天正二年十月――城は落ち、人は残る
六甲へ別所長治、赤井直正、阿波辺岩蔵が流れ込んできたころ、北からもついに決着の知らせが来た。
須磨へ駆け込んできた伝令を見た瞬間、少弐には分かった。
「竹田か」
「はい!」
「官兵衛は」
「退却を開始しております!」
少弐はまず息を吐いた。
負けたという報告より先に、黒田孝高が生きて退いていることに安堵した。
「小寺勢は?」
「ともに!」
黒田も小寺勢も、竹田城を救援するためにかなり北まで出ていた。
だが西では赤松・宇野が崩れた。
中央では三木城が失われた。
丹波には明智光秀が入ろうとしている。
このまま竹田城周辺へ留まれば――
黒田たちだけが北に取り残される。
黒田はそれを恐れた。
「官兵衛らしいな」
少弐は呟いた。
勝てるかどうかではない。
帰れるかどうかを見る。
黒田は竹田城主へ退却を勧めた。
だが――
城主は応じなかった。
「残ったのか」
「はい」
少弐は目を閉じた。
まただった。
赤松。
宇野。
別所。
そして竹田城。
黒田の言うことを、誰も聞かない。
---
黒田・小寺勢が退き始めると、羽柴方は一気に城へ迫った。
加藤。
中川。
その他の羽柴勢。
救援軍がいなくなった以上、竹田城は孤立した。
それでも門は開かなかった。
降伏の使者が来ても、城主は戦うことを選んだ。
そして――
開戦。
「最後まで?」
少弐が尋ねた。
伝令が頷いた。
「最後までにございます」
竹田城は落ちた。
城兵は抵抗した。
門を破られても。
曲輪へ入られても。
最後まで戦ったという。
須磨の指揮所は静かになった。
少弐は竹田城の駒を取った。
今度は別の場所へ移さなかった。
机の端へ置いた。
「……そうか」
それだけ言った。
北の線も破られた。
---
だが黒田たちは残った。
小寺勢も残った。
敗走ではない。
退却だった。
竹田城救援を断念し、敵との距離を保ちながら南へ下がる。
少弐はすぐ伝令を出した。
> 姫路へ戻れ。
無理なら東へ寄れ。
敵を連れてくるな。
黒田なら意味は分かる。
須磨まで一直線に逃げれば、羽柴勢まで連れてくる。
だから一度、敵との間を切る。
兵を整える。
それから戻ればいい。
---
ところが西では、別の戦いが始まっていた。
「スリフォン殿、動きました!」
少弐が顔を上げる。
「どこへ」
「西!」
姫路の西光寺にいたスリフォンは、赤松・宇野の敗残兵を収容し続けていた。
最初はばらばらだった。
主を失った者。
傷を負った者。
武器をなくした者。
自分の隊がどこにいるのか分からない者。
それを一度食わせた。
休ませた。
傷を診た。
そして――
もう一度、軍にした。
鷹衆三百だけではない。
赤松残兵。
宇野残兵。
その他の小勢。
完全な軍勢には程遠い。
だからスリフォンは、大きな野戦を挑まなかった。
「川を使っております!」
少弐が地図を見る。
「橋は?」
「橋を挟んで羽柴方と小競り合い!」
少弐の顔が変わった。
「渡るなと伝えろ」
「はい!」
スリフォンの狙いも、勝つことではなかった。
川のこちら側に兵を置く。
羽柴勢が橋へ近づけば矢を射る。
銃を撃つ。
渡ろうとすれば少人数で押し返す。
敵が大勢集まれば退く。
別の橋へ移る。
場合によっては橋板を外す。
渡し舟をこちらへ引き上げる。
そして次の川へ。
川一本ごとに時間を買う。
---
夕方になると、また報告。
「一つ目の橋、放棄!」
少弐が聞く。
「損害は?」
「軽微!」
「ならいい」
しばらくして、
「次の川で再び交戦!」
甚兵衛が地図へ印をつけた。
さらに、
「羽柴勢、渡河を試みる!」
「スリフォンは?」
「退きながら抵抗!」
少弐は頷いた。
それでいい。
赤松や宇野のように、土地を守るため一度の野戦へすべてを賭けない。
一つの川を失えば次。
橋を失えば次。
村を失えば次。
羽柴勢に勝つ必要はない。
一日を奪えばいい。
---
夜。
須磨の地図から、また二つの大きな拠点が消えていた。
三木城。
竹田城。
西では赤松・宇野の領国も大きく食い込まれている。
普通に見れば、播磨側の大敗だった。
甚兵衛も言った。
「城がなくなっていきますな」
少弐は頷いた。
「うん」
だが、その代わり別のものが増えていた。
六甲には別所長治。
赤井直正。
阿波辺岩蔵。
虎衆。
北からは黒田・小寺勢が戻ってくる。
姫路西方ではスリフォンが赤松・宇野残兵をまとめ直し、川と橋を使って羽柴勢を止めている。
城を失うたびに――
兵がこちらへ戻ってくる。
少弐は地図を見て、ふと笑った。
「変な戦になったな」
甚兵衛が尋ねる。
「負けておりますか?」
「負けてる」
少弐は即答した。
「ものすごく負けてる」
三木も竹田も落ちた。
赤松も宇野も領地を失っている。
「でも人が減らない」
むしろ散っていた軍勢が、少しずつ同じ方向へ集まり始めている。
六甲。
姫路。
須磨。
少弐はその三つを線で結んだ。
羽柴軍は勝つたびに土地を得る。
少弐たちは負けるたびに土地を失う。
しかし――
負けるたびに、残った兵が一つの軍へ近づいていた。
そして西ではスリフォンが、今日もまた一つ橋を捨て――
次の橋で、羽柴勢を待っていた。




