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瀬戸内会議――国を取り替える

天正二年、十二月。


戦が終わってから、もうどれほど評定を開いたのか。


誰にも分からなくなっていた。


羽柴との戦。


須磨への後退。


漣の計。


姫路奪還。


停戦。


捕虜交換。


竹田城返還。


宇喜多への問い。


備前への出兵。


そして宇喜多の帰順。


戦乱と、その後始末だけで季節がいくつも過ぎた。


気がつけば十二月だった。


兵庫津は、もはや以前の港町ではない。


戦火そのものを免れたこともあって、播磨各地から人が流れ込んでいた。


帰る村を失った者。


主君を失った兵。


城を失った家臣。


商人。


職人。


僧侶。


負傷者。


そして、播磨の主だった家々まで兵庫津に居着き始めていた。


屋敷を借りる者もいる。


寺に間借りする者もいる。


空いた蔵を仕切り、そこを仮の屋敷にしている家まであった。


理由は簡単だった。


故郷へ帰っても、何もない。


そして何より、兵庫津では毎日のように会議がある。


清盛館隣の集会所には、今日も人が集まっていた。



---


宇喜多が帰順したことで、まず名称が改められた。


それまでの「兵庫津評議」では、もう実態に合わない。


播磨だけではない。


備前の宇喜多まで、この席に加わった。


そこで、


瀬戸内会議。


と呼ぶことになった。


もっとも、名前ほど立派なものではなかった。


少弐が言い出し、何人かが、


「それでよかろう」


と言っただけである。


だが、名前が決まれば次は仕組みだった。


戦前の播磨なら、それぞれの家に当主がいた。


軍を動かす者がいた。


国人を束ねる者がいた。


だが長い戦で、その多くが死んだ。


だから戦中、少弐はやむを得ず「臨時守護総代」とされていた。


これについて少弐自身が最初に言った。


「守護総代はやめよう」


黒田が頷いた。


「私もそう思います」


「私は守護じゃないし、播磨を治めるつもりもない」


ならば、実態に合わせる。


少弐に必要なのは政治的な支配権ではない。


瀬戸内会議が戦争を決議したとき、赤松・宇野・小寺・別所その他の兵を一つに束ねるための軍事指揮権だった。


そこで名称を改めた。


臨時総大将。


当面、少弐冬明が務める。


ただし、領地を勝手に動かす権利はない。


他家の家督にも介入できない。


瀬戸内会議が軍事行動を決議した場合にのみ、混成軍の最終指揮を執る。


少弐は念を押した。


「臨時だからな」


「臨時です」


黒田が答えた。



---


次に決めたのが、会議そのものだった。


戦後の播磨を支える主要な家として、


小寺・別所・宇野・赤松・黒田・少弐。


この六家に家席を置く。


後に「六家席」と呼ばれることになる。


六家は常任評議衆として、いつでも議題を提出できる。


さらに軍事行動についてのみ、拒否権を持つ。


宇喜多出兵のように、その場の勢いと多数決だけで戦争を決めてしまうことを防ぐためだった。


ただし、拒否権は軍事に限られる。


村同士の水争い。


道路。


橋。


市場。


寺社。


復興事業。


そうした日常的な仲裁や行政まで一つの家が止めることはできない。


そして宇喜多は六家席には入れなかった。


帰順は認める。


領国も残す。


瀬戸内会議への参加も認める。


だが、いきなり軍事拒否権まで持たせることはしない。


宇喜多はその他の参加諸家と同じ一席。


それが帰順直後の立場だった。



---


しかし最大の問題は制度ではなかった。


土地だった。


地図を広げれば、播磨は戻っている。


歩けば、まるで違った。


田が荒れている。


用水が壊れている。


橋がない。


村が焼けている。


家臣団が消滅している。


領主一家だけが生き残っていても、かつてのように領地を治められない場所まである。


