大海のアダム【7】竜王バハムルト
物語はいったん未来へと進み、再び戻るルートをたどる。ゲルダゴスを撃滅さらしめた大決戦は、海の平穏を引き替えに大きな傷跡を残していた。直径約120キロメートル、面積にして11000km²以上の広大な海域が何者をも棲めぬ死の海と化したのだ。
「この全てを、ヤツ一人でやったというのか!?」
いまだ煮えたぎる海を遠目に望みながら話す二つの影があった。ひとりは3㍍を超える異形の巨漢であり、ハ虫類を思わせる赤銅色の鱗が全身を覆い、浮かび盛り上がる筋肉から生み出される一撃がどれ程の威力を持つのかを想像すると恐ろしくもなる。
頭には緩やかなカーブを描きながら後方へと延びる二本の角があり、その長さは1㍍を超えていた。誰もが知る圧倒的存在感を持つ神々しい雄姿のその者は、七海の王にして魔王の中でも別格視される絶対的強者『竜王バハムルト』そのひとであった。
その隣に立つ者は、顎髭をしたためたスラリと背の高い中肉中背の初老の男性であり、司祭を思わせる真っ白な服装とその容姿から威厳が滲み出していた。竜人の特徴である金色の角が額の両側から突き出しているが、通常は一本であるモノが二本づつあり、計四本が赤銅色の髪から突き出していた。
彼は宰相ラタニオン。
バハムルトの末弟にあたる人物だが、彼は覚醒体である竜臥では無かった。故に、幼き頃は軽視され注目されてもいなかったが、成人を過ぎて角の横にもう一対の角が這えはじめた頃から皆の見方は変わった。神託者の資質である霊角が現れたのだ。
この霊角が生来の二本と並ぶ長さに成長した者は聖神官と呼ばれ、一方的な神との交信を双方向性のある対話にせしめる能力に目覚める。その聖神官という重要な存在となる可能性を示した彼は、その人格も才能も充分であったのでバハムルトの推挙により宰相となったのだ。
先程からふたりは、ラタニオンが掲げた杖が発する光の輪に護られる形で煮えたぎる海の端に浮かび、荒れ狂う海流の影響を受けずにその場に留まっていた。すぐに返事をすべきところを長い沈黙が過ぎたのも、余りにも不可思議で理解不能な事柄に宰相自身どう答えてよいか迷っていたからだ。
「どうした?」
「いえ・・・申し訳ありません。
わたくしも直接見た訳ではありませんので正確なところは確認できておりませんが、報告によると、闇のアダムが手をかざすと天空より現れた太陽が海中へと落ちて来て地殻を突き破り、噴き上がるマグマがゲルダゴスを焼き殺したのだとか・・・」
「馬鹿な事を・・・そんな事は絶対に有り得ん! おおかた、そのように見える別の現象によるモノだろうが、しかし、この威力は何だ?・・・普通ではないぞ!」
遠目に見る海域の様子はまさに地獄絵図であった。破壊された海底地盤から吹き上がる溶岩が大量の熱と水蒸気を生み出し、高速でうねりながら渦巻く海流に呑まれれば、ほとんどの生物は生きてなどいられない。
竜王バハムルトは例外としても、宰相ラタニオンとて長時間この場に留まれば影響があると思われた。だからこの位置から先には進まず様子を眺めているのだ。
「もやはこの海域は封鎖するしかあるまい。鎮護の塔を四方に建てよ。弱き者が近付けば、たちどころに命を奪われて死ぬ。危険すぎる海だ」
「それにつきましては、既に軍とセイレーン達が動いております。護符も用意されておりまして、順調に進めば新年を迎えるまでにはこの海域の封鎖と再生の護式呪が完成致します」
「護符などを誰が用意した?」
「それも『闇のアダム』にございます。どのようにして神と交信したのか分かりませんが、護符は本物でした。護神降天海座鎮静――神が天から降りて海を清め、座して復興を示さんと神語の刻まれた高位の護符です。あれほどの霊符ならば10年もすれば元の海域に戻るでしょう」
