湯けむり温泉郷【16】魔王対決
「死ね、死ね、死ねぇ〜! 死ぬがいい!」
ラヴェイドは気が違えたように笑いながら攻撃を続けた。もはや肉の塊となったヨムルに、とどめとばかりに蹴りを落とし、踏みつけながら雄叫びをあげる。破壊衝動をむき出しにしたその姿に、俺は恐怖を感じた。奴が破壊の象徴とされる魔王であることをあらためて再認識したのだ。
「バカめ! なめて掛かるからこうなるのだ。復活など出来ぬよう粉微塵にしてやったわ!」
「そうね。粉微塵にされたら、流石に復活できないかも知れない」
「な!?」
「これがあなたの全力かしら? だとしたら余りにもお粗末な攻撃ね。ただ力任せに殴る蹴るを繰り返すばかりで、何の工夫もない」
肉片が振動し、ヨムルの声が聞こえた。こんな状態になっても生きているとは、想像を絶する生命力だ。ラヴェイドすら驚嘆し、体を震わている。
「バカな! こんな事は有り得ん!」
ラヴェイドは叫びながら、踏みつけたヨムルの肉塊から飛び退いて距離を取った。四散したひとつひとつが蛇の形となり、声を発した肉に向かって集まって行く。見る間に人の形に盛り上がると、位置を変えずに腕を組んだポーズのままのヨムルが完全復活をとげていた。
「あなたの攻撃なんて所詮はこの程度のモノ。私を殺すなんて、今の千倍の攻撃を持ってしても不可能だわ」
全くのノーダメージと言わんばかりに余裕の笑みを浮かべたヨムルは、ホコリを払うような仕草をしてから果てしなく上から目線でラヴェイドを笑った。
「ぬかしたな、蛇め!! 我の全力がこの程度のわけが有るまい。見せてやろう究極奥義『幻操天覇相剋脚』を!」
何やらご大層な技の名前を叫んだラヴェイドは、更に分身を増やして千を超える幻体を造り出した。地に空に湯の中に、溢れんばかりのラヴェイドが攻撃体勢を取りながら牙をむいている。
――何だろう・・・この違和感は?
俺はヨムルに対し違和感を感じていた。あまりにも闘気が少なすぎる上に存在感が稀薄な気がする。本当はそこに居ないかのように・・・だが、彼女は幻ではない。実在するのに存在しない。そんな感じがしたのだ。
「あら、気づいたの? 私の『蛇眼奏呪』を見破るなんて凄い事よ」
声は俺に巻き付いて治療をしている光る蛇から聞こえて来た。長さ20㌢程の白く可愛い蛇だ。これくらいの蛇なら怖くも何ともない。
「ヨムルなのか?」
「そう。こちらが本体で、今ラヴェイドと対峙しているのは分身。細胞を蛇に変えてあの姿を造っているの。蛇眼に魅入られてるから、本体と分身を識別するのは不可能に近いんだけど、タクヤには分かるのね。見破られてしまったのに嬉しいなんて初めての感覚だわ、フフフ」
小さな白蛇は、くるくると俺の腕を這い昇ると、肩に乗って頬にチュとキスをしてきた。赤い目がハートマークに見えたのは気のせいだろうか?
「このまま、奴が消耗するのを待つのか?」
「まさか。これはあなたを治療する為の時間稼ぎよ。一瞬で治す事も出来るけど、そうすると細胞核に負担が掛かるの。ゆっくり治した方がしっかり完全に治せる。それに、メリーサが仕掛けた貞操帯も外しておきたいし、他にも調べておきたい事があるから時間が欲しかったの」
「貞操帯ってなんだ? そんな物着けちゃいないぞ?」
ヨムルは、メリーサが子作りのときに着けた母親直伝の秘呪の事を話した。それによって妖気を纏う事も、房中術に耐える事も出来たのだと教えてくれた。あの時の不思議な現象が何によるモノかの理由が分かってほっとしたと同時に、少し残念な気がした。
――さらば俺の絶倫人生!
