!」
「しゃべり方がおかしいぞ? 酔っぱらっているのか!?」
「いやね。ちょうどヘポイの実がたくさんあったので食べたんですよ~。そしたら気持ちよくなってしまいまして、ハハハ~。この時季のヘポイには酒気があるとは知りませんでしたぁ~」
「馬鹿かお前は! それは酒気じゃなくて毒だ! この時季のヘポイには稀に毒を含んでる実があるのを知らないのか? すぐに吐き出せ。死ぬぞ!」
「またまたご冗談を~ こんなに美味しいんですよ? アダム殿もたくさん食べてます。不思議な事に酔っぱらってるのは僕だけみたいなんだけどね~ ヒッヒヒ〜」
「だから毒だと言ってるだろ! お前はアタリを引いたんだよ。アダム殿が側にいるなら通信を代われ!」
しばらくの沈黙のあと声がした。
「ハイハ~イ、お電話代わりました。ボクはポニだよ?」
間延びした馬鹿みたいな声が幼女の声に代わった。あのときアダムの隣にいたセイレーンの幼体だろう。
「私はアダム殿に代わってくれと言ったんだが?」
「お兄さんはお腹がいっぱいになって寝ちゃったよ。ボクらはクラゲしか食べないから、見てるだけでつまらないんだ」
「皆無事なのか? 驚異は去ったとはどういう事か説明しろ!」
「なんかイライラしてる? 威圧的な感じがボクは嫌だな」
「こちらはアダム殿救出の為の部隊編制中なのだ! 好きか嫌いかで軍は動かせない。私の質問に答えろ!」
「ああ、軍隊ならもう必要ないよ。ゲルダゴスはお兄さんが倒しちゃったからね。残骸が少し残ってたけど、蟹が集まってきてみんな食べちゃった。あんなデカイ蟹はじめて見たけど、この辺にはたくさんいるみたいでびっくりしたよ」
「倒した? ゲルダゴスを?」
「うん。いいところを見逃しちゃって残念だけど、お兄さんがズババーンって核を粉砕して、超電圧の電撃で焼き殺しちゃったんだってさ。調べてみたけど、完全に死んでたよ?」
「まさか・・・信じられん」
「疑うなら自分の目で確かめてみたらいいんじゃない? もう残骸も残ってないけどね」
「と、いう訳なんっスよ~エヘヘへへ。だんだん気持ちよさが半端なくなって来たぁ~。天にも昇る気分ってこの事なんっスねぇ~」
「だから毒だって言ってるだろ! 吐き出さないと本当に死ぬぞ!」
「あ? 泡吹いて倒れた。ぴくぴくしてる」
「今からすぐ行く! なんとか持たせてくれ!」
「そんな事言われてもボクには何も出来ないよ! 聞いてる?・・・あれれ? 通信が切れちゃった」
約30分後、急ぎ到着したシールは口移しでコルルに薬を飲ませ、すぐに蘇生術式を発動させた。なんでも心臓停止状態だったらしいが、俺は寝ていたので詳しい事は知らない。ポニがその時の様子を教えてくれた。
「あれ? 隊長?・・・僕は何を?」
「良かった! なんとか間に合ったか!」
ひしと抱き合う上司と部下。親子ほどの年齢を越えた禁断の恋はあるのだろうか? ポニは楽しげにそう話してくれたが、もちろんそんなドラマなど生まれない。
シールとコルルの母親は学生時代からの同期だったらしく、旧知の仲であった。その親友の息子を預かった身としては、コルルの命は自分の息子同様に重いものだったのだ。コルルにその頃の記憶は無いが、赤ん坊の頃はよく遊んで貰っていたそうだ。
隊の志願者にコルルの名前を見付けた時の複雑な思いはシール本人でしか分からないだろうが、嬉しくなかったと言えば嘘になる。爵位を持つ者が軍に入る事は珍しい事ではないが、活躍の場がほとんどない、姫を護衛するだけのお飾り部隊に志願する若い者は本当に珍しかったのだ。
「隊長はどうしてここに? あれ?僕にはやらねばならない重要な任務があったような・・・?」
「今は安静にしていろ。まだ体に毒が残っている」
「毒? なぜ毒なんか・・・駄目だ。何も思い出せない」
「お前はヘポイの毒に当たったんだ。このセイレーンの幼女が胃の内容物を吐き出させてくれなければ、本当に死んでいたかも知れんぞ!」
「そうなんですか?・・・覚えていません」
「毒による一時的記憶の混乱だ。安静にしていれば一時間もしない内に回復する。心配しなくて大丈夫だ」
「僕は任務を成し遂げたのでしょうか?・・・アダム殿は?」
「アダム殿は無事だ。お前もきっと役に立てたのだろう。いくらアダム殿が優秀であったとしても、独りでこの快挙はなし得なかっただろうからな」
「このひと何もしてないよ。ボクの胸を揉んだりキスしたりしてただけで、ゲルダゴスはお兄さんがひとりで倒したんだ。気絶してたボクにイタズラしてる間にね!」
「なっ!?」
「えええ~っ!?」
驚くコルルと、凍り付くシール。
僕はそんな事していないと弁明するが、記憶がないコルルのいいわけも心なしか勢いがない。ポニが調子に乗って更に酷いデマを連発するものだから、青ざめたシールの顔が怒りに染まるまでに時は必要なかった。
「た、隊長! 僕はそんな事してません! 信じて下さい!」
「信じたい。信じたいが、その頬にあるアザといい、幼女の胸に残る指紋といい、疑う余地がないではないか!」