「契約した神名を確かめたい。その護符を見せよ」
「ここにはありません。護符を納める塔の建設を指揮している者が四枚ともを管理しております。他の者が触ると穢れしまい、数日で効力を失なう危険があると言って触れさせてくれないのです」
「神護符とはそういう物だ。本来なら神に認められた者でなければ直接その目で見る事も許されん。まさか、ハイエルフが直接指揮を?」
「いえ。いくらハイエルフといえど、深度1700㍍の海底での作業を指揮するなど不可能です」
「では誰だ? 神殿を管理していた一族は1800年前に死に絶えた。今は管理者不在のただの遺跡でしかない。もはや我ら竜族以外に神事を行える血脈は残っておらぬはずだ。その唯一の資格者は現在成長の途中、ワシには思い当たるところがないが?」
竜王バハムルトが神の呼び出しに応じ、『ヨモルカザ』に行っている間に起きた未曾有の危機。それを偶然にその場に居合わせた『闇のアダム』が解決し、その代償として未来永劫回復する見込みのない重大な傷痕を南海の端に位置するこの『シャングラード』に残した。
元々が不安定で海底火山が密集する熱泉海域であったが、それでも生物達の営みがあり、温水でしか生きられぬ種族などが細々と生活していた。だが、この海域にもはや何モノも住めはしない。この高熱地獄を回復させる事が出来るとしたら、それは神の力に頼る他はないと思われた。
―――神の護符をアダムが用意しただと?
その護符を託された者の事も気に掛かるが、それよりも問題はアダム本人の事だ。奴について調べろと神から直令をうけた事と、今回の事が無関係で有るはずがない。
神の用件は3つあった。
ひとつは、ハイエルフの施設から発せられたSOS信号の内容確認と、現状調査。ひとつは、負傷者及び生存者が居た場合の救助。そして最後がアダムへのタグ付けと能力確認だ。
本来タグ付けは大魔王ゾーダの役割だが、指定された珠を飲ませるだけなので誰にでも出来る。その誰でも出来る事をわざわざ呼び付けて催促するからには何かあると竜王は思っていた。
―――奴には何か重大な秘密がある。それが何なのか必ず突き止め、アリシアを一刻も早く取り戻さねばならん。あんな得体の知れぬ奴の元に可愛い娘を置いてはおけん! 予言などはクソ食らえだ!
竜王は拳を握り、怒りに体を震わせた。あの時の事を思い出すと平常心を保つのが難しい。気を抜けば爆発してしまいそうな自分が恐かった。
竜王が帰国したのは大召海が終わり13日が過ぎてからであり、そのとき既にアダムはこの地には居なかった。そして娘アリシアの姿も消えており、連れ去られたのではなく、喜んでアダムに着いて行ってしまったのだという。父親宛の手紙が部屋に残されており、それにはこう書かれていた。
『親愛なるパパへ
私の事は探さないでね。パパが来るとめちゃくちゃにしちゃうから、ハッキリ言って凄く邪魔です。少し長い旅になるかも知れませんが、帰ったら孫の顔を見せてあげるね! 楽しみに待ってて! パパの愛するアリシアより』
実に簡単な文章であり、いつも丁寧な娘とは思えない走り書きのような文字に偽物である事を疑ったが、書いているところをアリシア付きのメイド達が見ていたので本物である事は間違いなかった。そのうえ紙は普通のメモ用紙だった。
竜王は、父親である自分がこのように軽く扱われねば成らぬ理由が全く理解できず、メモ用紙を握ったまま暫く呆然と立ち尽くしていた。我に帰ったのは三時間あまりが過ぎた後であり、その間に声を掛ける者も誰ひとり居なかった。下手に逆鱗にでも触れたらそれこそ何が起こるか分からないからだ。