一方で備前は、播磨ほど徹底的な戦場にはなっていない。


ここで黒田が一つの案を出した。


「いっそ、入れ替えてはいかがでしょう」


少弐が聞き返した。


「何を?」


「人と土地を」


そこから、戦後最大の領国整理が始まった。



---


基本方針は大胆だった。


播磨の生き残った旧家の一部を、比較的戦災の軽い備前へ移す。


そして、


荒廃した播磨には、戦中に少弐のもとで実際に軍・兵站・行政を動かしてきた者を配置する。


これは褒美として土地をばら撒くためではない。


復興責任を割り振るためだった。


播磨をいくつかの復興担当区域に分ける。


そこへ、


須知。


黒田官兵衛。


別所四十郎。


赤井直正。


赤井甚兵衛。


阿波辺岩蔵。


スリフォン。


宇喜多。


そして少弐。


戦中に人をまとめ、物資を動かし、道を知り、寺を拠点にし、敗残兵まで組織し直してきた者たちへ担当させる。


それぞれに荒廃した地域を預ける。


ただ領地をもらうのではない。


直すのである。


田を戻す。


橋を架ける。


用水を掘り直す。


村を再建する。


寺を修復する。


帰る家を失った兵を入植させる。


農具を配る。


牛馬を集める。


道をつなぐ。


市場を戻す。


少弐が地図を見ながら言った。


「これは領地というより、仕事だな」


阿波辺岩蔵が笑った。


「戦のときから同じでしょう」



---


須知には、軍事的に不安定な地域を任せた。


彼は遊撃を得意とし、城に籠るより地形と街道を使う男だった。


ならば復興でも、街道と村落の安全確保を担わせる。


黒田官兵衛には、複数の旧領が入り組み、境界整理と行政を必要とする地域。


別所四十郎にも一つのまとまった復興地域を持たせる。


別所家そのものとは別に、戦中に働いた者として責任を与えた。


赤井直正には生野方面。


竹田城を守っていた旧来の家々は戦でほぼ消滅している。


北方防衛も必要だった。


だから武威のある赤井を置く。


ただし生野銀山だけは別だった。


銀山は瀬戸内会議に属する。


赤井が守る。


赤井が周辺を治める。


しかし銀そのものは赤井家の私有ではない。


収益は播磨全体の復興へ回す。


赤井甚兵衛にも独自の復興担当区域を与える。


阿波辺岩蔵には、当然のように港と川と道が絡む地域が回された。


もともと船着場で働き、山賊でもあり、戦中には兵站を操った男である。


少弐が言った。


「岩蔵なら橋が落ちていても何とかするだろう」


「落ちているなら架けますよ」


本人も平然と答えた。


スリフォンには、彼が拾ってきた兵たちの多い地域を任せた。


五千もの敗残兵を一つの軍勢に戻した男である。


今度は彼らを村へ戻す。


家がなければ建てる。


田がなければ開く。


兵として束ねた者たちを、今度は住民として束ね直す。


スリフォンにとって、戦後最初の仕事になった。



---


そして宇喜多。


ここだけは意味が違った。


当初、宇喜多には赤松・宇野領に対する十年間の賠償を課す予定だった。


だが、それは取り消した。


代わりに宇喜多へ与えたのは、


特に復興の必要な土地だった。


宇喜多の者が地図を見て、思わず言った。


「これは……ずいぶん荒れておりますな」


黒田が答えた。


「ゆえに、お任せするのです」


十年間、米と銭を払い続ける必要はない。


その代わり、焼けた村を起こせ。


田を戻せ。


橋を架けろ。


人を住まわせろ。


自分の銭を使って復興せよ。


そして復興した土地は宇喜多のものとして認める。


つまり宇喜多への処分は、


賠償から復興責任へ転換された。


少弐は言った。


「十年間貧しくさせるより、十年後に豊かになってもらった方がいい」


赤松も宇野も、最終的には受け入れた。



---


その代わり、備前側では逆のことをした。


播磨の戦乱を生き残った旧家のうち、故地があまりにも荒廃していた家。


家臣団を大きく失った家。


そのまま故地へ戻しても再建が難しい家。