「そうなんだよネ! こんな事されたらそれなりの責任をとって貰わないと! 生活費とか、お屋敷を提供して貰うとか。女がひとりで世間の荒波の中を後ろ指刺されながら生きていくのはタイヘンなんだ。キズモノにされたボクなんて誰もお嫁に貰ってくれないと思うし!」
「う、う、嘘だ! いくら何でも僕がこんな幼女を?」
「言い訳は見苦しいぞ! 男なら責任をとって腹を切れ! 私も一緒に死んでやる。お前の母に・・・レザに会わす顔がない!」
激怒したシールの勢いに流石に言い過ぎたかと慌てるポニだったが、元々がお堅い倫理観を持つシールにはコルルがした事を許すという選択肢が頭に浮かばない。剣を抜き責任をとって切腹しろと凄い勢いで迫った。
「べ、別に切腹する必要は無いと思うよ。ボク好きな人が居るから結婚とか求めてる訳じゃないけど、お屋敷の二つくらいと、なに不自由なく遊んで暮らせるお金があれば人生楽しくやって行けるし!」
ここに来ても図々しくお金と屋敷をねだるポニには脱帽だが、コルルには結婚して責任を取るという選択肢が無くなったぶん最悪の事態しか残されてなかった。せっかく命が助かったのに、その命は風前の灯火である。
「お前ら何してんだ? そのひと誰よ?」
あまりにも大声で騒ぐものだから目が覚めてしまった。REYの奴がエネルギー残量ゼロまで体力を消費してくれたおかげで、腹がふくれた途端に眠くて眠くて仕方なくなり、セイレーンのもてなしを受けた時と同じようにいつの間にか寝てしまっていたのだ。
「あの時の隊長さんだよ。覚えてないの?」
「ああ、そうか。メット外してるから分からなかった。マジで美人だったんだな」
今まで爆睡していた俺には、状況がよく分からない。なぜ上司が部下を殺そうとしているのかと首を捻るばかりだ。少し考え、ポニがバツが悪そうに俺の方をチラチラ見ているところを見てピンと来た。だが、本当に危なくなるまで取り合えずは見ておこう。イタズラも度を越すとどうなるかを知るいい機会だ。
「ねぇ、お兄さん。あの二人を止めないの?」
いよいよヤバい雰囲気になってポニが俺に聞いてきた。やっぱりそうだ。何となく分かる。また酷いデタラメを吹き込んだに違いない。
「どうせ、お前がついた嘘が原因だろう? 自分がやった事をひとに振るな。俺は止めてやらんぞ?」
「えええ~っ! そんなに強いんだから、これを止めるのなんて簡単でしょ? ボクじゃもう止められないよ! そんな雰囲気でもないし!」
「雰囲気は関係ない。早くしないと本当に死人が出るぞ? “竜人殺しポニ”の名が世界に轟く瞬間までもう秒読みだ」
「ううう・・・、お兄さんの意地悪! ボクはまだ子どもなんだから、イタズラくらい大目にみてくれてもいいじゃないか!」
「子どもじゃないと言ったり、子どもだと言ったり、本当はどっちなんだ? 俺は今回の件でお前に対する評価を上げたつもりだが、それを裏切るような事をするな。やるときはちゃんとやれる勇気のある娘だと証明してみせろ」
「分かったよ! お兄さんにはもう頼らないよ!」
そう言いつつも、なかなか間に入らないポニの尻をパチンと叩いてやった。きゃん!と嬉しそうに声を上げる変態娘に俺は内心しまったと舌打ちした。こいつはお仕置き大好きドMっ子だったのだ!
「ごめんなさい! 嘘です!
キスも胸を触られたのも本当だけど、そのひとはボクが怪音波で心臓停止していたのを人工呼吸と心臓マッサージで救ってくれたんです。嘘をついて本当にごめんなさい!」
ポニは大声でそれだけ言うと頭を下げた。
と、その時だ。けたたましいサイレンが脱ぎ捨てたコルルのメットとシール隊長のものから同時に響いた。
「なんだコリャ!? こんなでかい音がしたら鼓膜が破れるぞ!」
「被っていないからだ! 兜を外している時は最大ボリュームで鳴る事になっている。これは第一級緊急事態発生の時にしか鳴らないサイレンだ!」
サイレンが止み声が流れた。
通信士のものだろうが、かなり慌てた様子で声がうわずっている。
「死の谷監視局から緊急入電。ゲルダゴス現る。サイズはヘルブル級が1、ミズール級が2、ミズール級2体はヤマト方面、ヘルブル級1体は竜宮城へ向かい進行中。繰り返す。ゲルダゴス現る。サイズはヘルブル級が1、ミズール級が2、ミズール級2体はヤマト方面・・・」
「馬鹿な!? ゲルダゴスが3体同時に?」
「おい! 今、ヘルブル級って言わなかったか!?」
シール隊長と俺がほとんど同時に叫んだ。
ヘルブル級って事は、直径8㌔を超える最大級の大きさであり、ミズール級でも俺がやっとの事で倒した奴の3倍から4倍はあるサイズだ!それが2体だと!?
「あり得ない! こんな事は過去に一度もなかった!」
顔面蒼白になって叫ぶシールの横でコルルとポニが抱き合いながらガタガタと震えている。
「終わりだ・・・ヘルブル級とミズール級2体だなんて、1800年前に起こった大召海と同じ規模じゃないか!? もう駄目だ。誰も生き残れない・・・この海は死滅する」
繰り返される通信に混じり、震えるコルルの声が夕陽の落ちた薄暗い海の底に吸い込まれるように消えて行った。