竜王は、予言が成就しない事を願ってアダムに近づけさせまいとして来た。城内でもアダムに関する話題は厳禁であり、その徹底ぶりはメイド達もよく知っていた。アリシアは今回の異世界召喚でアダムが降臨した事など知らない···はずなのだ。
そのはずなのに、娘のアリシアはメモ書き一枚残して消えてしまった。放心状態の竜王がキレて暴れでもしたら城など一瞬で吹き飛んでしまう。それを恐れ、避難する者まで出た程に竜王はヤバい状態だった。
その後まるっと1日以上を鬱ぎこみ、今朝になってようやく気力を回復させた竜王は宰相を連れ、アダムが残した傷跡がどの程度のものかを確認しに来たのだった。
確かにゲルダゴスの脅威は去った。
ここに来るより先に死の谷の方を確認したが、あれほど巨大で深いクレパスが地殻変動により見事に塞がれており、谷そのものが地形から無くなっていたのだ。偶然なのか計算づくだったのか分からないが、この『シャングラード』を崩壊させたエネルギーがおよそ2000㌔離れた死の谷の地盤を大きくずらし、中に潜むゲルダゴスの本体を地中深くに閉じ込めてしまった。
ゲルダゴスに岩盤を溶かして進む能力はない。谷底の深さを調べた事はないが、竜王の遠視能力をもってしても見えない程に深かった。ゲルダゴスがいるのが分かっていて深部に潜って確かめる者もいない。あれほど深い地中の底なら、何かの拍子に再び亀裂開かぬ限りは永遠に大召海が起こることはないのだ。
「使いの者に竜王様が視察に来る事を伝えさせております。建設中の塔をご覧になりますか?」
「当然だ。作業はセイレーンどもがやっていると言っていたな? なぜセイレーンなのだ? もっと作業に適した奴等がおるだろう?」
「それもご覧になれば分かります。わたくしも、あの者達の固有能力にあのような使い途があるとは思いもしませんでした」
そしてふたりは、建設を指揮しつつ護符も管理しているという人物がいる東塔へと移動した。
「これはどういう事だ!? 竜騎兵が手伝っているとは聞いていなかったぞ。貴重な海馬を材料輸送の足に使うとは・・・お前が命令したのか!」
「いえ。海馬を使う許可を出したのはわたくしですが、彼らは自ら志願してこの作業にあたっているのです。従来の方法ではここまでの作業性を実現するのは不可能だったでしょう。まさに物流の革命です」
神殿など神力を現界させる為の建造物には、必ず聖魔石結晶を含んだ材料が使われる。限られた地域でしか出土しない鉱物なので貴重である事はもちろんだが、一番問題になるのはその輸送方法だった。聖魔石結晶は鉄よりも比重が重く、転移魔法を殆ど受け付けないという特色がある。その性質を利用して不純物を取り除き純度の高い聖魔石を作り出すのだが、魔法で運べない物を遠方から移動させるのは骨の折れる作業だった。
しかし、セイレーンの海流操作スキルと海馬の機動力を組み合わせた海中輸送はその難点を解決させ、建設資材の調達時間を大幅に短縮する事が出来たのだ。
そして、もうひとつ。石切場で加工を済ませた材料を運搬し、現地では組み立てるだけにしたプレカット工法を導入した事により、塔の建設はいっそうの工期短縮を実現させていた。もちろんこれは『闇のアダム』速見卓也の世界では当たり前に行われている建築現場でよく見る光景だが、宰相ラタニオンには初めて見る工法であり画期的だった。
石切場に隣接されて建設された加工場には、細工物に極めて高度な技術を持つ種族『シビット』達が大勢雇われ、三交代制で材料の加工を進めている。今回の海域復興プロジェクトの要は、同じ容積の同じ形をした塔を四基建造する事にあり、材料も同じものを四つづつ造れば良いので、流れ作業に適した条件が揃っていた。
アダムのアイディアを採用した資材の加工、運搬、組み立て方法により建設工事は従来の20倍以上のスピードで進んでいた。土台となる基礎部分が完成した後は、レゴブロックのように加工された聖魔石をはめ込んで積み上げて行くだけで塔は完成するよう設計されていたのだ。