もし仮に、麗々達が今後迫って来るような事があっても、絶対に応じないでおこう。期待されてがっかりされると精神的にへこむ。
それはさておき、ヨムルの分身とラヴェイドの闘いは3回戦をむかえていた。もっとも、闘いと呼べるような代物ではなくて、ラヴェイドによる惨殺シーンの連続でしかなかったが、あまりの惨たらしいさに気丈な凛々や蘭々までもが胃の内容物を戻して苦しんでいた。
ヨムルは首から上だけを正常な形に戻すと、千切れた首が笑いながら空を飛ぶというトラウマを引き起こしそうな場面を演出してる。それが偽物だと分かっている俺でさえ、ウェェとなるかなりグロテスクなスプラッターショーだ。
「首が空を飛びながら笑ってるけど、カゲキ過ぎないか?夢見が悪くなりそうだよ。女衆は気絶しちゃったし、トラウマになるんじゃないかな?」俺は少し遠慮がちにそう言った。
「わざとそうしてるの。ひとの男に手を出したんだから、それ相当の酬いを受けて当然だわ。呪い殺されないだけ有り難いと思って貰わなくては!」
毒づくヨムルは本当に怖い。
蛇の恨みは恐ろしいと俺のいた世界でも伝われているが、実際に呪いを掛けて殺してしまえる存在が言うと、それはもう言い伝えや迷信などでなく単なる死刑宣告でしかない。
「そ、そうだね。確かにヨムルさんの言う通りかも」
兎族の女衆に対し、怒りを露にするヨムルに相づちを打った。彼女たちを下手に庇えば、まさに"やぶ蛇"となる。全員殺してしまうかも知れないから、ヨイショして機嫌を直して貰うしかない。
「でも、そろそろいい頃合いかしら? あなたの体も回復したようだし、目的も果たせたから」そう言うと、ヨムルは人型の状態に変化して俺の横に立った。彼女の真の姿が今の状態でない事は何となくだけど分かる。創世に関わったと云われる創造神の末裔なら、それ相応の姿をしていてもおかしくはない。
「君はもしかして物凄く大きかったりするのか? 今のが本来のサイズではないんだろ?」
「私の事が気になる?―――いずれ分かるわ」
ヨムルが手を振ると大蛇の防壁が3匹の蛇に戻り、地面に同化するように姿を消した。大蛇の中から俺とヨムルが現れたのを確認したラヴェイドは、呼吸を乱しながら肉片への攻撃を中断する。
「おのれ卑怯者め! 我を騙したな!?」
「あなたがそのセリフを言うとは驚きだわ」
俺もヨムルと同意見だ。幻術を得意とし、散々裏工作で俺をおとしめようとした者のセリフとは思えない。奴の精神構造はアレンの肉体よりも飛び抜けてタフなのだろう。
「タクヤの回復も済んだ事だし、そろそろ帰らせてもらうわ。あなたの馬鹿らしいお遊戯に付き合うつもりもないし」
「お遊戯だと・・・、我の術を言っているのではあるまいな! 小賢しい分身など使いおって、まともにやり合えば分が悪いゆえ逃げただけであろうが!」
ラヴェイドの言葉に「はぁ?」と溜め息をつくヨムル。
「無知蒙昧もここまで来ると罪ね。あなたは新参者だから大目に見てあげたのに。これが最後の忠告よ。魔王のままで居たいならゾーダに謝罪し、罰を受け入れなさい。そうすれば300年くらいの牢獄暮らしで済むかもしれない。私が手を下した場合、二度とこの世には戻って来れないわよ?」
「何を言っているのか分からんな! 我には正式に交わした血判状があるのだ。お互い合意の上で交された契約に何を償う必要がある?」
言うと、先程の調印式で使われた書状を取りだし、得意気に見せ付けた。
「さっきも言ったけど、そんな物ははじめから無いの。まだ気付かない?」
「はじめから無い? 馬鹿を言うな。ちゃんとここに・・」
ラヴェイドが紙面をバンと叩こうとした瞬間、それはバラけてパラパラと足元に落ちて行く。上質の紙と思えたものは、極細の蛇が重なり合って紙と見せていただけだった。驚き慌てるラヴェイドを、妖艶な笑みを浮かべながら役者の違いを見せつけるヨムル。
「さあ、どうするのかしら? 頼りの契約はこれで無効。次は準備してあるの?」
反射的に顔を赤くして憤怒したラヴェイドが、破れんばかりの大声で吠えた。
「きさまぁ〜、いつの間にすり替えおった!?
