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天正二年十月――最初の亀裂

最初に崩れたのは、宇野だった。


須磨へ届いた第一報は、敗報ではなかった。


「宇野勢、北より来た羽柴勢と交戦!」


少弐はいつものように地図へ印をつけた。


「西は?」


「まだ動きが分かりませぬ」


少弐は嫌な顔をした。


宇喜多領方面へ迂回した一団がいる。


それをスリフォンにも追わせている。


だが、どこへ出てくるのかが見えない。


しばらくして二人目が来た。


「宇野勢、北方にてなお交戦中!」


「押してる?」


「互角かと!」


赤井甚兵衛が少し安堵した。


少弐は黙っていた。


西が分からない。


それが気になった。


そして――三人目だった。


伝令は馬から転げるように降りた。


「西から羽柴勢!」


少弐が立った。


「どこへ出た」


地名を聞く。


地図を見る。


一瞬で分かった。


「……横か」


甚兵衛も覗き込む。


北から羽柴勢。


宇野はそれを正面に受けている。


そこへ宇喜多領方面を大きく迂回していた一団が、西から入った。


二本の線が交わる。


まるで――


丁字だった。


「まずい」


少弐が呟いた。


宇野勢は弱かったわけではない。


正面ではむしろ粘っていた。


何度か羽柴勢を押し返してさえいる。


だが、そのために兵の向きが北へ揃っていた。


そこへ横から来た。


陣を組み直す時間がない。


予備を回す。


間に合わない。


一隊が崩れる。


隣の隊が横腹を晒す。


そこへ羽柴勢が入る。


さらに次が崩れる。


夕方には、はっきりした知らせになった。


> 宇野勢、切り崩される。




少弐は地図から宇野の駒を取らなかった。


「壊滅ではないんだな」


「はい。退いております」


「どっちへ?」


退路を聞いて、少弐はようやく息を吐いた。


まだ逃げている。


ならば終わっていない。



---


だが宇野が崩れたことで、次に苦しくなったのが赤松だった。


それまで宇野が受けていた羽柴勢が、動けるようになった。


赤松は自分の正面だけを見ていればよかった戦から、一気に側面まで気にしなければならない戦へ引きずり込まれた。


翌朝。


「赤松方、後退!」


さらに、


「羽柴勢、宇野領から赤松方へ流入!」


少弐は地図の駒を動かす。


「早いな」


甚兵衛が聞いた。


「救援を出しますか」


少弐は首を振った。


「今から須磨を出ても遅い」


それに、少弐の手元には出せる軍勢がほとんどない。


黒田と須知は北。


スリフォンは姫路。


虎衆は六甲。


赤井直正は丹後。


ここで少弐が動かせるのは、伝令くらいだった。


「スリフォンに伝えろ」


少弐は書状を書いた。


> 宇野、赤松の退却兵を拒むな。


西光寺へ入れ、食わせ、傷を診せよ。


追手が迫れば戦わず東へ送れ。




書き終える。


だが、その書状を持たせようとしたところで、次の知らせが入った。


「赤松勢、再集結!」


少弐が顔を上げた。


「どこで?」


聞けば、完全に潰走したのではない。


一度下がった。


そして散った兵を集めている。


さらに宇野方にも同じ動きがあるという。


甚兵衛が笑った。


「まだやるようですな」


少弐は額を押さえた。


「やるのか……」


「やるのでしょう」


黒田があれほど言った。


早く退け。


囲まれる前に退け。


姫路まで下がれ。


兵を残せ。


それでも彼らは聞かなかった。


そして実際に崩された。


ならば、今度こそ姫路へ来ると思った。


来なかった。


少し下がっただけだった。



---


夕刻。


宇野から使者が来た。


敗戦の報告だった。


しかし降伏の相談ではない。


「兵をまとめ直す」


そう伝えてきた。


少弐は聞き返した。


「それで?」


使者は答えた。


「もう一度、野で当たるとのこと」


少弐はしばらく黙った。


赤松からも似た知らせが届いた。


城へ閉じこもるのではない。


姫路まで逃げるのでもない。


地形を選び直す。


兵をまとめ直す。


そして再び羽柴勢を迎える。


甚兵衛が呟いた。


「意地ですな」


少弐は首を振った。


「意地だけじゃない」


一度戦った。


だから羽柴の戦い方を見た。


どこから来るか。


どれくらい押してくるか。


どの兵が強いか。


自分たちの何が通用したか。


そして何が通用しなかったか。


敗れたことで、逆に分かったこともある。


「次は丁字にはさせないつもりだ」


少弐は地図を見た。


おそらく赤松も宇野も、次は背後と側面を意識して場所を選ぶ。


山。


川。


狭隘地。


羽柴が二方向から入れない場所。


そこへ兵を集める。


勝てるかどうかは別だった。


だが――


簡単には負けない。



---


夜。


少弐は地図を書き直した。


宇野の線を少し東へ。


赤松も下げる。


羽柴の線を前へ。


確かに播磨側は負けている。


領地を失っている。


羽柴勢は前進している。


それでも、播磨側の駒はまだ消えなかった。


甚兵衛が地図を見ながら言った。


「負けているのに、戦線がなくなりませんな」


「そうだな」


少弐は答えた。


宇野が崩れた。


そのため赤松も崩れた。


羽柴軍は一気に前へ出た。


普通なら、そのまま敗走になる。


しかし播磨の者たちは違った。


十里退けば、そこで集まる。


五里退けば、また陣を敷く。


村を失えば次の村。


野を失えば次の川。


城を捨てれば次の山。


少弐は地図上の宇野と赤松を見た。


「官兵衛の言うこと、全然聞かないな」


甚兵衛が笑った。


「播磨の者ですから」


「官兵衛も播磨だぞ」


二人とも少し笑った。


だがすぐに地図へ目を戻した。


最初の亀裂は入った。


宇野が崩れ、赤松も押された。


羽柴勢は確実に播磨の奥へ入り始めている。


それでも播磨の戦は終わらない。


むしろ――


一度負けた者たちが、次にどこで戦うかを選び始めていた。

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