皆の播磨――停戦連判状
姫路の寺をスリフォンが奪還したころ、羽柴方から停戦の申し入れが届いた。
早馬によって須磨へ運ばれた書状には、かなり具体的な条件が並んでいた。
赤松・宇野ら播磨諸氏の所領を認めること。
捕虜を相互に交換すること。
竹田城を返還すること。
歴史的な播磨国境を境として羽柴勢を撤退させること。
播磨西方の城々に取り残された羽柴方諸将・兵士について、安全な撤退を保証すること。
今後数年間、双方が相互不可侵とすること。
少弐方は但馬の戦へ介入しないこと。
毛利との通常の商いは妨げないが、不可侵期間中は毛利軍へ意図して兵糧・武器その他の軍需物資を供与しないこと。
条件そのものは悪くなかった。
むしろ羽柴側は、かなり譲っている。
須磨を抜かれ、姫路まで少弐勢が戻り、播磨各地の城兵が取り残されている以上、秀吉としても戦線を整理したかったのだろう。
黒田は一通り読み終えると少弐を見た。
「いかがいたします」
少弐は返事をしなかった。
もう一度、最初から読んだ。
赤松。
宇野。
竹田。
播磨国境。
そこまで読んだところで書状を畳んだ。
「これは、私が返事をするものじゃないな」
黒田が少し目を細めた。
「と申されますと」
「播磨は私の国じゃない」
寺の中が静かになった。
少弐は周囲を見る。
「赤松殿の土地がある。宇野殿の土地がある。小寺殿の土地もある。別所殿の土地もある。ほかにも、この戦で家族を失って、それでも残った家がいくつもある」
そして自分を指した。
「私が勝手に、ここからここまで羽柴殿へ渡します、ここからはこちらの土地です、なんて決めてよい話ではないだろう」
赤松の者が少弐を見る。
宇野の者も黙っていた。
「播磨は皆の播磨だ」
少弐は言った。
「なら、皆で返事をしよう」
黒田はそこで理解した。
「連判状にいたしますか」
「うん」
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使者が走った。
須磨だけではない。
姫路。
赤松旧領。
宇野旧領。
戦火を生き延びた家々へ。
大名だけを呼ぶのではなかった。
この戦の後もなお播磨に残り、土地と家臣を持ち、播磨の行く末について責任を負う家々。
それぞれに停戦条件を伝えた。
数日をかけて、人が集まった。
再び須磨の寺が使われた。
畳の上には、羽柴から届いた書状が置かれている。
少弐は上座へ座ろうとしなかった。
「今日は私の評定ではないので」
そう言って播磨衆と同じところへ座った。
黒田が苦笑する。
「では誰が進めるのです」
「官兵衛殿」
「やはり私ですか」
少しだけ笑いが起きた。
だが話し合いが始まれば、皆真剣だった。
まず赤松・宇野らの所領。
「安堵」という言葉については、やはり異論が出た。
「羽柴殿より賜る土地ではない」
そこで文言を変える。
播磨諸氏が従前より保持する所領について、双方これを確認し、不可侵期間中これを侵さない。
次。
竹田城返還。
異論なし。
捕虜交換。
異論なし。
羽柴方の残存諸将・兵士の安全な撤退。
ここでは意見が割れた。
「城を奪った者を、そのまま武具まで持たせて帰すのか」
という声もあった。
黒田が答えた。
「帰さなければ城を一つずつ攻めることになります」
沈黙。
「そのために、また何百人死なせますか」
反対は消えた。
ただし条件を付ける。
撤退する羽柴兵は、指定された街道のみを使用する。
村落への略奪は禁止。
放火も禁止。
城を破壊して退去することも認めない。
少弐方も撤退中の兵を襲わない。
双方が守る。
次に相互不可侵。
年数について議論する。
そして但馬。
ここでは慎重になった。
播磨衆は但馬へ兵を出さない。
羽柴方も播磨へ兵を入れない。
少弐もそれに従う。
ただし通常の往来まで止めない。
商人。
僧侶。
旅人。
船。
それらは従来どおり。
毛利との商いについても同じだった。
交易は続ける。
ただし不可侵期間中、毛利軍へ戦争目的で兵糧、武器、弾薬、軍船その他の軍需物資を供与しない。
「米そのものを売るな、では困る」
少弐が言った。
「米は誰でも食べる」
そこで、
毛利軍または軍事拠点へ向けた、意図的かつ組織的な軍需供与
と限定した。
これなら少弐も受け入れられる。
一つずつ。
言葉を詰める。
誰か一人が決めるのではない。
赤松が言う。
宇野が直す。
小寺が疑問を出す。
別所の者が条件を足す。
黒田が文章としてまとめる。
少弐も意見は言う。
だが最後に決めるのは少弐ではなかった。
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何度も書き直した末、一通の文書ができた。
羽柴秀吉への降伏状ではない。
少弐冬明の講和状でもない。
播磨諸家による停戦の連判状。
紙が広げられた。
最初の家が署名し、判を据える。
次。
また次。
赤松。
宇野。
小寺。
別所。
そして、この戦を生き残った播磨の家々。
一つずつ名前が増えていった。
戦前なら同じ席につくことさえ難しかった者もいる。
互いに争った家もある。
領地を巡って揉めた者もいる。
それでも今日は、一枚の紙に判を並べた。
少弐は最後までそれを見ていた。
やがて黒田が尋ねた。
「少弐殿も?」
少弐は少し考えた。
「播磨の土地については、私には判を押す資格がない」
「ですが不可侵と毛利への軍需供与については、少弐殿自身も当事者です」
「ああ、それはそうか」
そこで文書を分けた。
播磨の土地と城については、播磨諸家が連判する。
少弐は、不可侵期間中の自身の軍勢、西国艦隊、但馬への不介入、毛利への軍事供与禁止についてのみ誓約する。
土地の主人としてではない。
停戦に参加する一方の当事者として。
少弐はそこに名を書いた。
黒田も、自らの立場に応じて判を据えた。
完成した連判状を、少弐はしばらく眺めた。
「これならいい」
赤松の者が尋ねた。
「何がです」
「羽柴殿と私が播磨を分けたことにならない」
少弐は並んだ名前を指した。
「播磨の人たちが、自分たちで戦を止めたことになる」
誰もすぐには答えなかった。
やがて宇野の者が静かに頷いた。
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翌朝。
播磨側の使者が須磨を発った。
持っているのは少弐一人の書状ではない。
播磨に残った家々の名が並ぶ連判状だった。
これを受け取れば、羽柴側も分かる。
次に播磨へ兵を入れるということは、少弐一人との約束を破ることではない。
この紙に判を据えた播磨諸家すべてとの約定を破ることになる。
少弐は使者を見送った。
黒田が隣に立つ。
「ずいぶん大きな紙になりましたな」
「人数が多いからな」
「後世の者が見れば、誰が播磨の主人だったのか困るでしょう」
少弐は笑った。
「それでいいんじゃないか」
「なぜです」
少弐は須磨の西を見た。
赤松の土地。
宇野の土地。
小寺の土地。
別所の土地。
名もない地侍たちの村。
焼けた三木。
取り戻した姫路。
そして返還される竹田城。
「一人のものじゃなかったってことだろう」
漣の計で取り戻した播磨を、少弐は自分の領国にはしなかった。
戦を終わらせる判も、一人では押さなかった。
播磨は、皆の播磨である。
その言葉が、一枚の連判状という形になって羽柴秀吉のもとへ向かっていった。