―――――この盗人めが!! 」
「――――盗人ですって?」
「そうか、きさまの分身を攻撃していた時だな? その時に本物の血判状とすり替えたのだろう!? まさか、魔王たる者が盗みを働くとは見損なったぞ蛇王!」
ヨムルから完全に笑みが消えていた。
盗人呼ばわりされては、笑って済ませる訳がない。
「もう口を開くのも面倒。消えなさいラヴェイド」
「な―――――」
何かを言おうとしたようだったが、声が発っせられる事はなかった。いきなり足元の地面がパックリと口を開けると、ラヴェイドを呑み込んでしまったのだ。
そのまま隆起した地面は巨大な蛇となり、鎌首を持ち上げてこちらを見た。頭上まで高さは優に50㍍を越え、太さは大型バスを立てた状態よりも太い。その巨大な蛇は地面から出て来たのではなく、地面だと思っていたものが大蛇だったのだ。どのような方法なのか想像もつかないが、周囲の空間ごと全て使い魔の蛇と入れ替わっていた事になる。
ラヴェイドを呑み込んだ巨大な蛇の顔が近づいて来た。その瞳には何の感情もなく、無機質で、如何にもハ虫類らしい冷たさを感じさせた。俺は寒気がして来て、隣にいるヨムルの手をぎゅっと握ったまま離せなかった。
「怖いタクヤ?」
ヨムルの声は俺を気遣うように穏やかで静かだ。
「ああ、怖い。あまりにも圧倒的すぎて膝が震えるよ」
俺は正直にそう答えた。
「これでもね、この子はまだ子供なの。優しい子だからあまり怖がらないであげてくれると嬉しいわ」
子供?この大きさで子供なら、大人になる頃にはどれ程の大きさになっているというのだ!俺は知らず知らずの内にヨムルをじっと見つめていた。その視線に込められたものを感じ取った彼女は、少し悲しそうに目を閉じ、握ったままの俺の手の甲に自らの手をそっと重ね合わせた。
巨大な蛇がまるで蜃気楼のように静かに姿を消すと、そこには何もなかったように元の風景が広がっていた。
「父はどうなったのですか!?」
アレンが進み出てヨムルに問う。その声には緊張と畏れが入り交じり震えていた。
「安心しなさい。死んではいないわ。でもこの世界に帰ることは二度と無いでしょう」
「それはどういう事ですか?」
「蛇の胎内は異次元に通じている。私達が次元牢獄と呼んでいる完全に閉じた世界への一本道。時間も存在しないから死ぬ事も朽ちる事もないけど、生きていると言えるのかどうかは微妙なところね」
「二度と戻れないとは?」
「言葉通りの意味。一方通行で戻る手段は存在しないの」
言葉を失うアレン。
彼の脳裡には何が浮かんでいるのだろうか?カラカラに渇いた咽から絞り出すかのように掠れた声が、苦し気に聞こえた。
「リュ、リュオンもその異次元に落ちたのでしょうか?貴方がここにいるのに、未だ戻らないと言う事は、結界を強化しに制御房へ向かった弟は既に・・・」
アレンの外傷は既に治癒している。しかし完全回復にはほど遠く、蓄積したダメージを引きずっているのは誰の目から見ても明白だ。まるで感情を持たぬ機械のように淡々と説明するヨムルを、唇を噛み締めながら見つめ返していた。
「あの坊やなら制御房にいるわよ。とても幸せそうな顔で寝ているわ」
「生きているのですか!?」
「そうなるわね」
アレンの表情がそれと分かる程に明るくなる。リュオンの事がよほど気になっていたのだろう。しかしラヴェイドが異次元に消えた今、彼が実質的な長だ。その長がこの場を離れ、リュオンのところに行くなどあってはならぬとアレンの性格なら考えているはずだ。
俺はヨムルの脇を肘でこつき言葉を促した。ヨムルなら俺が何を言いたいのか分かってくれるだろう。
「今回の騒動についてのあなた達への処罰は、大魔王ゾーダの判断に委ねる事とするわ。私達はこれで帰るつもりだけど異論あるかしら?」
ヨムルがそう穏やかな口調で話すと、アレン以下この場で気絶していない者達全員がヨムルの前にひざまずいて、深々と頭を下げた。
「異論など申すはずもありません」
アレンの両隣には凛々と蘭々が控える。場には蘭々の部下であろう紅兎衆と麗々の御付きの者数名が残るのみで、麗々本人は気絶していて起きて来ない。あのスプラッターショーは、それほどインパクトが強かった。
――アリス、終わったよ。
キミのおかげで誰も死なずに済んだ。
俺は念話の要領でアリスに語りかけた。
――アリス?
