天正三年正月――しじゅーちょー
天正三年、一月。
久しぶりに、清盛館から人が減った。
前年はあまりにも長かった。
羽柴との戦。
須磨への後退。
漣の計。
播磨奪還。
停戦。
宇喜多への問い。
備前への出兵。
宇喜多の帰順。
そして十二月まで続いた戦後処理と国割り。
兵庫津に集まっていた赤松、宇野、小寺、黒田らも、さすがに正月となればそれぞれの土地へ帰った。
赤井直正は生野へ。
須知も赤井甚兵衛も、阿波辺岩蔵もスリフォンも、それぞれ預けられた土地へ散った。
戦争が終わったから休むのではない。
今度は荒れた土地を直さなければならない。
だからこそ、兵庫津に居続ける者はいなかった。
瀬戸内会議の集会所も、ようやく静かになった。
少弐も久しぶりに、清盛館で正月を過ごしていた。
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清盛館の正月は、いつの間にか妙なものになっていた。
門には松と注連縄。
座敷には鏡餅。
膳には雑煮。
そこまでは日本の正月だった。
ところが漆器の隣には南蛮渡りの器が置かれ、砂糖や蜂蜜を使った異国の菓子が並ぶ。
香を焚けば、その向こうから異国の香辛料の匂いまで漂ってくる。
旅の途中で少弐が持ち帰った品々も、清盛館のあちらこちらにある。
日本式なのか異国式なのか。
もう誰も気にしていなかった。
「うちの正月なんだから、これでいいだろう」
少弐自身がそう言っている。
家族にとっては、これがいつもの清盛館だった。
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雲丸は二歳二か月になった。
よく歩く。
よく喋る。
気になったものがあれば指を差し、分からなければ何度でも尋ねる。
そして前年六月に生まれた弟の鐘丸もいる。
鐘丸はまだ赤子だったが、兄弟二人がいるだけで館の空気はずいぶん変わった。
もっとも、少弐には以前から一つ問題があった。
家にいない。
あまりにもいない。
西へ行く。
北へ行く。
海へ出る。
畿内へ行く。
戦になれば須磨へ行く。
評定となれば兵庫津に詰める。
少弐自身も、いつ自分がどこへ行くことになるのか分からない。
だから雲丸については、まだ幼いうちから別所四十郎を傅役にしていた。
最初は、
「私がいない間、この子を頼む」
という程度だった。
ところが少弐の留守があまりにも多かったため、そのまま正式な傅役となった。
雲丸にとって四十郎は、父がいないときにも変わらず側にいる大人だった。
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その四十郎は、正月にも清盛館にいた。
「四十郎殿」
「はい」
「正月なんだけど」
「存じております」
「帰らなくていいの?」
「一度帰りました」
「じゃあ、なんでいるの」
四十郎は少弐の前に積まれた書状を取った。
「少弐殿が仕事を始めるからです」
前年末から少弐は明らかに疲れていた。
戦よりも、その後の評定の方が長かったのではないかと思うほどである。
そこで四十郎は、少弐の書状や帳面まで整理するようになっていた。
「これは私が見ます」
「私宛てだよ」
「急ぎならお渡しします」
「こっちは?」
「それも私が」
少弐はしばらく四十郎を見た。
「私、何をすればいいの」
「若君方と遊んでいてくだされ」
何とも言えなかった。
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そこへ雲丸が歩いてきた。
以前の雲丸は、なぜか四十郎を、
「わんわん」
と呼んでいた。
だが二歳二か月になった今では、さすがに四十郎が犬ではないことは理解している。
人である。
自分の傅役である。
いつも側にいる。
そこまでは分かっている。
問題は名前だった。
雲丸は四十郎を見つけると、嬉しそうに指を差した。
「しじゅーちょー」
四十郎の筆が止まった。
少弐が顔を上げる。
「……何て?」
「しじゅーちょー!」
「四十郎だぞ」
「しじゅーちょー」
「し・ろ・う」
「しじゅーちょー!」
少弐が吹き出した。
四十郎は何とも言えない顔になった。
「以前は犬でございましたからな」
「人にはなったじゃないか」
「大きな進歩ではございます」
雲丸が四十郎の袖を引っ張った。
「しじゅーちょー」
「四十郎でございます」
「しじゅーちょー!」
「……もう、それで結構です」
四十郎が雲丸を抱き上げる。
少弐は笑っていた。