そうした家々には、戦災の比較的軽かった備前の土地を与え、移転させた。


これは宇喜多にとって大きな変化だった。


備前一国が宇喜多一色ではなくなる。


赤松系の家。


宇野系の家。


播磨から移った国人。


瀬戸内会議へ直接つながる家々。


それらが備前各地へ入る。


宇喜多の領国は残る。


だが、


「備前=宇喜多」ではなくなった。


一つの巨大な宇喜多領ではなく、複数の家が並び立つ地域へ変わっていく。


宇喜多の色を薄める。


それも今回の領土替えの目的だった。


再び宇喜多一氏だけが備前の街道を開けたり閉じたりできないようにする。


羽柴勢を通したときと同じことを起こさせない。


備前そのものを瀬戸内会議の複数の構成員によって支える。


軍事的な処分と、戦後復興と、勢力均衡。


三つを一度に行う領土整理だった。



---


少弐にも復興地域が割り当てられた。


本人は嫌がった。


「私は兵庫津だけで十分なんだけど」


黒田が却下した。


「臨時総大将が土地を持たぬでは、復興負担を他家へ押しつけているように見えます」


「清盛館がある」


「館です」


「倉庫もある」


「倉庫です」


結局、少弐家も一つの復興担当を引き受けた。


ただし少弐は、そこを大領国にするより、兵庫津と周辺港湾・街道を結ぶ形にした。


船。


市場。


倉庫。


職人。


寺。


街道。


農村。


それらを結びつける。


少弐らしい担当だった。



---


こうして播磨と備前の地図は、大きく書き換えられた。


戦前の領地へ、そのまま全員を戻すことはしなかった。


それはもう不可能だった。


人が死にすぎた。


村が焼けすぎた。


家臣団が失われすぎた。


だから、


生き残った家を土地へ戻すのではなく、生き残った人間と残った土地を組み合わせ直した。


荒れた播磨には、戦争を通して実務能力を示した者を置く。


比較的無事だった備前には、生き残った播磨旧家を移す。


宇喜多にも播磨復興を負わせる。


そして備前へ諸家を入れ、宇喜多一色だった領国構造を崩す。


その上に瀬戸内会議を置く。



---


十二月末。


清盛館隣の集会所には、新しく描き直された地図が広げられていた。


以前の地図とは違う。


赤松。


宇野。


別所。


宇喜多。


そうした大きな色だけでは塗られていない。


細かく分かれている。


少弐はしばらく眺めた。


「ずいぶん変わったな」


黒田が答えた。


「戦前へ戻すことはできませぬから」


それが、この評定の結論だった。


戦後とは、戦前へ戻ることではない。


戻れないものが多すぎる。


ならば残ったものを使って、新しく作る。


外では、まだ兵庫津に帰る場所のない兵たちがいる。


播磨では橋が落ちたまま。


生野では銀山を再開しなければならない。


備前では播磨から移ってくる家々を受け入れなければならない。


宇喜多は荒れ地を復興しなければならない。


スリフォンは兵を村人へ戻さなければならない。


阿波辺は道と港を直す。


赤井は北を守る。


黒田は境界と行政を整理する。


そして少弐は――。


「これで終わり?」


黒田が次の書状を取り出した。


「次は兵庫津に滞留している兵の帰農先と、新領主への振り分けでございます」


少弐はしばらく黙った。


「……年、越せる?」


「暦は勝手に越します」


外では十二月の冷たい海風が吹いていた。


戦は終わった。


だが国を直す仕事は、ようやく始まったばかりだった。


天正二年十二月。


戦乱の末に生まれた瀬戸内会議は、最初の大仕事として、播磨と備前の人と土地そのものを組み替えた。


それは論功行賞ではなかった。


敗者への単なる処罰でもなかった。


誰が、どの荒れ地を立て直すのか。


その責任を土地とともに分けるための、戦後最初の国割りだった。

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