キミの姿が湯けむりで見えない。
全て終わったんだ。もう姿を見せて大丈夫だよ。
しかし、アリスからの返事はない。
何度呼び掛けてもそれは同じであった。俺の念は虚しく湯けむりの彼方に消えてゆくだけで、手応えそのものが感じられなかった。
脳裏にアリスの言葉が甦る。
危惧していた事が現実となったような気がして、居ても立っても居られなくなった俺は、周りなど目に入らぬとばかりに、いきなり走り出していた。
――アリス! 頼む、返事をしてくれ!
突然走り出した俺に、何事が起きたのかと驚き立ち上がろうとしたアレン達を、ヨムルが「心配は要らない」と制す。俺はアリスが試合前に移動して行った先、つまり母親のアフロディアが倒れていた辺りの岩場へと急いだ。
アリスは試合前に言っていた。
それは思考加速状態での遠隔操作が及ぼすであろう肉体へのダメージについての事だ。緊急時に一度しか使うつもりはないが、もし使うような事態になった場合、なるべく早く勝負を決めねばならない。でなければ俺もアリスも術の反動で動けなくなるという話だった。
現に、アリスに遠隔操作された俺の体はボロボロになり、ヨムルに治癒して貰わなければ意識を保てなかった程の激痛と、立っていられなくなる程の倦怠感に襲われた。ならば、アリスも反動で動けなくなっている可能性は高い。
――アリス! 無事でいてくれ!!
俺は心の中で叫びながら、アリスの姿を求め湯けむりの中に飛び込んで行った。そして、その先で見つけた変わり果てた姿に俺は凍りつき、言葉を失って立ち尽くした。
――アリス?
紅かかってふっくらとしていた頬はこけ落ち、目は窪み、血の気が失せた肌は白さを通り越して青くさえ見えた。呼吸は薄く不規則で、ときおり苦しそうに呻く彼女の体を母親のアフロディアが抱き抱えていた。そのアリスの手を姉のシュジュが握って一心に祈っている。
俺はこの状況を現実として受け入れる事が出来ぬまま、おぼつかぬ足取りでアリスに近付くと、ひざまづき震えながら彼女の頬にそっと手を伸ばした。
俺の手が頬に触れるとアリスはゆっくりと目を開き、こちらを見た。優しく澄んだ瞳に俺の姿が映ると、気丈にも微笑み笑顔をつくってみせる。
――終わったのね。あなたの念は届いていたんだけど、もう返す力がなかったの。声も出せそうにないから接触テレパスでごめんなさい。
「なぜだアリス! どうして本当の事を言ってくれなかった! キミはリンクによる負担は少ないから心配ないと言っていたじゃないか。こんな事になるのが分かっていたなら・・・俺は!」
――そう。本当の事を知ったらあなたは闘えない。私は皆を助けたいと思うあなたの気持ちを尊重したかった。私は私の意志でこうしたのだから、あなたが気に病む必要はないのよ。
アリスの目からひとすじの涙がこぼれ落ちる。
――でも良かった。あなたが無事でいてくれて・・・
彼女の頬を伝い流れ落ちた涙は、頬に添えた俺の手に優しく触れて熱をおびる。まるで彼女の心のように、とても優しく暖かな涙だった。
「アリス。 俺は・・・キミの事が好きだ」
――うん、知ってる。私も好きよ。愛してるわ。
俺の頬を伝う涙がアリスのモノと交じり、二人の心をひとつに繋いで行くのだった。