だが途中で、ふと止まった。
「……侍従長」
四十郎が嫌そうな顔で振り返った。
「何か思いつかれましたか」
「それ、いいな」
「何がです」
「侍従長」
四十郎は雲丸を抱いたまま少弐を見た。
「若君の言い間違いから役職を作ろうとなされておりますか」
「きっかけは」
「やめてくだされ」
しかし少弐は、もう真面目に考え始めていた。
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実のところ、少弐は以前から少弐家そのものをどうするか悩んでいた。
瀬戸内会議ができた。
播磨の復興が始まる。
少弐自身にも担当する土地がある。
兵庫津がある。
清盛館がある。
西国艦隊との連絡もある。
来客もある。
書状も来る。
雲丸がいる。
鐘丸も生まれた。
そして何か起きれば、また少弐は家を空ける。
だが、人がいない。
正確には――。
少弐家だけで有能な人間を囲っている余裕がない。
黒田官兵衛には播磨の復興をやってもらわなければならない。
赤井直正には生野がある。
阿波辺岩蔵には港と物流がある。
スリフォンには大勢の兵を民へ戻す仕事がある。
須知にも担当する土地がある。
赤井甚兵衛にも役目がある。
戦で人が死にすぎた播磨では、有能な人間一人に仕事がいくつもあった。
そんな状態で少弐家だけが、
家老。
執事。
傅役。
留守居。
祐筆頭。
勘定役。
それぞれに一人ずつ有能な家臣を置くわけにはいかない。
少弐は四十郎を見る。
すでに雲丸を任せている。
少弐が疲れれば書状まで整理している。
少弐がいなくても清盛館のことを知っている。
ならば。
「四十郎殿」
「はい」
「侍従長になって」
四十郎が黙った。
「本気でございますか」
「本気」
「何をする役目で?」
少弐は答えた。
「少弐家のこと、全部」
「……全部?」
「うん」
清盛館の家政。
家臣の取りまとめ。
来客の取次。
書状の整理。
留守居。
少弐の執務補佐。
雲丸については、これまで通り傅役。
鐘丸についても、まだ赤子ではあるが、兄弟の養育全体を見る。
そして少弐がまた長期間いなくなっても、家が止まらないようにする。
要するに、
少弐家の執事。
「丸投げでは?」
四十郎が尋ねた。
「そうだよ」
少弐はあっさり認めた。
「私が全部決めるなら、四十郎殿を置く意味がない」
四十郎は額を押さえた。
しばらく黙っていた。
だが、やがて顔を上げた。
今度は先ほどまでとは違う顔だった。
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「では、少弐殿」
「うん?」
「本当に、私へ任せていただけますか」
「そのつもりだけど」
「ならば、中途半端にはなされませぬよう」
少弐は四十郎を見る。
四十郎は雲丸を下ろし、少弐の前へ座った。
「人がいないと申されましたな」
「うん」
「少弐家には、でしょう」
「播磨全体にもだけど」
「確かに人は死にました」
四十郎は言った。
「しかし、生き残った者もおります」
赤松。
宇野。
小寺。
別所。
その他の大小の家々。
当主が討死した家がある。
主家そのものが消えた者もいる。
家は残っても領地を失い、以前の人数を養えなくなったところもある。
城を失った。
扶持を失った。
役目を失った。
戦には生き残った。
だが帰っても仕える場所がない。
そんな者は、播磨中にいるはずだった。
「そういう者を集めてはいかがでしょう」
少弐が少し身を乗り出した。
「少弐家に?」
「はい」
ただし武士ばかりではない。
四十郎は指を折った。
文を書ける者。
算用のできる者。
蔵を預かっていた者。
馬を扱っていた者。
使者として走っていた者。
客人の取次をしていた者。
家事を差配していた者。
台所をまとめられる者。
衣服や調度を管理していた者。
戦場では目立たない。
だが一つの家を動かすためには必要な人々だった。
主を失ったことで、そうした者まで職を失っている。
「赤松殿や宇野殿に話を通しましょう」
四十郎は続けた。
「小寺にも別所にも。家臣を奪うのではございませぬ。主を亡くした者、暇を出された者、家が縮んで役目を失った者、新たな奉公先を求める者を紹介していただくのです」
字が書けるなら祐筆にする。
算用ができるなら勘定を見る。
家事ができるなら清盛館へ。
馬を扱えるなら厩へ。
船を知るなら港との取次。
子供の世話に慣れた者なら雲丸や鐘丸の身辺へ。
それぞれ、できることをさせる。
少弐は感心したように四十郎を見た。