材料の繋ぎとなる溶剤も設置する為の特殊技術も必要なく、現場では番号順にブロックを組んでいくだけの単純作業が出来れば良かった。だから、建設には素人同然の兵士達も少し慣れたら職人達と同じように働く事が出来たのだ。このように作業全般を大幅に簡略化した事で多くの働き手を確保できた事は、ラタニオンにとっても良い経験になった。
「素晴らしいスピードだな。みるみるうちに塔が積み上げられて行くではないか」
「組立工事に入り今日で6日目です。そろそろ皆も馴れて来て余裕が出て来ました。現場に比べると加工場の方が手薄なので、そちらに人員を回せば更なるスピードアップも可能だと思われます。後で工場をご覧ください。ベルトコンベヤー方式なるものを導入し、24時間体制でゴーレム達が資材加工をしています。広大な敷地が必要となりますが、建設に対する概念そのものが変わりますよ」
「それもアダムのアイディアか?」
「彼は非常に不思議な男です。はじめの頃は反発する者もいましたが、今は誰もが彼を信頼し、その画期的な考え方に賛美を贈っています。塔が完成した後は加工場の能力を一般開放し、種族と地域を越えた取引を行うようアイディアを頂きました。近いうちに各地で建設ラッシュが興るでしょう」
いつもと違う口調にバハムルトは目を細める。
「海は変わりますよ。地上の人間達より建設技術で遅れていた感がありましたが、これからは違います。石造りの強固な高層建造物が建ち並ぶ巨大都市が海底に登場するのもそんなに遠くはないでしょう」
「嬉しそうだな、ラタニオン」
「し、失礼致しました。勝手に盛り上がりまして・・・」
「別に責めている訳ではない。聖神官となった暁には神事を全て任すつもりで居たが、お前には政の方が性に合っているのかも知れんな。神の声が聞け、神の護符を扱うことが出来る者が現れたのなら無理に聖神官とならずともお前はお前の好きな道に進んでも良い事になる。そうは思わんか?」
「それは流石に・・・」
「そうか? 神の護符が扱えるとなれば、既に聖神官クラスの能力があるという事だ。どの種族かは知らんが、その者が聖神官を勤め、神殿の管理者となればお前は今のまま政を続けても差し支えないのだぞ?」
霊角が現れてからというもの聖神官への道を半ば義務付けられたようなカタチとなった末の弟が、実はあまり神事に興味がない事をバハムルトは知っていた。弟は政治と経済に興味があり、その方面には自分よりも遥かに優れた才能がある。何かと国を離れる事が多い自分が安心して何日も、場合によっては何ヵ月も国を留守に出来るのは宰相ラタニオンとそれぞれの海を統治する屈強な弟達がいるからだ。竜王と同じく竜臥として生まれた弟達は政治よりも戦闘向けの性格をしており、竜人として生まれたラタニオンだけが毛色が違い政治向けであった。
大神殿の管理者になれば、国の政からは離れなければならない。それは神の力によって海の平和を保つには必要な事だが、竜王バハムルトにとっては良い事だけとは言い難かった。不在時の国を誰に任せるのか?これはそう遠くない未来に必ず決めねばならない事であり、悩みのタネでもあった。
そのように会話をしていたふたりに、建設現場から飛び出すと高速で近づく影があった。かなりのスピードだ。スピードには自信のある竜王ですら「お!?」と思うほどの速さで、緑色の小さな塊が水の抵抗を全く感じさせずにピュン!と一直線に飛んで来た。
「はじめまして竜王さま。ボクの名前はポニだよ!」
呆気にとられた竜王の前に、セイレーンの幼女がニコリと微笑みながら可愛らしくポーズをきめていた。




