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漣の余波――姫路奪還

漣の計は、須磨を抜いたところでは終わらなかった。


むしろ、その後の方が速かった。


羽柴勢が城へ籠るたび、少弐勢は城を囲まず、その横を抜けた。


街道。


橋。


渡し場。


峠。


船着き場。


播磨衆が必要だと知っている場所だけを押さえ、次の部隊が前の部隊を追い越していく。


須磨で生まれた漣が、そのまま西へ流れていった。


その先頭に、スリフォンがいた。


彼がまとめているのは、かつて自分が拾い集めた兵たちだった。


竹田、生野、三木、姫路。


あちこちで敗れ、逃げ、須磨まで連れて帰った者たち。


その兵たちが今、自分たちが逃げてきた道を逆に進んでいる。


やがて前方に、見覚えのある建物が現れた。


姫路の寺だった。


以前、黒田・小寺勢が竹田方面から退いてきた際、一度はここを頼った。


だが姫路も危険だとして放棄し、さらに須磨へ退いた。


あの寺である。


兵の一人が呟いた。


「戻ってきた……」


スリフォンは寺を見た。


大城ではない。


だが街道を見るには都合がよく、兵を一時収容する場所にもなる。


そして何より、この軍勢にとって意味があった。


ここから須磨へ逃げた。


ならば、ここを取り返すことは敗走が終わったことを意味する。


スリフォンは迷わなかった。


「取る」


漣の勢いを借りた。


大規模な攻城戦にはならなかった。


羽柴方も、ここで決戦するつもりはなかったらしい。


周囲の道を押さえられ、須磨方面から少弐勢が次々と西進してくるのを見ると、守兵の一部は退き、残った者も長くは抗しきれなかった。


ほどなく寺は奪還された。


スリフォンは境内へ入った。


兵たちも続く。


以前ここへ来たときとは、顔が違った。


あのときは疲れ果て、さらに東へ逃げるために休んだ場所だった。


今日は西へ進むために休む。


スリフォンは寺を見回して言った。


「今度は、ここから逃げなくてよい」


誰かが笑った。


それが周囲へ広がった。


---


だが、播磨全体が静まったわけではない。


宇野・赤松の旧領では、まだ小競り合いが続いていた。


城には羽柴勢が残っている。


街道には少弐方。


村によってはどちらの兵も通る。


夜になれば斥候同士が遭遇し、朝になれば橋の向こうで矢が飛ぶ。


ただ、戦そのものの勢いは急速に失われ始めていた。


理由は北にあった。


但馬である。


毛利の東進。


それを抑える明智。


山名。


そして織田方の諸勢。


但馬の戦線が重くなるにつれて、播磨にいた尾張衆までそちらへ引き抜かれ始めたらしい。


少弐たちには織田方の命令系統までは見えない。


だが現象だけは分かった。


敵が減っている。


新しい兵が来ない。


城に籠った羽柴勢も、積極的に打って出なくなった。


彼らも理解していた。


今ここで城を捨てて野戦に出れば、播磨衆の中へ孤立する。


ならば城を守る。


兵をまとめる。


情勢が変わるまで待つ。


再起を期す。


そうして播磨の戦いは、激しい機動戦から、点々と残った城を挟んで睨み合う状態へ変わっていった。


少弐側も無理に攻めない。


城を取るために人を死なせる必要はない。


城の外を押さえていればよい。


次第に、戦場から大きな音が消えていった。


---


ただし、一つ問題が残った。


宇喜多領である。


西へ押された羽柴勢の中には、城へ入らず、そのままさらに西へ逃れる者がいた。


播磨を抜ければ宇喜多領。


少弐にとっては予想できたことだった。


「やっぱり出たか」


報告を受けた少弐は地図を見た。


黒田も頷いた。


「西を開けて押しましたからな」


「こちらで逃げ道を作っておいて、逃げるなとも言えないな」


「それはそうですが」


問題は、その先だった。


羽柴兵が宇喜多領へ入り、そこで休養し、食糧を得て、再び播磨へ戻ってくるようでは困る。


しかも今、宇喜多自身が難しい立場にある。


出雲蜂起で敗れた尼子残党も宇喜多領へ逃げ込んでいる。


毛利からは身柄の引き渡しを要求されている。


さらに毛利は宇喜多に立場の明確化まで迫っている。


そこへ今度は東から羽柴兵が逃げ込む。


宇喜多からすれば、東西双方の敗兵が自領へ流れ込むことになる。


少弐は紙を出させた。


「書こう」


「宇喜多殿へ?」


「うん」


命令ではない。


宇喜多領は少弐の領地ではない。


だから要求の形を整える。


まず、これまで宇喜多が播磨の戦乱に際して軽々しく介入しなかったことへの礼を書く。


その上で、現在、羽柴勢の一部が播磨から宇喜多領へ退入していることを伝える。


そして頼む。


羽柴方の兵について、宇喜多領内の通行を認めないでほしい。


少弐は筆を止めた。


「これだけだと、ちょっと勝手かな」


黒田が考える。


「宇喜多殿にも利があることを添えましょう」


「というと?」


「尼子勢もおります」


少弐は納得した。


東から羽柴。


西から尼子。


どちらも好き勝手に通していれば、宇喜多領そのものが敗兵の通り道になる。


少弐は書き加えた。


これは少弐のためだけではない。


宇喜多領内の安寧のためにも、武装した他勢力の兵を自由に通すべきではない。


捕らえてこちらへ引き渡せ、とまでは言わない。


武装解除して追放するか。


領外へ退去させるか。


その処置は宇喜多に任せる。


ただし、


宇喜多領を通って羽柴勢が再び播磨へ入ることだけは、禁じていただきたい。


少弐は最後まで書き終えた。


「これなら?」


黒田が読み返す。


「よろしいかと」


「では急いで届けてもらおう」


使者が西へ向かった。


---


姫路では、奪還した寺の鐘が鳴っていた。


須磨で戦の始まりを告げた鐘とは違う。


今度は、兵を集めるための鐘だった。


境内では飯が炊かれている。


負傷者が休む。


馬に水を飲ませる。


スリフォンが拾った兵たちは、再び次の命令を待っている。


だが、もう逃げるためではなかった。


須磨からここまで戻ってきた。


宇野・赤松領では小競り合いが残る。


敵の城も残っている。


羽柴勢そのものが消えたわけでもない。


それでも、戦の形は明らかに変わっていた。


少弐は城を一つずつ奪い返したわけではない。


羽柴軍を殲滅したわけでもない。


ただ須磨の栓を抜き、城を追い越し、道を取り戻した。


その結果。


城に残った敵兵の方が、播磨の中で取り残され始めていた。


漣は大波にはならなかった。


しかし小さな波が通り過ぎたあと、播磨の景色は、須磨で戦が始まる前とはまるで違うものになっていた。

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