「四十郎殿、急にやる気になったね」
「やるのであれば、でございます」
四十郎は真顔だった。
「私一人へすべての仕事を投げられては、私が潰れます」
「それはそうだ」
「ですから、人を集めます」
そして四十郎は、そこで言葉を切った。
「ただし」
「何?」
「条件がございます」
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四十郎は少弐を正面から見た。
「私を、本当にその者たちの長にしていただきたい。」
少弐は黙った。
四十郎が求めたのは、名ばかりの侍従長ではなかった。
人を集めても、その一人一人について少弐の許可を取らなければ何もできないのなら意味がない。
誰を採るか。
誰をどこへ置くか。
誰を祐筆にするか。
誰に蔵を預けるか。
誰を清盛館へ置くか。
誰を雲丸の身辺へ付けるか。
誰を鐘丸の養育に回すか。
扶持をどうするか。
働きの悪い者をどうするか。
そうした少弐家の日常的な人事と家政については、四十郎自身に決めさせてほしい。
「少弐殿は瀬戸内会議を」
四十郎は言った。
「私は少弐家を」
それならば、少弐にも分かりやすかった。
瀬戸内会議には六家がいる。
それぞれの復興地には責任者がいる。
生野には赤井直正がいる。
港と物流には阿波辺岩蔵がいる。
ならば少弐家にも、一人の責任者を置けばいい。
「いいよ」
少弐は答えた。
四十郎の方が少し驚いた。
「……よろしいので?」
「丸投げするって言っただろ」
「本当にここまで投げられるとは思っておりませなんだ」
「どっちなんだよ」
そのとき雲丸が四十郎を指した。
「しじゅーちょー!」
二人とも雲丸を見る。
少弐が笑った。
「ほら。長だって」
「若君はそこまで仰っておられませぬ」
だが四十郎も、ようやく笑った。
「承知いたしました」
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こうして天正三年正月。
少弐家に新しい役職が生まれた。
侍従長。
初代、別所四十郎。
以前から務めていた雲丸の傅役をそのまま兼ねる。
鐘丸を含む少弐家の子供たちの養育を監督する。
清盛館を預かる。
家臣をまとめる。
来客を差配する。
書状を整理する。
必要な役人を自ら選ぶ。
少弐不在時には日常的な家政を代行する。
実質的な、少弐家の執事にして家中の長だった。
そして四十郎は、本当に人集めを始めた。
赤松へ。
宇野へ。
小寺へ。
別所へ。
その他、戦乱で大きく家臣団を減らした家々へ。
求めたのは、勇猛な武者ばかりではない。
むしろ四十郎は、
「武勇の有無を問わず」
と伝えさせた。
主を失った者。
職を失った者。
扶持を失った者。
文を書ける者。
算用のできる者。
家事のできる者。
蔵を扱える者。
馬を扱える者。
客の取次ができる者。
人の世話ができる者。
少弐家が必要としているのは、戦場で首を取る者ばかりではなかった。
これから必要なのは、
家を動かせる者だった。
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「何人くらい集める?」
少弐が尋ねた。
「まだ決めませぬ」
四十郎は帳面を作りながら答えた。
「多すぎたら?」
「清盛館だけで使い切れなければ、少弐殿の復興地へ回します」
「少なかったら?」
「私が働きます」
「今と同じじゃないか」
「ですから、なるべく集めます」
四十郎は真顔だった。
少弐は笑った。
少弐家は戦によって人手を失っている。
一方で播磨には、戦によって居場所を失った人々がいる。
ならば互いに足りないものを埋めればいい。
そうして正月の清盛館には、少しずつ新しい顔が増えていくことになる。
そして新しく入った者たちが最初に仕事を教わる相手は、家を空けてばかりの少弐ではなかった。
書状を振り分ける。
仕事を割り振る。
雲丸を叱る。
鐘丸の様子を確認する。
台所へ指示を出す。
蔵の帳面を見る。
少弐へ上げるべき案件だけを選ぶ。
清盛館を歩き回る別所四十郎だった。
雲丸は、その姿を見つけるたびに嬉しそうに呼んだ。
「しじゅーちょー!」
最初はただ、
四十郎
をうまく発音できなかっただけだった。
だが人が集まり、四十郎の下に家中が形作られていくにつれて、その呼び名は妙に実態と合うようになった。
天正三年正月。
少弐家の侍従長職は、二歳二か月の雲丸の空耳から生まれた。
そして別所四十郎は、その冗談のような役職を――
本当に人を束ねる「長」にしてしまったのである。




