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漣の計――鐘とともに

翌朝。


日の出。


奇襲ではなかった。


羽柴方には、昨日のうちに伝えてある。


停戦は日の出まで。


日の出より、再び戦う。


だから須磨の両軍は、互いに今日戦が始まることを知っていた。


東の空が明るくなった。


海が白み、須磨の山肌にも朝の光が差し始める。


少弐は空を見上げた。


「よし」


そして寺へ合図を送った。


――ゴォン。


鐘が鳴った。


須磨の朝に、寺の鐘が響き渡った。


一度。


二度。


三度。


それに応えるように、別の音が鳴り始めた。


太鼓。


鉦。


陣鐘。


笛。


船で使う鐘。


どこから持ってきたのか分からない鳴り物まで混じっている。


音色も拍子も揃っていない。


それでよかった。


須磨一帯が突然、音で満たされた。


羽柴陣からも兵が出る。


奇襲ではない。


互いに準備していた。


だが羽柴方が予想していたのは、須磨正面からの攻勢だった。


実際、正面は動いた。


小寺勢。


赤松勢。


宇野勢。


彼らが一斉に前へ出る。


昨日、羽柴の使者から領国安堵を提示された者たちだった。


「押せ!」


激しく当たった。


怒りに任せた無秩序な突撃ではない。


黒田が昨日から何度も言い聞かせている。


敵を皆殺しにする必要はない。


須磨を開ければよい。


それでも彼らの当たりは強かった。


ここより西は、自分たちの土地である。


その意識だけは、昨日よりはるかに強くなっていた。


羽柴勢も受ける。


須磨の狭い正面で両軍がぶつかった。


だが――。


本当の漣は海から来た。


「出せ!」


阿波辺岩蔵の声が飛ぶ。


大船ではなかった。


小舟だった。


何艘いるのか、一目では分からない。


兵を十数人載せたもの。


二十人ほど押し込んだもの。


櫂で進むもの。


帆を使うもの。


大小さまざまな小舟が、須磨沖から一斉に動き始めた。


一列ではない。


きれいな陣形でもない。


次々に浜へ向かう。


羽柴陣の側面へ。


さらにその向こうへ。


正面で戦っている敵を、海から追い越していく。


「船!」


羽柴勢から声が上がった。


「横へ来るぞ!」


「いや、後ろだ!」


小舟が殺到した。


一艘が浜へ着く。


兵が降りる。


その横へもう一艘。


さらにその横へ。


浜を奪うように、小さな上陸点が次々と生まれていく。


先頭にいたのはスリフォンだった。


「広がりすぎるな!」


鷹衆が浜を走る。


敵陣深くへ突撃しない。


まず船を守る。


次に上陸地点を確保する。


浜から内陸へ通じる道を押さえる。


敵が来れば押し返す。


追わない。


「ここでよい!」


スリフォンが決めた。


小さな橋頭堡が生まれた。


羽柴勢が当然そこへ向かう。


後方予備が動く。


正面を向いていた部隊まで、一部が横を向く。


その瞬間。


また寺の鐘が鳴った。


――ゴォン。


それが次の合図だった。


沖で待っていた小舟が、再び動いた。


今度は須知。


遊撃として温存されていた予備兵力を率いている。


須知の船団はスリフォンが確保した浜へ殺到した。


次々に上陸する。


だが須知は、スリフォンの横に陣を作らなかった。


「前へ!」


スリフォンの兵の間を抜ける。


「通せ!」


鷹衆が道を開けた。


須知勢がスリフォンを追い越した。


第一の波が作った場所を、第二の波が踏み台にしてさらに先へ出る。


スリフォンはそこで踏みとどまる。


船着きを守る。


須知は前へ。


これが漣の計だった。


一つの波が止まった場所で、次の波まで止まらない。


次はその先へ行く。


羽柴勢は須知へ対応しなければならなくなる。


兵がさらに後方へ回る。


正面が薄くなる。


黒田はそれを見逃さなかった。


「今です」


太鼓。


小寺勢が押す。


赤松勢が押す。


宇野勢も押す。


正面から強く当たった。


羽柴勢が踏みとどまる。


だが後ろでは須知が動いている。


その後ろにはスリフォン。


さらに浜には小舟が次々と到着する。


海上には西国艦隊。


沖では坂東フリガッタ十二隻が沿岸へ寄り始めていた。


羽柴勢からすれば、どこまでが本攻めなのか分からない。


正面なのか。


側面なのか。


背後なのか。


海なのか。


だが実際には、すべてが本攻めであり、同時にどれ一つとして決戦ではなかった。


押せるところを押す。


開いたところへ次を入れる。


ただそれだけだった。


そして――。


羽柴勢が崩れた。


思っていたより早かった。


黒田自身が意外そうに敵陣を見た。


「……浅い」


羽柴勢の陣が、思ったほど深くない。


須磨を攻めるには、もともと地形が悪すぎた。


狭い。


海が近い。


山も近い。


少弐方は須磨で待ち構えている。


そのうえ海上を西国艦隊に握られている。


羽柴も最初から、この場所だけで決着をつけるつもりではなかったのかもしれない。


須磨を圧迫する。


播磨衆を拘束する。


降伏を促す。


それで崩れればよし。


崩れなければ、別の手を考える。


そういう陣だった。


だから正面から強く当たられ、同時に側面と後方へ小舟が殺到すると、羽柴勢は無理に維持しなかった。


一隊が下がった。


その隣も下がる。


須知を止めるため後ろへ回っていた兵が、さらに後方へ退いた。


それを見て正面の兵も下がる。


崩壊は連鎖した。


「追うな!」


黒田が叫んだ。


赤松勢が前へ出すぎる。


「追い散らすだけでよい!」


宇野勢にも伝令が走る。


「首を取りに行くな! 道を取れ!」


敵を殺すことが目的ではない。


羽柴勢を須磨から退かせる。


それでいい。


羽柴勢は後方へ散っていった。


完全な潰走ではない。


ある隊はまとまって退く。


ある隊は街道を西へ走る。


別の隊は後方陣地へ向かう。


指揮官たちは兵をまとめようとしている。


だが、もう須磨正面を塞ぐ一枚の陣ではなくなっていた。


そこへ小寺・赤松・宇野勢が入る。


須知はさらに前へ。


スリフォンは橋頭堡を維持しながら、次々に来る船を受け入れる。


海から来た兵と、須磨正面を突破した兵がつながり始めた。


少弐はその様子を見ていた。


もっと激しい戦いになると思っていた。


坂東フリガッタ十二隻まで揃えた。


ところが、敵は思ったより早く砕けた。


黒田が少弐のところへ来た。


「羽柴殿は、ここに全てを賭けておられなかったようです」


「みたいだな」


少弐は西を見る。


敵兵が退いていく。


だが黒田は喜んでいなかった。


「だからこそ、ここからです」


少弐も頷いた。


須磨を抜いた。


それは勝利ではある。


だが秀吉本隊を破ったわけではない。


敵は播磨の後方へ退いただけである。


ここから先には、赤松や宇野らの旧領がある。


城もある。


街道もある。


羽柴勢はそこへ入るだろう。


そして再び兵をまとめる。


少弐は命じた。


「予定通りだ」


追撃して殲滅しない。


退路を塞がない。


ただし止まらせない。


西へ押す。


敵が城へ入れば、その城を新しい境目にする。


浜では、また小さな波が寄せていた。


一つ。


その後ろに、もう一つ。


さらにその後ろにも。


寺の鐘が、もう一度鳴った。


須磨を塞いでいた羽柴の陣は消えた。


漣の計は、最初の波で須磨の口を開いた。

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